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第42話【仕合】

 食後、俺はやると聞かない怜のマッサージを受けてから三人を寮に送っていった。普段より早いが、俺も飲んでないし昼に理心は暴漢に誘拐されかけていた為、早目の解散となった。

 一人で歩く夜道でさっきのホラー番組の記憶が一瞬フラッシュバックしてちょっとだけ怖くなったが、問題なく俺は部屋に着いた。

 そういえばあの後一度も立川凛は俺の前に現れなかったな。

 昼間、だいぶ慌てて去っていった背中を思い出す。

 実は怪我してたのを隠してるとかじゃないよな。

 まあ、どちらにせよ仕合とやらはもう気にしなくていいのかもしれない。俺は教員寮に戻ってきてしまった上に、生徒には一応門限があるから今日はもう会わないだろ。


「風呂でも入るか……」


 独り言を呟いた瞬間だった。部屋の呼び鈴が鳴らされた。

 開ける前から、誰の訪問なのか分かった。そういえば給仕部に門限の概念なんてなかったわ。

 風呂入る前でよかった……。


「あ、殿。夜分遅くに失礼いたします」


 扉を開けると、丁寧なお辞儀をしつつかしこまる凛がそこにいた。昼間の殿呼びは聞き間違いじゃなかったのか……。


「ずいぶん遅かったな」


 気にはなったが深く突っ込まないことにした。


「申し訳ございません。己の気を鎮めるのに少々時間がかかってしまいました」


「今からか?」


「はい。お相手いただきたく存じます」


 凛は真っ向から俺を見る。しかし一瞬で目を逸らした。


「どうした? 具合でも悪いのか」


 覗き込むように凛の視界を追う。


「はうっ! い、いえなんでもございます!」


「ございます?」


「なんでもございません!」


 言い直す凛。なんか知らんがだいぶ取り乱してないか。

 この調子で仕合なんて出来るのだろうか。


「調子が悪いなら日を改めてもいいぞ」


「いえ、お心遣い感謝いたしますが、問題ございません」


「そうか。お前がいいならいいけど……――どこでやる?」


「殿のしたい場所で構いません」


「それならこの裏手で――」


 言いかけて止める。隣の部屋の熊崎がドアを開けて様子を見ているのに気付いた。


「き、鬼童くん……生徒とそんな関係、駄目だと思うな……」


「はあ?」


 突然何を言い出すんだこいつは。


「お相手とか、したいとか、どこでやるとか……」


「おまっ……何勘違いしてんだ!?」


 熊崎にはこういうちょっとむっつりな一面があるのを忘れていた。



 なんとか熊崎の誤解を解いて俺と凛は建物の裏手のちょっとした広場に来ていた。熊崎は最後までどこか疑うような目で見てきたが。


「さて、いつでもいいぞ」


「はい。決して手心など加えないようにお願いいたします。隙があれば反撃していただいて構いません」


「俺は生徒も女も殴る趣味ないっての」


「一度きりと言った勝負。殴らずとも動きを制することがあれば、わたくしの負けでしょう」


「俺はお前が納得行くまでやってもいいんだぞ」


 酒も抜いた上に怜のマッサージでそれなりに調子が良い。


「いいえ。今朝お伝えした通り、二度はございません」


「そうかい。――なら、好きに始めてくれ」


「はい――」


 凛が構える。さっきまでの挙動不審ぶりは鳴りを潜め、目もきちんと俺を捉えている。さすが武家の娘。戦いとなると雰囲気が変わるな。


「参りますっ」


 凛は一歩踏み込み、駆ける。

 押さえ込んで終わりなら、すぐに済むか。

 俺の直前で止まり、手を伸ばして俺の服を掴みに来る。投げるつもりか?

 俺は凛の羽織を掴んで動きを止めようと手を伸ばす――が、それが罠だった。重心を後ろに置いたままの凛は上体を下げて俺の腕を避ける。

 そのまま顎を狙った掌底。

 距離感を欺く重心移動の技術に一瞬面食らったが、俺は首を逸らせてその一撃を避けた。

 掌底を振り上げた凛の腕を掴む。もう片方の手から放たれた拳も受け止め、そのまま押さえつけるように後ろ手に拘束した。なおも足を使って拘束から逃れようとする凛の足首を、俺は自分の足で押さえ込んだ。


「はい。終わり」


 密着し、身動きの取れなくなった凛に言う。


「……さすが、でございます。わたくしでは到底及ばぬ強さ。仕えるにふさわしい、殿方……」


 負けた悔しさ、というよりどこか安心したような声色だった。

 その時、植え込みががさっと音を立てた。

 熊崎が覗いていた。


「や、やっぱり! 駄目だよ鬼童くん、生徒に手を出しちゃあああああああ!」


「やっぱり?」


 こいつまだ疑ってやがったのか。ていうか盗み見るなよ。

 だが自分の体勢を思い出して思わずさっと血の気が引いた。

 凛を立ちながらにして拘束している。足技を止めようとした俺の足は凛の足と絡まり、密着状態。俺は凛の顔を見る。思いの外近い位置に顔があった。


「どっきゅん」


 どっきゅん?


