五十三人目
「馬鹿な、一人目は…お前が殺したんだろう!」
フェレスは激高したように叫ぶ。
ゼノが一人目である筈がない。
一人目であるクルスは、他でもないゼノに殺された。
もうこの世に一人目のアニマ寄生者はいない。
「『前世』の話はしただろう?」
変わらない笑みを浮かべながら、ゼノは言った。
アニマとは人間の魂。
かつて死んだ者の魂を得た者に、心を具現化する能力は宿ると。
「私の前世はクルスなのだよ。幸福のアニマ『ウォルプタース』…この力はクルスから引き継いだ」
「何だと…!」
クルスを殺しただけではなく、その魂まで奪い取った。
死後までクルスの力を悪用して、クルスの魂を穢す。
その事実にフェレスは激怒する。
全力でアニマを発動しようとして、猛烈な眩暈を感じた。
「クールなふりして、案外挑発に乗りやすいな…既にお前はウォルプタースの支配下にある」
脳が溶けるような感覚がフェレスを襲う。
ぐらぐらと地面が揺らぎ、立っていられない。
キセルの紫煙を見て、フェレスはウォルプタースの正体を悟る。
この紫煙こそが、ゼノのアニマだったのだ。
アルブス全てを包む紫煙。
住人や騎士の様子から察するに、能力は『精神操作』
「ウォルプタースは幸福を与える。他者の心を満たし、その心を操るアニマだ」
ゼノの声が遠い。
フェレスの意識が、紫煙の中に溶けていく。
「素晴らしい力を手に入れた。あの世であったらクルスに礼を言っておいてくれ」
嘲るような声は既に聞こえていなかった。
フェレスは、落ちていく。
幸福な幻の世界へ…
「おはよう、フェレス。今日は何して遊ぶ?」
見慣れた笑顔でクルスは言う。
その隣には控え目に笑うレプスの姿もある。
甘ったるい紫煙が晴れると、フェレスはいつもの公園に立っていた。
その記憶は、フェレスの中で最も幸福だった時代。
戻れるなら戻りたい、十年前の記憶。
(…コレは、夢だ)
フェレスは会いたかった親友を見ながらも、その正体に気付いてしまった。
幸福の中に閉じ込めるのがゼノのアニマなら、その幸福を壊してしまうのがフェレスのアニマ。
全てを忘れて浸りたい程の幸福を目の前にしても、フェレスは違和感を感じてしまう。
恐らく、幸福な夢を見ているのはフェレスだけではないだろう。
共にいたレプス、別の場所に残ったウルペース達も空間に取り込まれているかもしれない。
ゼノの紫煙はアルブス中を覆っていた。
このアルブスに入った時点でフェレス達はゼノの支配下に入ってしまったのだ。
「………」
一刻も早くこの夢から脱出しなければならない。
この空間がフェレスの幸福な記憶から形成されているとするなら、壊す手段は一つ。
フェレス自身の幸福な記憶を消せばいいのだ。
「…ッ」
だが、それでいいのか。
この記憶は今のフェレスを形成したと言っても過言ではない重要な記憶。
コレを失った時、フェレスはフェレスのままでいられるのか?
今まで通りレプスを守ることが出来るのか?
思わず躊躇するフェレスの肩に、優しく手が乗せられた。
「はぁ、昔っから変わらないね。そう言う自己犠牲的な所」
それはクルスの手だった。
以前と何も変わらない顔と声で、呆れたようにため息をつく。
「性分なもので。邪魔をしないでくれませんか、僕の妄想さん」
少しだけ穏やかな笑みを浮かべながらも、フェレスは拒絶する。
目の前の幻覚に惑わされることがあってはならない。
こうしている間にも現実世界でレプスに危険が迫っているかもしれない。
「妄想って…」
その言葉に気を悪くしたように、クルスはムッとした顔をした。
両手を伸ばして、フェレスを頬を引っ張る。
「と言うか、何なのその気持ち悪い口調は! 私が死んでから随分お利口になったじゃない!」
「死んでから…?」
怒ったクルスの言葉にフェレスは愕然となる。
このクルスはフェレスの幸福だった記憶から作られた幻の筈だ。
だとすれば、それ以降の記憶を知っている筈がない。
まして自分が死んでいることを自覚しているなど…
「私は私よ。幻じゃなくて、クルス本人よ」
「嘘だ…君は確かに死んだ筈…」
「『前世』の話は聞いたんでしょ?」
得意げな顔をして、クルスは言う。
アニマの正体は人間の魂。
アニマ寄生者は皆、別の誰かの魂を身に宿している。
そして、ゼノの中に宿る魂は十年前に死んだ『クルス』
「十年前にゼノが私を殺した時、彼に私のアニマが引き継がれたの。その時に私の魂もこの場所に残ってしまった」
「まさか、本当に…」
「久しぶりね。ゼノの中からあなたのことを見てたよ」
そう言って笑みを浮かべる姿は、フェレスの記憶と何も変わらなかった。
二度と見れないと思っていた笑顔。
二度と聞けないと思っていた声。
フェレスの心に熱い物が込み上げる。
「レプスのことを守ってくれてありがとう。それと…ごめんなさい」
「…謝るなよ。それは俺の台詞だろうが」
十年前と同じ口調でフェレスは懺悔する。
笑顔の裏に隠してきた後悔を吐露する。
「あの時、俺は何も出来なかった」
クルスが殺される光景を見ていることしかできなかった。
命を助けると約束しておきながら、守ることが出来なかった。
「…アレは仕方なかったんだよ。フェレスは悪くない」
「だが…」
「あの災厄は私が死ぬまで止まらなかった。私は誰も恨んでいないよ」
「………クルス」
「私が望んでいるのは、あなたとレプスの幸福だけ」
優しげな笑みを浮かべ、クルスは空を見上げた。
晴天だった空に紫がかった雲が浮かぶ。
思い出の公園が紫煙の中に消えていく。
『ウォルプタース』の作り出した空間が、壊れ始めた。
「クルス…お前がやっているのか?」
「このアニマは元々私のだからね。悪用するなら没収しちゃうよ!」
クルスは悪戯した子供のようにウィンクした。
ウォルプタースはクルスの心から発生したアニマ。
ゼノに奪われていたが、その所有権はクルスにある。
「過去の幸福なら見せてあげるけど、過去は過去。今を生きているあなたは未来を見なきゃ!」
風景だけでなく、フェレスの身体まで消え始める。
幸福な夢が覚める時が来たようだ。
「またね、フェレス。レプスと仲良くね」
「…ああ、またな」
さよならとは言わず、二人は別れた。




