第35話【お泊り前半】
半分覚醒した意識で思考する。そう、俺はまたやらかした。
後頭部に走る痛みと、アルコールの過剰摂取による響くような頭痛が重なり思わず身悶えした。
今、何時だろうな……時計を見るのも面倒臭い。静まり返った部屋で横になっている事だけはわかった。多分部室の無駄にでかいベッドだろう。柔らかい寝具の感触と、心地良さを感じる丁度いいホワイトムスクの香りが鼻孔をくすぐる。襲い来る頭痛さえなければ抜群な寝心地の良さだった。
あ、いかん。意識がはっきりしていくにつれて膀胱から感じる尿意が強くなって来た。
うーんうーん。起きたくないよー、身体重いよー。
「先生、大丈夫ですか?」
うんうん唸っていると怜の声と共に額に何か冷たいものがそっと触れた。
「怜ぃ……」
呻くようにしか声が出なかった。全身の筋肉が弛緩しているのを感じる。飲み過ぎた後にやってくる気怠さ。
「辛いですか? お水飲みますか?」
「あたまいたい」
「まずはお水飲みましょ。起きられますか?」
「がんばる」
怜の助けを借りて上体を起こしてペットボトルに入った水を受け取って一気に半分程飲む。
「あ、ゆっくりです、ゆっくり飲みましょう♪」
「内臓がぐるぐるする。おしっこしたい」
吐き気こそないが身体の中で不快感が渦巻いているような感覚だった。
「ここでしますか? それともあちらで♪」
どこからか尿瓶を取り出して掲げながらトイレと尿瓶を交互に指さす。
「……トイレ行く」
だんだん意識が元に戻ってきた気がするが、尿瓶にツッコミを入れる元気はなかった。
「立てますか?」
「ああ、なんとか」
室内は簡易照明によって淡い光で微かに照らされていた。足元を見失わずに済むので大変助かる。ベッド脇には俺の室内用の靴と、その横にスリッパが用意されていた。俺はスリッパを履いて立ち上がる。思ったより脱力していたようで足元が若干ふらついたが問題なくトイレへと向かった。
トイレで用を足しながら飲み過ぎたと反省する。記憶は朧気だが、なんかずいぶん恥ずかしい行いをしていた気がする。
ていうか今何時よ。理心と灯火は帰ったのか? また怜だけが残って俺の世話を焼いていてくれたのだろうか。
「……ふぅ、ちょっとは落ち着いてきたか」
トイレ内の照明の明るさに照らされて大分意識がはっきりした。
状況を確かめる為に、俺は手を洗って即座にトイレから戻った。
「おかえりなさい♪」
ドアのすぐそばで待っていた怜が出迎えてくれた。
「悪いな、かなり迷惑かけた」
「お気になさらず♪ もう少しお休みになられますか?」
「そうしたい所だけどな。まずはお前を寮まで送ってからだな」
「大丈夫ですよ♪ 今日は皆さんで部室に泊まるので♪」
「は? 皆さん?」
「理心さんと部長はあちらの部屋にいますよ♪」
そう言って怜が視線を向けたのは物々しい扉の先、さっき? まで一緒に飯食ってたいつもの部室の方だった。
ちなみにここのベッドルームっぽいところは先日の一件後に壁と扉が追加改装された場所。
部屋の奥には隠し階段があり、一階に繋がっている。
「なんだ、起きてんのか。全然静かだからもういないもんだと思ってた」
「一応防音してあるので、こっちの音も向こうの音も聞こえづらいと思います♪」
「……なるほど」
もうツッコまない。この部室に何が起きてても全部受け入れてやる。
一階に下りた先のさらに地下に核シェルターまで用意したこの女の子の備えに対する意識にいちいちツッコんでいたらきりがない。
「そうだ、時間分かるか?」
「今は、……23時51分ですね♪」
手首につけた腕時計を見て答える怜。
……そろそろ日付が変わる頃か。立川のお嬢さんには「明日」としか言っていない。どう受け取るかは受け取り手次第だ。0時を過ぎた段階で始まりなのか、学校が始まってからが始まりなのか。
まあその件に対してはあまり心配していないが。全寮制のこの学園の学生寮には一応門限というものがあるし、俺も本来なら教員寮にいるはずの時間だからな。まあでも0時になる前に起きられたのは良かった。色々掴みどころのない、何を考えてるか読めない生徒だったから。
あくまでも俺の予想では明日の朝、通勤時にでも仕掛けてくると踏んでいるが。
「とりあえず、面倒かけたあいつらに謝ってくるか。まだ起きてるんだよな」
「起きてると思います♪ 寝る時はこちらの部屋を利用するつもりだったみたいなので♪」
こいつら教師と同じ部屋で寝るつもりだったのかよ。何の行事もなしに校内に泊まるってのも考え物だが、それ以上に問題あるだろ。特に俺が白い目で見られかねないぞ。
「ん、起きたか」
「朝まで寝てるのかと思ったっす」
物々しい扉を開けるとソファーでくつろぐ理心と灯火の姿が目に入った。
「悪いな、面倒かけた」
「まったくだ」
灯火は茶を啜りながら投げやりに言う。
「先生起きたんで、私シャワー浴びてきていいっすか」
「どうぞ♪ 準備してありますので、ごゆっくり♪」
そうか。泊まるつもりって言ってたな。
俺が寝てたあちらの部屋にはベッドに、風呂トイレ。更に洗濯機や乾燥機の類も設置されていた。完全に家です。
「お先に失礼するっす」
