第05話【進化】
ついこの間まで、文芸部室にいるのは俺と理心だけだった。
そこへ新たに通うようになった生徒が一人。給仕部とかいう変人集団の一人、朝霧怜。
理心には飲み物や食事を出し、部室の雑務も率先してこなすメイドさん。
俺が到着するやいなや冷えた缶ビールを差し出し、理心の食事と並行してつまみまで作ってくれる、大変出来た子だ。
初対面ではだいぶ面食らったが、こいつは一日ごとに俺と理心の趣向を吸収し、あっという間に部室へ馴染んでいった。
いつものように部室へ足を運ぶと、怜が出迎えてきた。
「お疲れ様です♪ 先生♪」
弾むような声。
ここ数日で何度も聞いたその声に、だんだん安心感を覚えるようになっている自分がいる。
「お疲れっす」
続くのは、相変わらず心ここにあらずな声。
本から視線も外さず読書に耽っている、いつもの理心だ。
「理心、行儀悪いぞ」
寝そべったまま、長机のティースタンドにあるケーキを手掴みで食っている。
「それがお嬢様のやることか」
「お嬢様?」
怜がすかさず反応するが、そこは流す。
「それやめろっす。先生こそ、部室で酒飲む教師ってどうなんすか」
「ここは俺のプライベートルームだ。後から入ってきたお前に文句を言われる筋合いはない」
「いや、生徒として言う筋合いあるっす」
いつものデスクに腰掛ける。
「はい♪ 先生♪」
待ってましたとばかりに、怜がビール缶を差し出してきた。
この数日、俺は自分で冷蔵庫から酒を取り出していない。
席に着けば怜がビールを渡し、つまめる料理を小皿に分けて出してくる。
「さんきゅ」
短く礼を言って、ビールで疲れた心身を癒す。
もう、日課になりつつあった。
「プライベートルーム、ですか♪」
怜がさっきの俺の言葉を反芻する。
「でしたらもっと、色んな設備を充実させなければいけませんね♪」
「そうだな。これ以上快適なら言う事なしだ」
何気なく返した一言だった。
怜はにこにこしながら、部室を見渡してぶつぶつと独り言を言い始めた。
「ならここをこうして、ここはこうで……広さが足りないから部長に相談して……」
何を言ってるのかはよくわからん。
だが生徒が楽しそうなので、まあ良しとしよう。
缶ビールを呷って、乾いた喉を潤す。
美味い飯に、美味い酒。贅沢なひとときだ。
なんとなく夕暮れのグラウンドを見る。
運動部の連中がきらきらと青春の汗を流している光景を眺めながら飲む酒というのも、悪くない。
ふと、自分の青春時代を思い返しかけてやめた。
そんなにいいもんじゃなかった。
「先生、理心さん、私頑張ります♪」
なにやら張り切っている怜に対して、俺と理心は顔を見合わせる。
「ああ」
「ういっす」
軽く相槌を打って流した。
この時の俺はまだ、給仕部というものの本質を知らなかった。
まさか一日で、今までの日常を形ごとぶっ壊すようなことになるとは思ってもいなかった。
次の日。
昼間からやけに工事の音がうるさいとは思っていた。
だが気にも留めず、仕事を片づけていつものように部室へ向かう。
そこで、部室の前に立ち尽くす理心を見つけた。
「どうした?」
「これ、どうなってんすか」
「なんだ……これ」
部室の扉はいつも通りだった。
だが、扉を開いた先は未知の領域だった。
扉の先は、昨日まで過ごしていた部室の名残をほとんど残していなかった。
まず目に飛び込んできたのは、真新しい長机とソファーだ。
つい昨日まで使っていた年季の入った机も、だらけるにはちょうどよかったソファーも、跡形もなく消えている。
俺のビールしか入っていなかった小型の冷蔵庫も、いつの間にか大型の冷蔵庫へと変貌を遂げていた。
それだけでも十分おかしいのに、さらに意味がわからないのはその奥だった。
部屋の一角にはカウンターが増設され、その向こうには簡易どころでは済まされないキッチンスペースが広がっている。
