六十九人目
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『百年前』
アングイス村。
その村には一つの言い伝えがあった。
村の外れにある森には、怪物が住んでいる。
だから、森に入ってはいけない。
「………」
それは大人が考えた嘘。
子供を危険な森に近づけない為の根拠もない嘘。
「………」
しかし、それは子供にとっては真実だった。
実際は蛇一匹いない森でも、子供の思い描く空想の中には『怪物』は確かにいた。
姿は黒く、目は蛇に似た金色で、
本来は巨大な大蛇だが、若い男性の姿にも変わることが出来て、
森の奥で一人で住んでいる。
「…あなた、誰?」
ある日、森へ迷い込んだ子供が尋ねる。
大人の考えた嘘を信じる子供は、彼の正体を知りながらも尋ねる。
しかし、彼は想像よりもずっと穏やかに言葉を返した。
「メトゥス。そう呼んでくれ」
彼は恐怖の化身ではあったが、悪人ではなかった。
むしろ、迷い込んだ子供を宥めて家に帰すような良識すら持っていた。
考えてみれば、それも当然のこと。
彼が怪物であると妄想したのは他人であり、彼自身は人を襲った過去など持っていない。
自我を得て間もない彼は迷い込んだ子供と同じくらい無邪気で純粋だった。
やがて、彼に出会った子供は村でそのことを話し、友達を連れて再びやってきた。
そうして彼は大人には秘密の友人として、子供達に慕われるようになった。
「…ッ!」
異変に気付いたのは、いつのことだったか。
時が流れた。
怪物にとっては一瞬で、子供にとっては長い時が流れていた。
子供達は成長し、メトゥスの下へ現れなくなった。
時は大人の嘘を忘れさせ、子供達は秘密の友人の名前を忘れた。
それは、病のようにメトゥスの身体を蝕んだ。
「ぐ…がああ……」
元々メトゥスは恐怖から生まれた。
誰も恐怖する者がいなければ、誰も知らなければ存在出来ない。
元から命を持たないメトゥスはそれだけで消える。
「メトゥス…」
そう名前を呼んだのは、一番最初にメトゥスと友達になった少女だった。
今でもメトゥスを覚えている、たった一人の存在。
「頼みがあるんだ………俺を、村へ案内してくれないか?」
メトゥスは囁くように少女へ告げた。
既にその頃のメトゥスには余裕がなかった。
「消える前に、あの子達にもう一度会いたいんだ…」
同情を誘うように、メトゥスは懇願する。
ひそかにメトゥスに好意を抱いていた少女に、それを断ることは出来なかった。
「…ありがとう」
そして、物語が始まった。
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「この世に於いて最も重要なのは自分の命だ。守る為なら死んでもいい? 殺されても残る物がある? そんな物は、偽りだ!」
メトゥスは叫びながら、黒き蛇と影を操る。
フェレスの行動を否定するように。
共に人ならざる存在でありながら、在り方がまるで正反対のフェレスを拒絶するように。
「心も、夢も、信念も、友情も、希望も…死ねば、全て無意味だァ!」
暗き霧が空を覆い隠す。
メトゥスより放たれる蛇が空へ昇り、雨となって地上へ降り注ぐ。
最早、視界全てを埋め尽くす豪雨を前に、フェレスは両手を突き出した。
「『タブラ=ラーサの爪』」
その両手から二本の白い光が吹き出す。
普段は敵を斬り裂く爪の形をした光を、盾のように頭上に展開した。
頭上から降り注ぐ蛇の豪雨はヴァニタスの傘に触れた端から消えていく。
「チッ! 小賢しいィ!」
顔を怒りで歪めながら、メトゥスは右手に黒いサボテンを具現化する。
人の頭程もある丸いサボテンを、思い切りフェレスへ投擲した。
「弾けろ…『苦悶の棘』」
瞬間、フェレスの目の前でサボテンが爆発した。
雨を防ぐことに両手を使っているフェレスは、避けることすら出来ずに棘を全身に浴びた。
思わず、よろめく姿を見てメトゥスは残忍な笑みを浮かべた。
「シシシ…その棘は痛ェだろ? 前に味わったから知っているよなァ」
そう嘲笑いながら、もう一度メトゥスは右手に黒いサボテンを具現化する。
「おかわり、いるかい?」
「ッ!」
それを見たフェレスの行動は早かった。
雨が尽きるのを見計らって、右手を大きく振るう。
その右手に光っていた白い爪の一本が、矢のように放たれた。
「なっ…!」
まさか、そんな攻撃をしてくると思わなかったのか、メトゥスの判断が一瞬遅れる。
咄嗟に黒いサボテンを投擲するが、防ぎ切れない。
光の矢と化した爪は、メトゥスの左腹部を抉り取って後方へ去って行った。
「がァ…ああああ! クソが、痛み分けかよォ!」
蒸発した左腹部を抑えながら、メトゥスはフェレスを睨みつけた。
「はぁ…はぁ…はぁ…!」
フェレスの方も棘の痛みのせいか冷や汗を流し、荒い息を吐いていた。
どちらにも余裕はない。
空想を創造する能力と、空想を破壊する能力。
互いの力は拮抗していた。
「元いた場所へ帰れ、架空の怪物!」
白い爪を携えて、フェレスはメトゥスへ向かっていく。
自身を滅ぼす白い光を見て、メトゥスは焦りの表情を浮かべた。
アレは空想を滅ぼすメトゥスの死そのものだ。
「消えて、たまるか。消えてたまるか、消えてたまるかァ!」
狂ったように叫びながら、メトゥスは右手を振り上げる。
黒い影が再び空を覆い隠す。
(…さっきのやつかッ!)
フェレスは咄嗟に足を止め、両手を空に翳す。
先程、蛇の豪雨を防いだように光の傘を展開する。
「馬鹿が…『偽善の凶刃』」
しかし、その衝撃は先程の比ではなかった。
嘲笑と共に放たれたのは、白銀のギロチン。
空より降り注いだのは、雨ではなく巨大な刃だった。
大地を切り分けるようなギロチンは、光の傘に触れても勢いが止まらない。
(消滅しきれ、ない…ッ!)
その圧倒的な質量は、フェレスの能力を以てしても消し切ることが出来なかった。
それでもフェレスは全力を以てギロチンを防いでいたが、その隙を見逃すほど目の前の化物は甘くない。
「死ね」
フェレスの胸に衝撃が走る。
黒い黒い、影よりも暗い色の矢が胸に突き刺さっていた。
それを確認した瞬間、フェレスの身体はゆっくりと倒れた。




