三十八人目
『彼』の人生に己はなかった。
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赤鷲。
騎士団の創設者にして数多の人を救った英雄。
その偉業を知らぬ者は帝国に一人もおらず、子供ですら絵本で一度は見た有名な人物。
そんな存在の子孫が発見されたのは、最近のことだった。
未だ十歳の少年は、騎士団の聖堂に保護された。
彼は『白紙』だった。
何も知らない彼に騎士団は教育を施した。
赤鷲とはどんな人物か、
赤鷲とはどうあるべきか、
いずれ騎士団の象徴となることを期待して、騎士団は多くのことを彼に学ばせた。
全ての人間が彼を赤鷲と呼んだ。
全ての人間が彼に赤鷲であることを望んだ。
彼自身は何も望んでいなかったと言うのに…
「君に僕は殺せない」
フェレスは倒れる赤鷲を見下しながら言う。
「それは君が本物の赤鷲じゃないからです」
「ッ!」
その言葉に赤鷲の目つきが変わる。
自身の人格まで捨てて得た『存在理由』
それを否定され、赤鷲の視線にドス黒い感情が込められる。
「君が言ったことです。赤鷲は全てを憎み、憎しみの力で世界を救った」
「それが…」
何なのか、と言おうとした赤鷲にフェレスは冷めた目を向ける。
呆れたような、憐れんだような目を向ける。
「君は世界を憎んでなどいない。君の目的、行動の全てが他人事。君自身、内心ではどうでもいいと思っているのでしょう?」
「――――――ッ」
赤鷲は言葉を失った。
図星を指された、と言う感じではない。
自身でも気付いていなかったことを指摘されたような、
無意識の内に目を逸らしていた矛盾に初めて気づいたような、
そんな表情だった。
「アニマは心を具現化する能力です」
当初は、自身の怒りや憎しみを爆弾に変えていると予想していた。
激情をそのまま爆弾と言う力に変えて、人を殺傷しているのだと思っていた。
だが、赤鷲の言葉から彼の心は空っぽであることに気付いた。
それこそ、フェレスと同じくらいに。
「しかし、君の空虚な心からは何も生まれない。だとすれば『力』はどこから来る?」
爆弾と言う高い殺傷力を持つ能力。
生半可な心から、あの威力は出せない。
それこそ、悪を憎むほどの激情がなければ…
「答えは、僕自身だ。君は…『自分に向けられた憎悪を具現化する』アニマ寄生者だ」
空虚な自分ではなく、周囲の心を具現化するタイプのアニマ寄生者。
だからこそ、攻撃されるまで自分から手を出さなかった。
だからこそ、逃げる敵を追撃することが出来なかった。
他人の心に依存する能力故に、
「僕とムースで威力に差があったのは、僕が冷めた性格のせいで彼ほど純粋に怒ることが出来なかったから…ってところですか?」
「………」
『憎悪』のアニマ寄生者は無言でフェレスを睨みつけた。
機能を失った両手に舌打ちしながら、上体を起こす。
恨み言一つ吐くことなく、ただフェレスを睨む。
「『オディウム』」
「無駄ですよ」
フェレスは赤鷲の言葉を無視し、今度は左腕を振るった。
能力すら使っていない拳が、赤鷲の頬を捉えた。
「ッ」
フェレスの拳をまともに受け、赤鷲の口から苦悶の声と血が垂れる。
受け身も取れずに地面を転がりながら、赤鷲の思考は疑問で埋め尽くされた。
赤鷲のアニマ『オディウム』は憎悪のアニマ。
周囲の憎悪を爆弾と言う形にする防衛のアニマであり、相手の憎悪をそのまま相手にぶつけて沈黙させる迎撃のアニマでもある。
故に赤鷲にとっての戦闘とは、自然体だった。
何の覚悟も緊張も不必要で、ただ相対するだけで敵が倒れた。
設置された爆弾は本人にも見えず、誰にも見破られることのない能力だったが、仮に見破られても関係のない能力だった。
赤鷲の敵となる以上、憎悪や敵意を抱かないことは不可能だ。
自分の憎悪を抑えることが出来ない限り…
「…お前、自分の心を」
「気付きました?」
余裕を失う赤鷲とは対照的にフェレスは薄ら笑みを浮かべる。
「痛覚同様に君に対する憎悪を消去しました。あんまり自分の心は弄りたくないのですが、君に対抗するにはこれくらいしないと」
自分の心から憎悪のみを抽出して削除する。
フェレスの憎悪頼りの能力は完全に無力化された。
これで形勢逆転だ。
「…俺に対する憎悪が消えたなら、どうしてお前は俺と戦う?」
「はぁ? 何言っているんですか?」
赤鷲の疑問にフェレスは答える。
個人的な憎悪も敵意もなくなって、それでもフェレスは赤鷲と戦う。
「レプスを守る為ですよ。それは最初から何一つ変わらない」
「………」
レプスは小屋を飛び出し、フェレスの下へ走っていた。
いつまでも守られるままではいけない。
一人で小屋に隠れていることなど耐えられない。
『蛇の本』を握り締め、走り続ける。
「はぁ、はぁ、はぁ…」
呼吸を乱しながら、レプスは足を止めない。
自分が駆けつければ、フェレスはどんな顔をするだろうか。
十中八九、良い顔はしないだろう。
フェレスはレプスのことを心配している。
過保護と思えるほどに、危険から遠ざけている。
「おや、お嬢さん。そんなに急いでどこへ行くんだい? そっちは危険だよ」
突然、声をかけられた。
思わず、急いでいたことも忘れて足を止める。
「フェレス、の…行かないと…危険だから…」
乱れた息と頭ではまともな言葉が出なかった。
だが、相手の男はそれで伝わったように頷く。
「なるほど、でも本当に危険だよ。彼の為に君がそんな目に遭う必要があるのか?」
男は再度、問いかける。
「出会ってそう長くもない薄い関係だ。そもそも君は彼の何を知っている?」
自分のことを何も話してくれない。
それは、レプスが常々感じていたフェレスへの不満だった。
レプスはフェレスのことを何も知らない。
「でも、フェレスは、守ってくれている。今も私を…」
「過去を知らずとも、今の姿を見て信じるのか。そもそも彼は何で君を守るのだろうか?」
男の言葉は、全てレプスが考えていたことばかりだ。
フェレスは博愛主義ではない。
にも関わらず、出会って間もないレプスを特別扱いするのは何故か。
何度聞いても教えてはくれない疑問。
フェレスだけが知る、二人の間にある『何か』
「…根本的な疑問だが」
最早、レプスの目は完全に男へ向けられていた。
自分が急いでいた理由すら頭から抜け、男の言葉に耳を傾ける。
その『紫色の騎士服を纏った男』へと。
「どうして君は『自分の記憶が彼に消されている』と考えないんだ?」
男はキセルを咥えながら、楽しげな笑みを浮かべた。




