五十四人目
「何、だ…!」
フェレスとレプスが倒れた瞬間、ゼノは奇妙な感覚に襲われた。
地に足が付いていないような浮遊感。
血液が沸騰しているような高熱。
風景が、歪む。
「コレは…まさか…」
世界が溶けるような幻覚を見て、ゼノはその正体に気付いた。
幸福な幻覚を見せ、心を操る。
それはゼノの持つアニマの能力だ。
ウォルプタースが、ゼノに牙を剥いている。
『ゼノ』
紫煙が複数の幻を映し出す。
騎士服に身を包んだ三人の男女は皆、ゼノの名前を呼ぶ。
熊のように大柄な男は人の良さそうな笑みをゼノに向けている。
『ゼノ、約束してくれ。もし、俺が死んだら…』
「ッ! 失せろ、幻覚!」
幻の声を遮り、ゼノは剣で斬り払った。
アレは紛れもない幸福な記憶。
全てを失った今となっては慰めにすらならない記憶だ。
「思ったより、動揺していますね」
頭を抑えるゼノに声がかけられる。
怒りを忘れ、普段の冷静さを取り戻した声。
白い爪を携えたフェレスが目の前に立っていた。
「嫌な物を見せやがって…! 皮肉のつもりか!」
「さてね。お前にその記憶を見せたのは、僕ではありませんから」
「…何だと。だとすれば、コレは………クルス自身が操っていると言うのか」
ゼノは呆然と空を見上げる。
アルブスを覆う紫煙は段々と薄れていた。
まるで反抗心を表すように、ウォルプタースはゼノの想定外の動きをしていた。
「本当に皮肉が効いている…親友の娘を殺した私に、その親友の姿を見せるなんて」
自嘲気味に笑うゼノを見て、フェレスは静かに息を吐いた。
「…クルスは復讐など望んでいなかった」
クルスは誰も恨んではいなかった。
フェレスのことも、ゼノのことも一切憎んでいなかった。
災厄を止める為に仕方のないことだった、と受け入れていた。
「過去の罪を突き付ける為に記憶を見せたんじゃない。未来に目を向けさせる為にクルスは幻を見せたのではないですか?」
「…未来だと?」
その手に剣を握り締め、ゼノはフェレスを見る。
何かを堪えるように作り笑みを浮かべ、剣を向ける。
「未来など、とっくの昔に壊してしまったよ!」
振り下ろされる剣を避け、フェレスは白い爪を振るう。
感覚を削り取る爪が触れる前にゼノは紫煙を操り、姿を晦ます。
「全て失った。仲間も、部下も、親友も守れなかった! 親友との約束さえ守ることが出来なかった!」
血を吐くようにゼノは叫び、剣と紫煙を操る。
それに応戦しながらフェレスは紫煙の中に、記憶を見た。
燃え盛る地獄の中、
瓦礫に押し潰された大柄な男の前に佇むゼノの姿。
『ゼノ、約束してくれ………娘を頼む』
『…ああ、分かったよ。カニス』
死に行く親友の最期の願い。
親友と交わした、娘を守ると言う約束。
守ることが出来なかった親友との約束。
「私にはもう何もない。このアルブスしか残っていない!」
紫煙が溢れ、フェレスを幻に落とそうと包み込む。
それをフェレスは白い爪を振るうことで切り裂いた。
切り裂かれて消える紫煙の中に、別の記憶が映る。
『タミア! ボース! どうして、どうしてだ…!』
炭化した二つの遺体の前で、ゼノは絶叫する。
災厄からアルブスを救おうとしていた仲間の死の光景。
「お前達は、消えろ!」
紫煙に紛れて突き出された剣をフェレスは身を逸らして躱す。
躱した姿勢のままフェレスは爪を振るわず、ゼノの頬を殴り飛ばした。
「ぐっ…!」
「…残っている物ならあるだろうが」
十年前に全てを失ったと絶望する姿が、自身と重なった。
忘れ去られ、過去を全て失ったと思っていたフェレスにも残された物はあった。
残った希望に気付くことが出来た。
「死んでしまった者より生きている者へ目を向けろ。カニスの娘なら、まだ生きているだろう」
フェレスは後方に佇んでいたレプスを一瞥し、ゼノに言った。
親友との誓いは未だ果たせる。
カニスがゼノに託したのは、クルスとレプスの二人なのだから。
守れなかったクルスの分までレプスを守ることが、きっとゼノ自身の救いとなる。
クルスを殺したことを懺悔するように叫んだゼノなら、きっと未来に目を向けることが出来る。
「………」
ゼノを赦す訳ではない。
だが、クルスならばそう言うだろう、とフェレスには確信があった。
その言葉にゼノはレプスを見つめ、何かを堪えるように顔を抑えた。
「………ははは」
静かにゼノは笑った。
自分でも驚くほどに穏やかな笑い声だった。
かつての自分を取り戻したように笑った後、ゼノは顔を上げる。
「…今更、遅いんだよ!」
紫煙を身に纏い、ゼノは叫ぶ。
全てを理解しながらも、心を改めることなくフェレスへ襲い掛かる。
「止めたければ、殺せ。私はお前達の仇だ!」
「…ッ」
ゼノの覚悟を見て、フェレスも覚悟を決めた。
右手に白い爪を具現化し、振り上げる。
「隠せ、ウォルプタース!」
息が詰まるような紫煙が吹き出す。
紫煙がゼノの姿を覆い隠し、フェレスの視界を塞ごうとする。
「タブラ=ラーサの爪!」
しかし、一度見た手は二度も通じない。
フェレスは隠していた左手にも白い爪を生み出し、紫煙を切り払った。
身を隠していた紫煙が掻き消え、ゼノは無防備な姿を晒す。
「終わりだ!」
フェレスは叫びながら右手を振り下ろす。
白い爪はゼノの頭を捉え、その意識を削り取った。
「………………」
見えていた筈の攻撃を、ゼノは躱さなかった。
満足そうな笑みを浮かべ、ゼノの身体はゆっくりと倒れた。




