四十人目
「チッ」
赤い液体が鞭のように形を変え、縦横無尽にフェレスを追いかける。
躱しながら白い爪で掻き削るが、効果があるようには見えない。
「………」
埒が明かないと判断したのか、ウィーペラの身体の先端が硬質化する。
赤く錆びた鉄杭のような形の部位は、フェレスの方へ狙いを定めて炸裂した。
弾け飛ぶ赤錆の鉄杭は嵐のようにフェレスを襲う。
「ぐっ…くそ」
嵐を全て躱すことが出来ず、フェレスの肩に鉄杭が突き刺さる。
ウィーペラにはヴァニタスが通用しない。
肩に突き刺さる鉄杭は触れても消える様子がない。
ウィーペラのアニマは肉体と同化している故に『アニマと肉体の境界線』が曖昧なのだ。
ベースが単なる人間である為にヴァニタスが効き辛く、アニマと同化することで『身体変化』の能力を持っている。
非常に相性が悪い。
「………」
近くにいる赤鷲を一瞥するが、すぐに視線をウィーペラに戻す。
赤鷲の火力があればウィーペラの流動的な肉体を蒸発させることも可能だが、先程フェレスに敗れたように赤鷲の能力は万能ではない。
敵の憎悪がなければ発動できないオディウムでは、心を持たないウィーペラを殺すことは出来ない。
赤鷲もまたそれが分かっているのか、ウィーペラの前に出ることはない。
「…チッ!」
思考の邪魔をするように再びウィーペラがフェレスへ襲い掛かる。
舌打ちをしながらそれに立ち向かおうとして、フェレスは動きを止める。
ウィーペラの動きが先に止まったからだ。
赤くぶよぶよした身体が硬質化したように固まる。
いや、これは硬質化ではなく…
「凍結している?」
「私にも、力はあるんだから」
凍結して動かなくなったウィーペラを見て、やや得意げな顔でレプスが言った。
液体であるウィーペラの弱点は急激な温度変化。
冷気の能力を持つレプスを使うことに思考が及ばなかったのは、単に忘れていただけか、レプスを守ることを前提に作戦を立てている為か。
「レプス、奴は…ゼノはどこへ行きましたか!」
「隙を見て逃げて行ったよ。それよりも私、アンタに聞きたいことが…」
言いかけて、レプスは眩暈を感じた。
先程の本を読んだことが原因か、自分でも驚く程に疲労が溜まっていた。
意識が朦朧としたレプスを抱き留め、フェレスは苦い顔を浮かべた。
「…マズいですね」
舌打ちをして周囲を見渡す。
金色の視線がフェレス達を見つめていた。
ウィーペラだ。
たった今、凍結させたウィーペラと同じ存在が三体、フェレス達を見つめていた。
アレを倒すにはレプスの冷気で凍結させるしかない。
肝心のレプスは気絶してしまった。
レプスを守りながらどこまで戦えるか、
そう考えていた時だった。
「『マエスティティア』」
辺りに響く声と共にウィーペラ達が凍結した。
行ったのは眠っているレプスではない。
しかし、使われた能力はレプスの物だ。
「遅いので迎えにきたよ」
「アングイス、助かりました…」
凍り付いたウィーペラを軽く叩いているアングイスに、フェレスは素直に礼を言った。
アングイスは眠るレプスへ目を向け、自嘲するような笑みを浮かべる。
「彼女の能力を借りただけだよ。俺のアニマは『インウィディア』…能力は他人の能力を写し取ること。醜い嫉妬のアニマさ」
忌み嫌うようにアングイスは自分の能力を告げた。
そして、視線を周りに向ける。
「それで、一体どういう状況なの?」
「素晴らしい気分だ。覚醒とはこのことを言うのだろうな」
アルブスに帰還したゼノは満面の笑みを浮かべて、呟いた。
既に死んだ身となっているゼノが歩くことで周りの人間は驚愕していたが、それすら心地よい。
記憶があると言うことは、自分の生きている意味を覚えていると言うことは、こんなにも素晴らしいことだったのか。
自分がどういう風に生きて来たのか覚えていることは、こんなにも安心できることなのか。
「止まりなさい、ゼノ!」
凱旋気分で町を歩くゼノの前に一人の女が現れた。
悪趣味な虎の毛皮を羽織った女『ティグリス』
今までゼノをこき使っていた貴族の筆頭が目の前に立ち塞がった。
「あなたは一体何を考えているの? 死を偽装してまで一体何をしたの。答えなさい!」
「くっくっく…それを私に聞くのか。私に聞かないと分からないのか? 愚かだ愚かだとは思っていたが、ここまでとは…」
「その余裕、まさか『災厄』を手に入れたのですか!」
見当違いに動揺するティグリスを見て、ゼノは腹を抱えて笑い出した。
「災厄を起こす力、ね。そんな物は初めから存在しない。アレはお前達みたいな金持ちを呼び寄せる為に私が考えた嘘だ」
「なっ…!」
「『メトゥス』は世に破滅しか齎さない。十年前も現在も同じ。お前達が必死になって求めていた物は空想の産物だったんだよ」
明らかに見下した様子に遂にティグリスは激怒した。
近くに控えさせていた部下に合図を出し、殺害命令を下す。
しかし、
「どうして! どうして、動かないの!」
「滑稽だな。滑稽すぎて涙を誘う」
そう言って笑うとゼノは合図を出した。
二人の傍に数人の血塗れの遺体が転がる。
互いの武器で互いを殺し合ったように絡み合った死体は、全てティグリスの部下だった。
「このアルブスは全て私の物だ。私が救い、私が支配する。お前達は失せろ」




