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第58話【妖怪】

 翌日、昼頃まで寝ていた俺は怜が作ってくれたブランチを腹に入れてのんびりしていると、真白から「おばあさまがお呼びよ」と理事長室に呼び出された。


 広大な学園の敷地の中心にそびえる巨大な時計塔。

 展望室を除き、招かれない限り、立ち入りが制限されているその場所に理事長室はある。


「行きたくねえ」


 入口で警備の人から認証キーを受け取りエレベーターに乗り込んだ。

 全面ガラス張りの小さな箱に乗り込むと不思議な浮遊感に包まれながら階上へと進んでいく。

 高所恐怖症の奴は絶対に乗れないな。俺だって怖いもん。

 理事長室のある最上階までぐんぐんとエレベーターは上がっていく。

 目的の階に着くと、それを知らせる甲高い音が鳴った。

 ゆっくりと扉が開かれる。細長い通路が現れ、その先にまた電子扉がある。特別な認証キー、もしくは中からの開錠がないと入れないようになっている。


「よう玄」


 扉の前で佐竹が待っていた。天井からのライトに反射する禿頭が眩しい。目の前に照明が追加されたような輝きだ。


「よう、佐竹」


 ここに来るのは何年振りだ? 最後に来たのは確か俺が教師として採用された時以来だからもうかなり前だ。理事長にもそれ以来直接は会っていない。あの妖怪は変わらず元気なんだろうか。


