三十二人目
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
東の森より現れた『 』は全てを呑み込んでしまいました。
男も女も、子供も大人も、森も家も太陽さえも…等しく呑み込んでしまいました。
しかし、絶望する人々を守る為、一人の騎士が立ち上がりました。
その赤い騎士は決死の覚悟で『 』に挑み、
そして――――――
「………」
読んでいた蛇の本を閉じながら、レプスはため息をつく。
所々に読み辛い部分はあるが、中身は単なる英雄譚だ。
世界を呑み込もうとする化物と立ち向かう赤い騎士の話…
「…赤い、騎士」
有名な所だと騎士団の創設者と言われる『赤鷲』が近いが、帝国に残っている赤鷲の伝承に『怪物退治』なんて物は残っていない。
伝承の赤鷲は英雄を絵に描いたような人物だったらしく、当時災害で疲弊していた帝国を救い続け、
その最期は火災から多くの人々を救助することで、命を落としたと言われる。
「……ッ」
火災、災害。
その言葉は相変わらず、大嫌いだ。
そもそも、どうしてこの国はこうも災厄に見舞われることが多いのだろうか。
赤鷲の時代と言い、十年前と言い…
どうしてこんなにも、悲劇で満ち溢れているのだろう。
「この世は悲劇で満ち溢れている」
討伐隊壊滅の報告を受け、ゼノは一人呟いた。
シーミアを隊長とする赤鷲討伐隊は、一人残らず行方不明と報告にあった。
冷酷で個人主義のゼノであるが、有能な部下が無為に失われたとすれば思う所がない訳でもない。
『アニマ』と言う結果を求めた貴族の命令で騎士が命を落としたのは初めてではない。
「………」
現在の騎士団は貴族の狗だ。
貴族の機嫌で動き、戦って死ぬ。
そのように騎士団を変質させた者は…ゼノ本人だ。
「………」
あの災厄で騎士団は崩壊の危機を迎えていた。
当時の騎士団長は復興を行いながら帝国に救援を求めたが…答えはなかった。
アルブスは見捨てられたのだ。
災厄を生き延びた者達も次々と死に絶えた。
現状を憂いたゼノは『ある噂』に引かれた貴族と交渉し、アルブスに新たな秩序を築いた。
選民思想、身分格差、異端審問、貴族とゼノによって騎士団は変わって行った。
当然、それを良く思わない者もいた。
『騎士団とは万人の為に動く組織でなければならない! その理念さえ忘れたか、ゼノ!』
当時の騎士団長はゼノを糾弾した。
だが、ゼノはその言葉に何も感じなかった。
何故ならゼノは災厄以前の騎士団を知らないから。
あらゆる記憶を失ってしまったから。
『…お前、変わったな』
それが、ゼノが最後に聞いた騎士団長の言葉だった。
変わった。
変わっただと?
お前がどれだけ『私』を知っていると言うのか?
私が知らない『私』を、私よりも覚えていると言うのか?
私とは、誰なんだ?
「……ッ」
ゼノは小さな墓石の前に立っていた。
聖堂近くに設置された災厄の犠牲者を弔う墓地。
その中の一つ、
『カニス』と名前が刻まれた古びた墓石を見つめる。
その名前を、ゼノは覚えていない。
その顔を、その声を、覚えていない。
殆ど何も覚えていないが、一つだけは覚えている。
その名前を忘れてはならなかったことだけは…
(…あと少しだ)
ゼノは目の前で眠る『誰か』に告げる。
長かった苦悩も、もう少しで終わる。
あの時に失った物を、全て取り戻す。
「久しぶりだな」
その時、声がした。
物静かと言うよりは気怠そうな男の声。
赤い羽根マントを纏った男が、ゼノの背後に立っていた。
「前に会ったのは、もう十年前か…」
男は赤い羽根を散らしながら、思案するように言う。
「…まさか」
男の正体に感付き、ゼノは僅かに後退る。
十年前、貴族の命令で一度だけ交戦することになった相手。
瀕死の重傷を負わされ、命辛々逃げ延びた因縁の男。
「赤鷲…何でお前が、この場所に…!」
「…先に手を出したのは、そちらの方だ」
そう言うと、赤鷲は懐から数枚の布を捨てる。
それは焼け焦げた騎士服の残骸だった。
行方不明となっている討伐隊の身に着けていた物と同じだ。
「騎士団の精鋭を皆殺しか…化物め」
「あまりそういう言葉を使わない方が良い。命を縮めるぞ」
「…この私を、容易く殺せると思うな」
ゼノは懐へ手を入れ、自身の『得物』を取り出した。
銀製の細い針を両手に構える。
飾りのような剣よりもゼノが信頼する暗器だ。
「剣で斬り合うのは苦手でな。もっと手軽に人を殺せる得物を使うとしよう」
針の先端には毒が塗ってある。
様々な研究で得た『アニマを殺す毒』が仕込んである。
「………」
「ッ!」
無言でこちらを見据える赤鷲へゼノは飛び掛かった。
どんなに強力なアニマを持っていようと、この毒を受ければ無力化する。
アニマ頼りの寄生者が能力を失えば、後は赤子の手を捻るような物だ。
右手に構えた針が、赤鷲の腕に触れる。
その瞬間だった。
ゼノの右腕が、肩から爆発した。
まるで内部から破裂するように、肩より先が千切れ飛ぶ。
「ぐ、ぐあああああああ!」
乱暴に引き千切った布のようになった肩を抑え、ゼノは絶叫する。
その声に、赤鷲は僅かに眉を顰めた。
それだけだった。
「ぐ………くそっ」
考えが甘かった。
触れることさえ出来ないとは、やはり次元が違う。
この男は、本当にアニマ寄生者なのか。
「私はまだ、死ぬ訳には…!」
無事だった左手に毒針を握り、ゼノは立ち上がる。
記憶を、心を取り戻す。
あの時に失った『自分』を手に入れる。
その為に、こんな所で死ぬ訳にはいかない。
激痛を堪えて左手で針を投擲する。
避けることすらしない赤鷲へ毒針が迫る。
毒針が赤鷲の顔に触れる瞬間、
ゼノの身体が胴体から爆ぜた。




