第5話 1986年8月13日
7月27日。土曜日。午前10時。
鳴瀬市立図書館は、駅の反対側の、古い市役所の隣にあった。
2階の奥に「郷土資料室」という小さな部屋があって、地元の新聞の縮刷版が年ごとに棚に並んでいた。「鳴瀬日報」。この辺りの家なら、どこでも取っている地方紙だ。実家でも、母が毎朝読んでいた。
昭和61年の8月の巻は、背表紙の布が擦り切れていた。
私はそれを抱えて、窓際の閲覧机に座った。
ページをめくる指が、少し震えていた。8月13日の夜に何かがあったのなら、記事が載るのは翌日の14日か、その次の日だ。
8月14日。朝刊。
社会面の下のほうに、小さな記事があった。
『帰宅途中の会社員 はねられ死亡 白萩町』
息が止まった。
『13日午後10時55分ごろ、鳴瀬市白萩町2丁目の市道交差点で、横断歩道を渡っていた同町、会社員瀬尾陽太さん(24)が、右折してきた大型トラックにはねられ、頭を強く打って間もなく死亡した。鳴瀬署はトラックを運転していた男を業務上過失致死の疑いで調べている。瀬尾さんは勤務先から自宅アパートへ帰る途中だった。』
白萩町2丁目。
コーポ白萩の前の通りを、商店街のほうへ少し行ったところに、信号のある交差点がある。私が毎朝、会社へ行くときに渡る交差点だ。
午後10時55分。
交差点から、アパートの階段を上って、204号室の鍵を開けるまで。ゆっくり歩いても、5分はかからない。
11時。
あの人は、帰り着くはずだった時刻に、今も帰ってきている。
瀬尾陽太。24歳。
私と、同じ歳だった。
*
記事には、写真も、それ以上の説明もなかった。遺族の言葉も、恋人のことも、何も書かれていなかった。40年前の、どこにでもある交通事故の記事。翌日の紙面には、もう続報はなかった。
私はしばらく、その小さな活字を見つめていた。
陽ちゃん。
夢の中で、あの女の人がそう呼んでいた。
風鈴、今度な。今度今度って、いつもそればっかり。
カレンダーの、8月13日。赤い丸と、『風鈴』の2文字。
あの人は、あの夜、風鈴を買って帰る途中だったのだろうか。
縮刷版を閉じようとして、私はふと手を止めた。
久住さんは言っていた。3回目の返事をして、この部屋で死んだ人がいる、と。
それがいつのことなのか、私は知らなかった。
*
受付の年配の司書さんに訊くと、平成以降の鳴瀬日報は、館内のパソコンで記事を検索できるということだった。
「地名で探すなら、『白萩』でいいと思いますよ」
司書さんは親切に操作を教えてくれた。私は礼を言って、パソコンの前に座った。
検索欄に、「白萩 アパート」と打ち込んだ。
十数件の記事が出てきた。商店街の夏祭り。空き店舗の活用。古いアパートの取り壊し計画。どれも関係なさそうだった。
画面をスクロールしていく指が、止まった。
『アパートで女性死亡 死後数日か 白萩町』
平成21年、10月9日。2009年だ。
『8日午後、鳴瀬市白萩町2丁目のアパートの一室で、この部屋に住む無職、仁科佳代子さん(41)が死亡しているのを、訪ねてきた親族が見つけた。鳴瀬署によると、目立った外傷はなく、死後数日が経過しているとみられる。事件性はないとみて、死因を調べている。』
アパートの名前は、書いていなかった。
部屋番号も、書いていなかった。
でも、私には分かった。
記事の最後に、一文だけ、奇妙な記述があった。
『仁科さんは、二人分の食事が用意された食卓の前に座った状態で見つかった。』
二人分の食事。
水切りかごに並んだ、2膳の箸。
冷蔵庫の、麦茶のポット。
私はマウスから手を離して、両手を膝の上で握りしめた。そうしないと、震えが止まらなかった。
*
図書館からの帰り、私はアパートの前の交差点で足を止めた。
白萩町2丁目の交差点。40年前、瀬尾陽太さんがトラックにはねられた場所。
昼下がりの交差点は、何の変哲もなかった。信号が変わり、車が行き交い、日傘を差した女の人が横断歩道を渡っていく。
電柱の根元には、あのガラスの牛乳瓶があった。