「ご、誤解だ熊崎! まずは話を聞け!」


 ぱっと凛から離れる。


「誤解も何も完全にそういうプレイだったよ!」


「プレイとか言うな誤解されんだろうが!」


「もうしてるよ!」


「そうでしたね!」


 熊崎と言い合いをしている横で、凛は着崩れた袴を直している。

 そしていまだ納得してくれない熊崎に言った。


「お騒がせして申し訳ございません。此度の件はわたくしの方から言い出したことですので、お気になさらぬようお願いいたします」


 そう言って頭を下げる凛。その顔は何故か赤面していた。

 その一言で熊崎の誤解がさらに深まったのは言うまでもない。



 ***



「なーんだそういうことだったのか」


 凛に説明してもらい、ようやく納得した熊崎は悪びれもせずにごめんよ、と軽いジェスチャーをした。


「そうだよね、鬼童くんはそういう事する人じゃないと思ってたよ」


 どの口が言っているのかこいつは。

 さっきまで散々疑い、挙句の果てには盗み見した奴の台詞とは思えん。


「ていうかお前寮に戻ってるなんて珍しいな」


 熊崎はこう見えてかなり多忙だ。数学教師として教鞭を振るいながら管理の大変な酒造蔵の管理運営に学園の外の企業との打ち合わせなども行っている為あまり自由な時間がある方とはいえない。普通科の三年生にだけ日本史を教えているだけの俺とは大違いだ。教えているといってもほとんど教科書通りのことを言っているだけだしお気楽さも違う。


「今日は外注さんと打ち合わせしてそのまま帰ってきたんだ。たまには帰らないと部屋の意味もないからね」


 そういえばこいつ普段どこで寝てるんだ?

 思ったことをそのまま聞く。


「普段は酒造蔵で休む事が多いかなぁ。色々見なきゃいけない事も多いからあんまり目を離せなくてね」


 そうか……そういうのも有りか。

 今日の一件で理心を狙うやつは見境なく校内でも仕掛けてくるのがわかった。部室での寝泊まりも有り……なのか? いやでも昨日一泊したとはいえ年頃の娘っ子とおっさ――お兄さんが同じ部屋ってのも抵抗あるか。昨日は皆あまり気にした様子はなかったが、連日となると違うだろうしな。


「まあ誤解してごめんよ。僕はもう眠いから部屋に戻るよ」


「そうだな……俺も眠いし戻るわ」


 その前に凛を寮まで送って行かなきゃな。


「じゃあね鬼童くん。たまには自分でお酒取りに来てよ」


 最近は酒の運搬を怜に任せてたな。


「わかった。俺はこいつを送ってから戻るわ」


「うん、気を付けてね。じゃあおやすみ」


「ああ、おやすみ」


 去っていく熊崎の背中を見送り凛に向き直る。


「じゃあ行くぞ」


「殿の手を煩わせる訳にはございません。一人で帰れます」


「いいから行くぞ」


「ですが」


「お前が付いてこなくても俺は女子寮まで散歩したい気分なんだ」


「それは大変危険な発言に思われますが」


「うるせえ。行くぞ」


「……かしこまりました」


 俺が歩き出すと凛はその後ろを歩く。


「……横歩いてくれない?」


 後ろから誰か付いてくるのちょっと怖い。


「ですが、三歩後ろを歩かれへん女は死んだらええっていうミームがございまして」


「誰だよそんなこと言った直哉は」


「ふふ、御存知なのですね」


「暇つぶしが酒を飲むかスマホを見てるくらいしかないからな」


「それであの強さなのですね……一体どういった稽古をされているのでございますか?」


「稽古なんかしたことねえよ。経験だ経験。大人になれば誰でもこうなるの」


「殿の言う事でも流石に鵜吞みには出来かねます」


「つうかその殿ってのなんなの」


「仕えると決めた以上、先生の事は殿、と敬意を持って呼ばせていただきます」


「恥ずかしいからやめてほしいんだけど」


「これはわたくしの覚悟でございます。お慕いする殿方を立てるのは家臣の務めでございます」


「堅っ苦しいな……」


 そうして、ずっと後ろを歩いてついてきた凛を寮に送る。

 去り際に今までで一番深いお辞儀をして凛は寮に入っていった。

 さて、俺も帰るか。そろそろ本気で寝たい。

 それにしても、この二日間ずいぶん長かった気がするな……。

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