五十五人目
バキン、と何かが割れるような音がアルブス中に響き渡った。
アルブスの空から紫煙が消える。
紫煙によって朦朧としていた意識が覚醒し、ムースは笑みを浮かべた。
「…フェレスの奴、やりやがったみてえだな!」
笑いながら傍らに目を向けると、ラーナも頭を抑えてムースを見つめていた。
ムース達を取り込もうとしていた紫煙が消えたのは、主人であるゼノが倒されたからだろう。
フェレスはゼノを破り、因縁に決着を付けたのだ。
「だとすれば、俺も負けてられねえな!」
ムースは改めてソムニウムを展開する。
未だゼノの影響を受けている者を正気に戻す為、より効果範囲を広げる。
大将に良い所を持っていかれたんだ、後始末くらい任せて欲しい。
酷薄な笑みを浮かべてアニマを使用するムースの傍で、人影が走り出した。
それは貧しい服装の幼い少女。
紫煙の影響から解放されていないアルブスの住人。
その手に短剣を握った敵。
「…なっ!」
本来なら片手間で対処できる相手だが、タイミングが悪かった。
アニマに集中していた為、判断が遅れてしまった。
ムースが気付いた時には既に少女は目の前に迫っていた。
ソムニウムを向けるよりも、少女が短剣を振りかざす方が早かった。
少女の凶刃が、ムースの胸を貫く…
「『ソリトゥス』」
瞬間、短剣が大きな音を発てて破壊された。
短剣を阻んだのは、透明の壁。
ガラスよりも頑丈で、明確な拒絶感を与える壁。
「ラーナ、お前…」
呆然とムースは自分を助けた少女を見つめる。
短剣とムースの間に入り、見えない壁を展開する少女に問う。
「お前、アニマ寄生者…だったのか?」
「………」
ラーナは目を逸らし、何も答えなかった。
「…フェレス、姉さんに会ったの?」
倒れたままのゼノを見下ろすフェレスに、レプスは問いかけた。
本来ならあり得ない言葉だが、何故だがレプスには確信があった。
ゼノへ復讐を望んでいたフェレスの雰囲気を変えたのは、クルスであると。
「…ええ。相変わらず、人の心配ばかりしてましたよ」
「そう、変わらないね」
フェレスの穏やかな笑みを見て、レプスも同じ笑みを浮かべた。
詳しいことまでは分からないが、もうフェレスは大丈夫だ。
十年前からずっと苦しんできた苦悩から、フェレスは解放された。
ゼノを倒し、クルスに赦されたからこそ、フェレス自身が自分を赦すことが出来た。
本当に、良かった。
「おーい、二人さーん!」
穏やかな雰囲気を壊すように、騒がしくウルペースがやってきた。
先程は騎士の足止めを買って出た筈だが、今は何故か背後に騎士を引き連れている。
「上手くやったみたいねぇ。こっちも紫煙が消えたら騎士達が正気に戻ってさぁ」
「「「………」」」
ウルペースは呑気に笑っているが、背後の騎士達はフェレス達を警戒を込もった目で見ている。
その目に狂気は見えないが、ゼノがいなくとも異端者を馴れ合うつもりはないのかもしれない。
騎士達は何も言わず、倒れていたゼノを拘束していく。
「…アルブスを脅かした罪人はこちらで拘束する。文句はないな?」
「ええ。それで構いませんよ」
不躾な態度を気にした様子もなく、フェレスは笑って答えた。
その笑顔から目を逸らし、騎士は苦々しい顔で言葉を続けた。
「………協力に感謝する。お前達のお蔭でアルブスは救われた」
「あらぁ。あらあらぁ…異端に礼を言うなんて背信行為じゃないのぉ?」
「…恩人に礼を述べないことこそ、騎士道精神に背くだろう」
からかうようなウルペースの言葉に騎士は仏頂面で告げた。
頭の固さは変わらずだが、少なくとも敵意は感じなかった。
騎士団も全てが悪と言う訳ではない。
腐敗した貴族も、狂った騎士団長もいない今、騎士団は変わるのかもしれない。
伝説の赤鷲が築いた、最初の騎士団へ。
「騎士と怪物が手を取り合うなんて、滑稽だな」
その時、倒れていたゼノが声を上げた。
騎士によって縛られたまま、皮肉気な笑みを浮かべている。
「ゼノ…案外お前もタフですね」
「おっと、そんな顔しなくても…もう降参だ。戦う気はないよ」
ゼノはボロボロの身体を見下ろして、自嘲気味に言った。
本来の寄生者ではないゼノが、無理をしてアニマを展開していたのだ。
今のゼノには縄を破る力すら残っていない。
「私はこのまま投獄されるとしよう。だが、その前に一つ忠告をしてあげるよ」
ゼノは笑いながら、フェレスの隣に立つレプスを一瞥した。
「世界を守りたいならレプスを殺せ。それが、災厄を終わらせる唯一の方法さ」
「…その世迷言が、忠告ですか?」
「ああ、そうだ。十年前に私が選んだ道………だが、願わくば」
ゼノは立ち上がり、騎士達に連行されていく。
「…私とは違う道を探してほしい物だ」
最後にそう言い残し、ゼノは騎士達に連れられて去って行った。