入居した翌朝に見たときは、萎れかけた小菊が挿してあった。今日は、別の花に替わっていた。白と黄色の小菊が3本。少し元気をなくしかけてはいたけれど、瓶の水はまだ澄んでいた。
角にある小さな花屋の軒先で、店番のおばあさんが、水を撒いていた。
「あの、すみません。この瓶のお花、どなたが」
おばあさんは、柄杓を持ったまま、ちらりと瓶のほうを見た。
「ああ、それね。白萩のアパートのおじいちゃんよ。久住さん」
私は、息を呑んだ。
「毎月13日になるとね、うちで小菊を買っていって、そこに挿していくの。もう何十年になるかしらねえ。私がお嫁に来た頃には、もうやってたから」
「何十年も」
「そう。誰のためなのか訊いても、教えてくれないのよ。昔、そこで事故があったらしいけど」
おばあさんは、また柄杓で水を撒き始めた。
「お盆の13日だけはね、小菊じゃなくて、朝顔の鉢を買っていくのよ。不思議な人よねえ」
ベランダに並んだ、5つの朝顔の鉢。
私は、礼を言って、花屋を離れた。
交差点の信号が、赤に変わった。電柱の根元で、小菊が小さく揺れていた。
*
アパートに帰ったのは、昼過ぎだった。
外階段を上がって、205号室のドアをノックした。返事はなかった。朝顔の鉢植えは、ベランダに並んだままだった。どこかへ出かけているらしかった。
私は204号室に入った。
昼間の部屋は、何も変わらないように見えた。明るくて、蒸し暑くて、古い畳の匂いがした。窓際の鴨居には小さな釘。柱には、昭和61年のカレンダー。洗面台には、2本の歯ブラシ。
私は玄関にしゃがみ込み、下駄箱の扉を開けた。
黄ばんだ便箋。
『夜11時に玄関から声がしても、返事はしないでください。』
その下の、擦れて読めない一行。
スマホのライトをつけて、紙に向けた。正面からでは、やっぱり読めなかった。インクが、ほとんど残っていない。
ライトを、紙の真横に近い角度から当ててみた。
ボールペンで書いた字は、インクが消えても、紙に筆圧の溝が残る。子供の頃、母がそうやって、メモ帳に残った前のページの字を読んでみせてくれたことがあった。
光が、紙の表面を斜めに滑った。
細い溝が、影になって浮かび上がった。
私は、一文字ずつ、声に出さずに読んだ。
『3回目は、あなたが待つ人になります。』
待つ人。
その字は、最初の一行よりも、ずっと崩れていた。何度も書き直したように溝が重なって、最後の「す」の字は、紙が破れる寸前まで強く押しつけられていた。
書いた人は、たぶん、怖かったのだ。
怖くて、それでも、次に来る誰かのために書き残した。そして、その一行を、何度も何度も指でなぞった。自分に言い聞かせるように。返事をしてはいけない。3回目をしてはいけない。
仁科佳代子さん。41歳。
二人分の食卓の前で、座ったまま見つかった人。
この人は、3回目の返事をして、待つ人になった。
帰ってくる誰かを、この部屋で、ずっと待ち続ける人に。
*
その夜、私は台所の電気をつけて、布団の上に正座していた。
スマホのメモを開く。
7月8日 1。
7月22日の「お疲れさまです」は、数に入らなかった、と思う。あの夜、部屋は何も変えなかった。
だから、まだ、1。
あと2回で、私は仁科さんと同じになる。
11時。
かちゃり。
ドアの開く音。湿った涼しい風。
「――ただいま」
いつもの声だった。
私は唇を噛んで、黙っていた。
声は、そこで終わるはずだった。いつもなら。
でも、その夜は違った。
少しの沈黙のあとで、玄関のほうから、もう一度声がした。
「……みっちゃん?」
誰かを探す声だった。
靴を脱ぎかけたまま、部屋の奥に呼びかける声。返事がないのを、不思議に思っている声。
「みっちゃん。いないの?」
すりガラスの向こうで、影が動いた気がした。
背の高い、痩せた影が、玄関から台所へ、一歩、上がってくる。
「……帰ったよ。遅くなって、ごめん」
私は、両手で口を押さえた。
この人は、40年間、ずっと探しているのだ。
あの夜、自分を待っているはずだった人を。
カレンダーの8月13日まで、あと、17日だった。