「お前が容赦ないせいでオレの財布から万札ちゃんが一人消えたぞ」


 俺をだしにした凛との仕合のトトカルチョか。


「俺が生徒に負けるかよ」


「誰にでも勝てるとは思わねえこった。化け物には、人間じゃ勝てねえ」


 あ? と聞き返した俺を無視して、理事長室へ繋がる電子扉のロックを解除した。

 大袈裟なセキュリティの割に、中は相変わらず簡素だ。

 部屋の左右の壁一面に本棚があり、中央にはローテーブル。それを挟むように一人掛け用の黒いソファーが左右二個ずつ並んでいる。

 部屋の最奥。

 広々とした豪奢な机。

 黒光りする電動の椅子に座り、高所からの風景を背後にこちらを見て微笑む妖怪。


「ご無沙汰~、鬼童玄呼び出されてきてやりましたぞっと」


「相変わらず、不遜な態度じゃねぇですか。玄坊」


 幼さを感じる高い声の主は天城黒音。この学園の理事長で齢七十にもなろうかという老女だ。だというのに――。

 銀色の長い髪。狐のような目。皺ひとつない肌。

 おおよその印象は、中学生みたいな女の子だ。

 まさか今年で七十歳になろうかという老人とは思えない。

 初めて会ってから二十年近く経つが、その頃からこの人の見た目は少しも変わっちゃいない。


「あんまりおばあさまに変な口聞かないでよ、冷や冷やするわ」


 ソファーに座る真白が俺を睨み付ける。

 真白の座るソファーの背後には、いつも通りライアンが控えている。

 そして真白の対面には冬一郎、その隣には村雨天理の姿があった。


「どういう状況だよ」


 理事長だけでも卒倒ものの大物だってのに、それに加えて天下五剣が二人もいやがる。


「鬼童先生、こんにちは。とりあえず座ったらどうです?」


 天理に示されるまま、真白の隣のソファーに腰を下ろした。


「俺はなんで呼ばれたんだ?」


 こんな連中に囲まれる覚えはねえぞ。


「私からは午前中に開かれた会議の決定事項の通達だけ」


 まず真白から話し始めた。


「田島や暴徒を擁した業者と関わりのある企業は今後一切永久に取引中止。規模は縮小するけど、今後は柳生家からの紹介で業者を入れることになったわ」


 冬一郎のお家ね。天下五剣一席が懇意にしている所なら下手な真似は打たないと判断したのか。まあ妥当だな。


「それで?」


「私からはそれだけよ。学園の運営どうこうは玄には直接関わりないし、あくまでもただの通達。――次は冬一郎かしらね」


 真白はふんぞり返りながら顎で冬一郎に投げた。

 元許嫁にずいぶんな態度だなこいつ。


「おれか――」


「貴方の事はだいぶ多めに見てるのよ。知ってること、全部吐きなさい。学園内で教師と刀傷沙汰。貴方も立派な暴漢として拘束してやりたいところよ」


 吐き捨てる真白に冬一郎は気にした様子もなく続けた。


「知っていることと言われてもな。玄の生徒、藤咲理心の件で構わないのか?」


「やっぱなんか知ってるのか」


「深くは知らん。そういう動きがあることくらいは、五剣関係者なら誰でも知っているだろう」


 冬一郎は隣の天理に視線を向ける。


「そうなんですか? 私は藤咲になんて興味ないので何も知りませんでした」


 天理は見下すように冬一郎を睨み返す。


「興味がない?」


 俺は疑問に思った。若くして才能ありとして成り上がった人物なんだろ、理心の兄は。まあ天理よりかは年齢は上かもしれないが、同じカテゴリの人物にこいつが関心を持たないってのも変じゃないか。


「ええ。ある意味異常な執念の持ち主ですけど、私には刺さりませんね」


 どういう意味だ?

 俺は冬一郎を見た。


「……天下五剣で藤咲に関心を向ける者は、いないだろうな」


「なんなんだよ」


「昨日、貴殿に言った通りだ。いまの天下五剣の内部はそれほど純粋じゃない」


「はっきり言えよ。お前は昨日からずっと何が言いたいのかわかりゃしねえ」


「お金ですお金。それとコネクションですか。藤咲はあれよあれよと天下五剣の末席に座ることになりましたが、そこに彼の武力は介在していません。財閥としての藤咲の財力、そして人脈を使って作られた偽りの権威です」


