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第38話【不審な男】

 少し前。



 綾霧太陽は誰もいない体育館でモップ片手に床を磨いていた。

 こういった清掃も本来は生徒の仕事ではあったが、天理と太陽の事情を鑑みた理事長が二人を招き入れた結果、太陽は用務員という役割を与えられていた。

 ほとんどの学園運営を生徒に任せている都合上、用務員という肩書きを貰っても、太陽には特にする事がなかった。

 何もしていないのに給金が発生しているというのも申し訳ない気分になる、という理由で太陽は自主的に校舎の清掃や備品の補充を行っている。


「ん……?」


 ふと、人影が視界の隅に映った。体育館の窓の外。

 学園には不釣り合いな格好。顔を隠した男が足音を殺すように歩いている。

 また面倒事か? だがそうとも言えないのがこの学園。コスプレだとか演劇の黒子だとか言われても通ってしまう。追って追及しようかどうか迷っていると、入口から天理が歩いてきた。


「あら太陽、ちゃんと働いて偉いですね」


「何しに来たんだ」


「どうにも人の流れが変なので、確認がてらの散歩中です」


「なんだそれ」


「原因は中庭で行われているイベント事のようですね。もっと面白い催しかと思いました」


「確か今日は軽音部発祥のバンドのライブがあったな」


「よくご存知で。ファンなんですか?」


「興味ないな。雑用やってると色々な情報が勝手に入ってくるだけだ」


「そうですか。ついでなのでここでお昼にしてもいいですか?」


 そう言って天理は手に持った弁当箱を掲げる。


「ちゃんと食うんだな」


「食べますよ、わざわざ凪咲が持たせてくれたものですし。貴方も同じものを貰ったでしょう?」


「もう食った」


「あらお早い。…………ちょっとこれ、量多くないですか?」


 包みを解いて弁当箱を開けた天理が顔をしかめる。


「俺は朝飯兼昼飯として食った」


「道理で重いと思ったんですよ。こんなにいっぱいは食べられません」


 小さな弁当箱に、敷き詰められたおにぎりを見て言った。

 大きさは標準だが、目一杯の力で押しつぶされたおにぎりは見た目以上の質量だった。


「お前は軽すぎなんだ、ちょっと無理して食うくらいがちょうどいい」


「この量をいっぺんに食べたら吐きます。太陽も少しどうですか?」


「俺もう腹いっぱい」


 自分用に持たされた弁当の半分を、太陽は体育館に来る前に平らげていた。


「凪咲には悪いですが、これは夕食と夜食と明日の朝食にしましょう」


 おにぎりをひとつだけ取り出して残りをそっとしまう天理。


「残すなよ」


「約束しかねますね」


 いただきます、と手を合わせてから、はむっと小さな口でおにぎりを頬張る。


「んっ……味は中々。さすが凪咲ですね。イカの塩辛をおにぎりに入れるその神経も、それを美味しくしてしまう技術も」


「褒めるか貶すかどっちかにしろ」


「ところで太陽、先程変な顔で突っ立ってたのはなんですか?」


「変な顔は余計だ。外に変な奴がいた気がしたから見てただけだ。この学園では日常茶飯事だが、足運びがどうも気になってな」


「足運び、ですか」


 天理は面白い玩具を見つけた子供のような顔をして飛び上がる。


「これ、あげます」


 1/3程度しか食べられていないおにぎりを強引に太陽に持たせるとそそくさとその場から離れようとする。


「どこ行くんだ」


「ライブなんかより面白そうな催しが開かれそうなので、鑑賞に」


 天理の口元には三日月のような笑みが浮かんでいた。



 ***


 喧騒が集中する中庭から逃れるように、立川凛は人気のない道を選んで歩いていた。

 理由は特にないが、人混みが苦手なのと、この後に行う鬼童玄との仕合を意識して、集中できる場所が欲しかったからだ。


「……?」


 学園内ではあまり見掛けない、奇妙な足運びに気付く。

 足音を立てないようにしながら歩くその人影は、学園という場ではあまりにも不釣り合いだった。

 それにその男らしき人影は、顔を隠している。制服も着ていない。外注の業者の出入りだろうか。それにしてはどうにも違和感がある。


「……」


 凛はそのまま、自身の気配を悟られぬように後をつけた。

 単純な好奇心もあるが、なにより何かの陰謀めいた気配を感じたからだ。

 立川という名門で育った凛は、こういった気配に敏感だった。

 昼休みの最中、普段よりも人気のない学園内を、音を殺して歩く男。


 しばらくすると、男は昨日訪れた部室棟の端――文芸部室が位置する場所の窓の外側で足を止め、何かを狙うように身を潜めた。


 ひとりの生徒が通りかかると、男は何かを取り出して吹き付けた。

 足取りが不安定になり、倒れ込みそうになる生徒を廊下に入り込み抱えると、男は窓から飛び出し、人気のない道を駆けるようにして去っていく。凛はそのあとを追っていった。


 今連れ去られたのは、昨日文芸部室で見た人物だった。

 どのような意図があって、怪しい人物に連れていかれたのかは理解できなかったが、凛の足はその行為を阻む為に駆けていた。


 やがて、人気のない廃墟のような場所で人影は止まった。

 例の人物を地面に下ろすと、面倒臭そうに首を鳴らす。


「見られるだけなら問題なかったんだけどなぁ……追ってくるとは思わなかったぞお嬢さん」


「……」


「んだよ、愛想悪りぃな」


「その方は、わたくしが今後お世話になるかもしれない殿方の知り合いでございます。それゆえ、何の企みがあっての事か存じませんが、阻ませていただきます」


 凛は男に対して構えを取る。


「はっぁ? お嬢さん何のつもりだよ。こっちぁ仕事でやってんだ。邪魔すんならてめぇもやっちまうぞ」


「あまり、舐めないでいただきたい」


「あぁっっ!?」


 凛は一足で男との距離を詰める。勢いのままに男の後頭部目掛けて鋭い蹴りを放つ。


「……」


「軽いんだよ、お嬢さん」


 軽々と受け止めた男がほくそ笑む。

 動じずに凛は次の一手を放つ。

 踏み込んでの中高一本拳を人中に放つ。受けられるのを予見していた凛はそれを軸に身体を浮き上がらせ、浴びせる様に足を蹴落とした。


「ちっ……いてぇな……」


 受け止めつつも、受けた腕には痺れがあった。


「お嬢さん、あんま調子乗んなよ!」


 そうして二人は本格的な攻防に移る。

 男は苛立たしげに拳を振るう。

 凛は重心の置き方によって、相手の距離感を錯誤させ、その一撃を外す。男は凛の目元に手のひらをかざし、一瞬視界を奪うと、重い蹴りが凛の腹部に直撃した。


「かはっ……っ」


 直撃こそしたものの、同時に後ろに下がる事である程度衝撃を殺していた。致命ではないが、確かに気力を削る威力があった。


(せめて、長物さえあれば……)


 凛は周囲に視線を向けるが、ちょうどいいと思える長さの木片は落ちていなかった。

 男の実力は自分より少しだけではあるが上だと認めざるを得なかった。

 凛の攻撃はいなされ、小手先の技術は体格によって殺される。

 ならば、自分に出来るのはこの男を倒すことではなく、この場に釘付けにする事。

 凛は、攫われ眠っている少女――藤咲理心を守る為の位置で男と対峙した。


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