四十八人目
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『十年前』
アルブスが炎に包まれてから、既に夜は明けていた。
その間、雨が降ろうが風が吹こうが炎が消えることはなかった。
呪われたアニマの炎はアルブスを地獄に変え、人々をそこへ閉じ込めた。
悪夢は終わらない。
阿鼻叫喚の地獄の中で、人々は死に絶える。
そんな中で、数少ない生き残りがいた。
「ごほっ…げほっ…」
黒い煙を吸って咳き込んだ少女は、レプスだった。
煤で汚れた服を纏い、泣き腫らしたような顔で変わり果てた町を眺める。
「………」
幼いながらもレプスは悟っていた。
逸れた両親や姉の生存が絶望的であることを。
この災厄は異常だ。
自然災害とは到底思えず、悪意に満ちている。
レプスが生き延びれたことが幸運だったのだ。
『おんやァ? コイツは珍しい。お前のような奴が生き残るとはなァ』
その声を聞いた時、レプスは幸運も尽きてしまったことを感じた。
目の前に現れたのは…お伽噺の怪物。
瞳孔が細い金色の目を付け、
血のように赤い身体を持ち、
大人も丸呑み出来そうな口を開いていた。
「あ…あ…あ…」
『既に五人に種は植え付けたし、これ以上は蛇足ってモンかァ? シシシシ…』
怪物はまるで人間のように笑う。
表情豊かに、残酷に笑みを浮かべる。
『まあ、今回は特別だ。起点は多い方が良い。そんな訳で、お前にもプレゼントしてやるよ』
怪物は近づく。
その毒牙を、見せつけるように剥き出しにする。
『かつての起点達。その魂をな』
「………」
同じ頃、別の場所では他の生き残りが歩いていた。
崩れる瓦礫や炎を避けながら、周囲を探し回る。
焦燥した表情を浮かべながら歩き続ける少年は、フェレスだった。
「クルス、レプス…」
険しい顔でフェレスは二人の親友を呼ぶ。
この火災が起こってから彼女らに一度も会っていない。
無事だと良いが、このまま大人しくしていられる程にフェレスは楽観的ではない。
早く見つけなければならない。
「………」
フェレスにとって大切な者はあの二人だけだ。
能力だけを見てフェレスの人間性を見ない両親のことは、少しも気にならなかった。
貴族の家に生まれ、虚無的に生きてきたフェレスにあの姉妹は心を教えてくれた。
死んだように過ごしてきたフェレスに心があることを気付かせてくれた。
「ッ…」
今は、それが少しだけ苦しい。
心配で胸が張り裂けそう、とはこんな感情だろうか?
火傷をした腕も、息苦しさも気にならない。
それ以上に、心が痛い。
「…フェレス」
「!」
その時、声が聞こえた。
間違いない、クルスの声だ。
周囲の瓦礫を見回し、耳を澄ます。
そう遠く離れていない。
「フェレス」
今度は、はっきりと聞こえた。
瓦礫を挟んだ向こう側。
声の方へフェレスは急いで走った。
逸る気持ちを抑え、熱を持った瓦礫を乗り越える。
「クル…ス…」
炎と煙に包まれた地獄の中、
夥しい数の死体に囲まれて、クルスは佇んでいた。
名前を呼ぼうとしていたフェレスの顔が凍り付く。
ここへ来るまで、焼死体はいくらでも転がっていた。
だが、クルスの周りに転がっている死体は何だ?
自分の首を絞めるように死んでいる男や、鋏を胸に突き刺して死んでいる女。
明らかに火災で死んだとは思えない異様な死体ばかりだった。
「フェレス…」
クルスは絶望したような声で呟く。
こんな顔をしたクルスは見たことがなかった。
いつも楽観的で笑顔だったクルスが、今にも泣き出しそうな顔をするなんて考えもしなかった。
「………」
声が出ない。
何を言えばいいのか、分からない。
混乱するフェレスの隣を、誰かが通った。
「退いていろ」
固い表情でそう言ったのは、首に紫色のスカーフを巻いた騎士だった。
騎士は険しい表情のままでクルスに近づく。
そのことに、フェレスは疑問を抱かなかった。
災害救助の為にアルブス中を駆け巡る騎士の姿を何度か見ていたからだ。
こうしてクルスの下へ騎士が現れるのもおかしくはない。
しかし、
どうして彼は剥き出しの剣を握り締めているのだろうか。
「…悪く思うな」
騎士はその剣を振り上げた。
その瞬間、フェレスは全てを理解した。
この騎士はクルスを助けに来たのではない。
殺しに来たのだと。
「クルス…!」
急いで止めようとしたフェレスを見て、クルスは静かに首を横に振った。
それは、明確な拒絶だった。
「…ごめんね。フェレス」
その意味を聞く時間も、考える余裕も与えられなかった。
次の瞬間には、剣は振り下ろされ………クルスの胸を剣が貫いていた。
「あ、あああああああああ!」
クルスの目から光が消えた時、フェレスは激しい感情に包まれた。
憎悪、憤怒、絶望、後悔、恐怖。
多くの感情が爆発し、フェレスの中から溢れ出た。
溢れかえる感情の波は、白い光となって帝国中に飛んで行った。
その日、フェレスは世界から消えた。
「………」
その後、フェレスは廃人のようにアルブスの町を彷徨っていた。
クルスが死んだ瞬間に炎が消えた町は、それでも甚大な被害を受けていた。
クルスを殺した騎士は、何故かフェレスのことは気にも留めず去って行った。
もう、どうでもよかった。
フェレスに心を教えてくれた恩人はいない。
彼女は最期に人を失う痛みをフェレスに教え、いなくなってしまった。
彼女は、もういない。
「…あ!」
その時、聞き覚えのある声を聞いた。
声の方へ感情のない目を向けると、一人の少女がこちらへ走ってくる。
何の偶然か。それはクルスの妹、レプスだった。
彼女が無事だったことは素直に嬉しいが、フェレスは彼女に伝えなくてはならない。
姉を助けることが出来なかった、と。
「あの、すいません。私の姉を見なかったですか?」
やはり、と沈痛な表情を浮かべるフェレスにレプスは懇願するように言った。
「クルスって言う名前なんです。顔は少し私に似ていて、背は…」
そこまで黙って聞いた所でフェレスは違和感を覚えた。
訝しげな顔でフェレスはレプスを目を見つめる。
「レプス、お前どうして…」
「え? 何で私の名前知っているんですか?」
驚いたようにレプスは目を見開いた。
尋ねたいのは、フェレスの方だった。
「俺が、分からないのか?」
「………すいません、思い出せないです。どこかで会いましたか?」
その目が、他人行儀な言葉が、何よりの証拠だった。
レプスは記憶を失っている。
いや、フェレスのことだけを忘れている。
全ての原因は、あの白い光。
クルスを殺した騎士は、別にフェレスを見逃した訳ではなかった。
フェレスの存在を忘れてしまっただけだった。
「…ははは…ごめん、こちらの勘違いだったようだ」
乾いた笑みを浮かべながら、フェレスは『初対面』のレプスに言った。
親友を殺された。
残された親友の妹は、フェレスの記憶を失った。
フェレスの持っていた物が、全て失われてしまった。
これほどの絶望が他にあるだろうか。
世界中誰一人としてフェレスを覚えていない。
大切な人に忘れ去られること。
これほどの苦痛が他にあるだろうか。
「…はははは」
フェレスは薄ら笑みを浮かべ、アルブスの町を去っていった。