 冬一郎の代わりに、天理がしかめっ面で言った。

 金と人脈? 天下五剣ってのは国から認められた最強の剣客に与えられた称号じゃなかったのかよ。


「そういう事だ。天下五剣の者は、彼奴には何の感情も抱いていない。汚れた制度が生んだ異物だ。強さを誇示したい我らとはそもそも在り方が違うのだ」


「汚職とかそういう話が絡んでる?」


 やめてくれよ、政治とかには疎いんだ。もっと簡単に言ってくれ。


「そうですね。藤咲を押し上げて利用しようと企む政治関係者は多いでしょう。それ以上に敵もわんさかいますけど」


「敵?」


「藤咲理心さん、でしたっけ。彼女を利用して藤咲……なんでしたっけ?」


 天理は隣の冬一郎に問い掛けた。


「藤咲零士。その失脚を狙うのはいずれも天下五剣の候補者だろう。金と人脈で不正に成り上がったような人物を、研鑽を積んできた人物が許せないと思うのは自然であろう」


「それだけに、一枚岩ではないんですよ。五剣一人が正式に抱える候補者は五名。その下を上げれば枚挙にいとまがありません」


 少しずつ、二人の言葉を飲み込んで整理していく。

 金で成り上がった理心の兄をよく思っていないのは、そのせいで天下五剣になれなかった候補者たち。

 天下五剣一人に付き、五名までを候補者として抱えられる……。


「つまり、多くの流派が介在してるからその正体までは追えないってことで合ってるか?」


「概ね、その通りだ。だが、それだけではない動きも感じる」


「それだけじゃない?」


 なんだよ。


「藤咲零士自身が、兵を動かしている可能性もあると言う事だ」


「はあ?」


「妹を守護しているのか、それとも別の理由かは分からないがな」


 どこまでも要領の得ない奴だ。

 無駄に混乱しただけだ。


「お前らも候補者とやらがいるんだろ、そいつらの仕業じゃねえのか」


「おれの下にそんな矮小な考えを持つ奴がいるとは思えないな。発覚すれば切り捨てられることくらいわかっているだろう」


「そもそも私は候補者を取っていません」


「なんだと?」


 天理の発言に冬一郎が目を剝いた。


「必要ないので。剣に固執した古い文化にも、剣でしか物事を語れない武刃という存在にもうんざりしていますから」


 涼しげに、テーブルに置かれたグラスを手に取りちゅーちゅーと吸い上げる。

 色から察するにオレンジジュースかなにかだ。

 言い合いに発展しそうな二人を制した。


「どうでもいい、本筋はそこじゃねえ。結局、理心を狙ってる奴らの正体は分からねえってことじゃねえか」


「そうですね」


 そうですねってお前。完全に他人事だな。まあそうなんだろうけど。


「でも、しばらくは安全でしょう。昨日の放送で明言したので。これから天下五剣になろうとする者が一席と二席に反意を示したりはしないんじゃないですか」


 逆らうなら第一席と第二席に対しての敵対行動とみなすとかいう放送か。


「あれは昨日の暴動を治める為の方便じゃないのか?」


「それはそうですけど、少なくとも、学園内で騒ぎを起こすと私たちが出てくるというのは伝わったと思いますよ。あ、おかわりいいですか?」


 ジュースを飲み干した天理はグラスを掲げた。それをライアンが受け取り新たに注いだオレンジジュースを渡す。


「どうも――まあそんなわけで少しの間の抑止力にはなるでしょう」


「そうかもしれぬな」


 天理の考察に首を縦に振る冬一郎。本当かよ。楽観視しすぎな気もするが、天下五剣の内情に疎い俺よりもこいつらの方が詳しいのだけは確かだ。


「ここまでが現状の確認です。理事長さんに許可は貰ったので、その暇な時間を使って私が鬼童先生を矯正します」


「はい?」


 突然の方向転換に脳が追いつかなかった。

 理事長に許可を貰った? ――俺からは?


「刀相手の捌きや受けが未熟です。私と太陽で鬼童先生を鍛えて差し上げましょう」


「なんだそれ……何を勝手に決めてんだ」


「安心してください。いずれ私のモノになる先生を鍛えるのに見返りを求めたりしませんから」


「お前のものになんかならねえよ! 昨日の話の続きかこれ!?」


「そうですよ? 勧誘目的じゃなければこんな場にわざわざ来ません」


 こんな場って……あの妖怪の前でよくもまあ言えたな。俺以上の怖いもの知らずな奴だ。


「玄坊、腕が鈍ってるらしいじゃねぇですか。自分を傷付けるやり方はおめぇさんには似合わねえですよ。一回鍛え直して貰えばいいじゃねえですか」


 黙って聞いていた理事長が口を挟んだ。

 この妖怪め、他人事だと思って好き勝手に決めやがって。


「あんたこの学園をどうしたいんだよ……ただの教師を強くしてどうする」


「おめぇさんの役目はただの教師じゃねぇですよ。最初に言ったこと忘れやがったんですか?」


 覚えてるけど。本気とは思っちゃいなかったぞ。

 最初は理事長本人、もしくは真白の護衛として学園にいろって話だったが、それを断ったら今度は特命係として籍を置けと言われた。

 特命係――要は今回の理心みたいな問題のある生徒が入ってきた時に守る役目。

 何年もそんな生徒はいなかったから、去年まですっかり忘れていた。


「凶暴性だけは健在みてぇですけど、それに身体が付いてきちゃいねぇ。いい機会じゃねぇですか。最強と揶揄される存在に教えを請える機会なんてそうそうねぇですぜ」


「こいつの場合はただの慈善事業じゃねえぞ。思想に協力しろっていう目的があって言い出してんだろ。俺はこいつの思想に付き合う気はねえ」


「私も無理強いするつもりはありませんよ。まずは交友を深めましょう。いずれ考えも変わるかもしれません」


「ほんと……どこまでも傲慢な小娘だ」


「褒め言葉として受け取っておきます。――では、可愛い可愛い天理ちゃんはここらへんで失礼させていただきます」


 話は済んだ、とおかわりしたオレンジジュースを一気に飲み干して天理は立ち上がった。


「一通り話は済みやがりましたか。なら玄坊と二人にしてくだせぇ」


「玄と二人に? おばあさま大丈夫なの?」


 何を心配してんだこいつは。どっちかというとこんな妖怪に指名された俺を心配してくれ。


「もうガキじゃねえんですから、平気でしょうよ。なあ玄坊」


「あ、はい。そうですね」


 恐縮せざるを得なかった。

 天理に続き、続々と退室し、俺は妖怪の前に一人残された。

 なんだよ、絶対碌な話じゃない。


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