冷蔵庫、電子レンジ、そのほか見たこともない調理用の電子機器が整然と並び、もはや部室というより店の厨房に近い。
床も壁も内装も、すべてが洋風の空間へと変わっていた。
文芸部室だった場所は、いつの間にか洒落た喫茶店みたいな空間になっている。
いや、それだけじゃない。
部屋そのものが広い。
昨日までこんな広さはなかったはずだ。
よく見れば、隣の教室との境界だった壁が消えている。どう考えても、あれを取っ払って繋げたんだろう。
そして、その広がった先にあるものを見て、俺は頭を抱えた。
大型のベッド。
シャワー室と思しきスペース。
ついでにトイレまである。
「部室っつーか、誰か人ん家みてーになってる!」
「力作です♪」
嬉しそうにそう言いながら、怜が紅茶の用意をしている。
どうやら昨日の一晩でこの部屋の内装を構想し、今朝には給仕部のつてを使って工事を始めたらしい。
そして半日で工事を終わらせて、今に至る。
意味がわからん。
行動が早いとかそういう次元じゃない。
俺が愛用していたデスクも、いつの間にか新調されていた。
前のくたびれた机とは違って、無駄に高級そうだ。しかも引き出しや仕掛けがやたら多い。絶対いらん機能までついてるだろ、これ。
「落ち着かないっす」
理心が借りてきた猫みたいに身体を強張らせながら、ティーカップを傾けている。
昨日までソファーで寝そべって本を読んでいたやつと同一人物とは思えない緊張っぷりだ。
俺も俺でかなり動揺していたが、とりあえず目の前に置かれた酒を手に取る。
「どんだけ大規模な改装っすか」
「しかも一日で……な」
「工事費用とかどうなってるんすかね」
「俺に聞くな……」
気づけば、高級そうな机の上にはキンキンに冷えた缶ビールが用意されていた。
「酔えばこの現実も受け入れられるかもしれん」
「最悪な形の現実逃避っす」
理心のツッコミに反応する余裕もなく、そのまま酒を口に含んだ。
……次の瞬間。
「ぶへぇっ!」
「汚っ!」
飲み込むのを忘れたビールが、そのまま口から逆流した。
「あら大変、お召し物が」
怜が素早くタオルを持ってきて、俺の身体を拭い始める。
いや、俺はいい。
俺よりまずこの高級そうな机を気遣ってやってほしい。切実に。
ビールを吹き出したおかげで、逆に少しだけ余裕が戻ってきた。
俺は改めて、ニュー部室を見渡す。
洋風モダンな内装。
暗すぎず明るすぎない上品な照明。
喫茶店みたいな雰囲気。だがカウンターの奥は、高級レストランの厨房みたいに調理器具と機材が並んでいる。
紅茶用の道具、珈琲用らしいミルまである。
怜はその厨房に戻り、奥でなにやら楽しそうに作業中だ。
「なあ理心」
「なんすか」
「どうなってんだこの状況は」
「私も知らないっすよ」
「なんで一日でこんな様変わりするんだ。反抗期の子供でももう少しゆるやかに変わっていくもんだろ」
「例えが意味不明っす」
「お前は何も思わんのか」
「先生」
その時、理心が意味ありげに笑った。
寂しそうにも見えるし、嬉しそうにも見える、妙な笑みだった。
「人生に変化は付き物っす」
そう言って、理心は新調された高級そうな革張りのソファーに、いつものように寝そべる。
「それにこのソファー、めっちゃ柔らかくていい感じっす」
少しだけ間を置いて、理心は言った。
「良い変化なら、大歓迎っす」
……まあ、たしかに。
部室は広くなり、調度品も洒落たものに変わった。
家電は増え、シャワー室やトイレまで増設された。
本来なら、喜ばしい進化なんだろう。
だが俺は少しばかり落ち着かなかった。
ちょっと小汚かったり、古びていたりするくらいの方が、過ごしやすいし使いやすい。
新しい部室に慣れるには、少しばかり時間がかかりそうだった。




