三十七人目
生まれた瞬間の人間は『白紙』だ。
言葉を発するどころか、自分の足で立つことすら出来ない。
肉体を動かす記憶、言葉を話す知識は後天的に得る『心』だ。
ヴァニタスはその心を壊す。
「掻き削れ!」
巨大な白い爪が空間を通過する。
物質的には何も傷つけず、精神的にだけ致命的な傷を負わせる。
人間から思考を削り、四肢から感覚を抉る。
掠めることさえ出来れば、それだけで精神を破壊する。
そう、掠めることさえ出来れば…
「…チッ」
白い爪は空を切り、フェレスは舌打ちをした。
命中したのは不意打ちの初撃のみ。
残りは全て赤鷲の服を掠ることさえない。
「動きが鈍くなっているな。流石に限界か?」
フェレスから距離を取ったまま赤鷲が呟いた。
痛覚を遮断しているとはいえ、既にフェレスの肉体は重傷を負っている。
火傷で感覚が麻痺し、思うように身体が動かせないのだ。
そんな調子では、まともに戦えなくて当然。
むしろ…
(…ここまで戦えていることに疑問を感じる)
既に幾度も爆撃を受けているが、フェレスは死んでいない。
精鋭の騎士達を一撃で殺傷し、ムースを沈黙させた攻撃をまともに受けているにも関わらず…
赤鷲に手加減をしている様子も、手加減をする理由もない。
だとすれば、赤鷲の『爆弾』は人によって威力が変化すると言うこと。
(段々分かって来たな。その正体…)
怒っていた頭が冷え、フェレスは静かに思考する。
こうして思考している間に追撃してこないことも奇妙だ。
追撃、そう赤鷲は追撃を行わない。
背を向けるレプス達を攻撃することはなかった。
まるで迎撃するようにムースとフェレスだけを攻撃した。
それは…
「何を黙っている? この赤鷲を倒す算段でもついたのか?」
沈黙するフェレスを不審に思ったのか、赤鷲が言う。
「無駄だ、やめておけ。英雄に勝てる人間などいない。命が惜しければ尻尾を巻いて逃げ出すことだ」
「…やけに拘りますね」
「…何?」
フェレスの浮かべた薄ら笑みに赤鷲は訝しげな顔をした。
その表情を見て、調子を取り戻したフェレスは笑みを深める。
「英雄、化物、そして『赤鷲』…君は他人からそう思われることに執着しているように見える。違いますか?」
「…少し違うな。俺は正真正銘の『赤鷲』だ」
赤鷲は何か激情の込められた目をフェレスに向けた。
執着とも願望とも付くドス黒い感情だった。
「俺は赤鷲の生まれ変わりだ」
自身を赤鷲と名乗る男は、そう告げた。
自らの出生と宿命を告げた。
「俺は赤鷲の子孫なのだよ。この肉体には赤鷲の魂と、その力が受け継がれている」
「…は、英雄の生まれ代わりと来ましたか」
失笑するようにフェレスは言う。
帝国一有名な英雄の末裔。
そんな物を自称する人間など、探せば腐るほどいる。
だが、単なるホラ吹きと一蹴できない力が赤鷲にはある。
「町一つ焼き払うのが英雄の所業と言うのですか?」
「赤鷲の伝承を知らないのか? 一つの悪を町ごと滅ぼしたこともある苛烈な英雄なのだぞ?」
少しだけ楽しげな声色で赤鷲は言う。
「英雄は人など救わない。悪を、化物を、人を、ただ憎むだけだ。その憎悪が結果的に世界を救ってきたに過ぎない」
「中々面白い英雄考察ですが、それが君だと?」
「そうだ。俺は赤鷲の魂を引き継ぐ者だ。生まれる前から宿った心、コレを宿命と言わずに何と呼ぶ」
英雄の子孫。
生まれた瞬間から魂に刻まれていた道。
それを果たすことだけが目的なのだろう。
赤鷲を名乗る、この名も知れぬ男の全てなのだ。
「…君に本名はないのですか? そうなる前の君は何に成りたかったのですか?」
「そんな質問に意味はない。俺は赤鷲であり、赤鷲が俺だ」
人形のように赤鷲は言った。
何一つの迷いもなく、狂気すら感じる声色で断言する。
『宿命』と言う名の呪いに呑まれ、自己を失ってしまった人形。
それが赤鷲の正体だった。
「…なるほど、やっと分かりましたよ」
納得したように頷くと、フェレスは赤鷲へ肉薄した。
白い爪を構え、大きく振り被る。
今までよりも隙の多い攻撃だった。
爆弾による迎撃を気にして、今までは出来なかった大振りだった。
「それでは俺を殺せないと未だ理解できないのか」
構えすらしない赤鷲からアニマが放たれる。
『見えない爆弾』は振り上げたフェレスの右腕に設置された。
「状況は変わったことが未だ理解できないのですか?」
「何ッ?」
フェレスの右腕が振り下ろされる。
油断していた赤鷲の右肩を抉るように、叩き込まれた。
左腕に加えて右肩から先まで感覚を失った赤鷲は思わず、地面に倒れ込んだ。
設置された爆弾が起爆することはなかった。
それどころか、フェレスに見えない爆弾は少しずつ形を崩して霧散してしまった。
「これで五分ですね」
フェレスは呆然とする赤鷲を見下ろして呟く。
「立ちなさい、赤鷲の贋作。敗北の味ってやつを存分に味あわせてあげますから」