そう言って理心は向こうの部屋に入っていった。
「お前らは入んないの?」
「先生が寝ている間に、理心、その次に我、最後に怜という順番で入ると決めておいた」
「なるほどね」
「覗いちゃ駄目ですよ♪」
「覗かねえよ」
俺は定位置の椅子に腰を下ろした。
「体調はどうだ?」
「あたまいたい」
「……だろうな。少し待っていろ」
灯火はソファーから立ち上がり厨房に引っ込んでいき、なにやら作り始めた。
「先生、缶ビール冷えてますよ♪」
「いまあたまいたいって言ったよな。飲めねえよ」
迎え酒でもさせる気か。
「……そうですか」
怜はどこか残念そうに微笑んだ。
「え……なに?」
「いいえ、なんでも♪ ならお水をもっとお持ちしますね♪」
「あ、ああ。ありがとう」
なにやら挙動不審な怜から新しい水を受け取って少しずつ飲み下していく。
すると灯火が厨房から出てきてお椀を俺の前に置いた。
「ずいぶん早いな」
「作っておいたのを温め直しただけだからな」
しじみの味噌汁だった。酒の後のこれは効くんだよ。美味いんだよ。
「美味そうだな」
匂いを嗅いだだけで気分の悪さが少しだけ取り除かれた気がした。
「胃に刺激を与えすぎないように薄味にして余計な食材も入れずにおいた。汁だけでもいいから、飲めるだけ飲んでおけ」
「助かる」
そっとお椀を手に取りフチからずずっと少量を口に含んで飲み込んだ。
味噌としじみの優しい香りと味がすーっと胃に染み込んでいく。
「はぁ……癒される……」
一口飲んだらあまりの美味さに止まらなくなり、一気に飲み干してしまった。
「あまり急いで胃に入れるな。ゆっくり飲め。おかわりもいるか?」
「頼む」
「わかった」とだけ言って灯火は再度厨房に入っていく。
その光景を見て怜が言った。
「部長、あの後養殖部にしじみを貰いに行ってたんですよ♪」
「そうなのか……手間かけさせたな」
「あとで部長にもいっぱい『可愛い』って言ってあげてくださいね♪」
「可愛い? なんだそ――」
瞬間、脳が警鐘を上げる。記憶の淵から蓋が開いたように一気に流れ出る記憶の奔流。
「ごほっごほっうぉえ!」
「大丈夫ですか!?」
襲い来る思い出したくない酔っぱらった自分の犯した過ちを強引な咳で再度封じ込める。だめだ。忘れていた方が幸せな事だって、きっとある。その蓋は開けてはならない禁断の箱だ。
「ごほ、大丈夫だ、ちょっと気管にしじみが詰まっただけだ」
そう誤魔化しておく。
「なにをやっているんだ……」
灯火が厨房から新しい椀を持ってきてくれた。
「いやすまん、大丈夫だ。それより、今何時だ」
「0時半近いな」
「そうか」
やっぱり0時ちょうどの奇襲はなかったか。
あのお嬢様然とした振る舞いを見るに、来るときは正々堂々と名乗りを上げそうだしな。
その時、物々しい扉が開き、シャワーを終えた理心が戻ってきた。
「お先にどもっす。次は灯火さんっすよね」
「ああ。では先生、まだ残っているから、飲みたかったら怜に言ってくれ。我は風呂に行く」
「あ、ああ。助かった、ありがとうな」
「構わない。別に先生の為ではないからな」
テンプレ的ツンデレ発言を残して、理心と入れ替わりに灯火は風呂に向かっていった。
「ごゆっくり♪」
「……ごゆっくり」
怜と共に灯火を見送る。
「理心さん、就寝前にホットミルクなんてどうですか♪」
「いいんすか?」
「もちろん♪ 一緒に飲みましょ♪」
今度は怜が厨房に入っていく。
しかし、なんとも妙な気分だ。
「……なんすか」
まじまじと見ていた俺の視線に気づいた理心が眉をひそめる。
「いや……普段制服ばっかりだからな。寝巻ってのは新鮮だと思って」
シャワーを終えて出てきた理心はデフォルメされた動物がプリントされたパジャマを着ていた。普段の制服姿から感じる無機質な印象とは打って変わって少女らしさを感じる。
「セクハラっすか」
「ちげえっつの」
「怜さんが用意してくれた替えの服がこれだったんすよ。寝る時まで制服着てるわけにもいかないんで」
「そういえば、泊まるってのはまじなの?」
ソファーに座り、髪を撫で付けている理心に改めて聞いてみた。
「元々は先生の為に決まった事っすよ。例の仕合とやらがいつ始まるかわからなかったから、先生が起きるまで見守ろうって話になって」
なんだか結構大事になってない? 理心は説明を続ける。
「最初は怜さんだけ残るって言い出したんすけど、それなら灯火さんも残るってことになり、私も別に帰っても特にすることもないし、なにより面白そうなんで同意した、ってわけっす」
「そういう流れだったわけね……」
「まあ思ったより早く先生が起きてきたわけっすけど、今から寮に帰るにも微妙な時間なんで、このまま泊まるつもりっすよ」
「……そう」
「先生はどうするんすか?」
「どうするかね……」
このままここで寝るにも問題がある気もするけど。でも、理心の問題も片付いていない今、こいつと他生徒を残して帰るのも心配が勝つな。
「どうぞ♪」
厨房から戻った怜が理心にホットミルクを提供する。
「どもっす」
「なあ、せめて部屋を分けようぜ。俺はこっちで寝るからお前らは向こうで寝ろ」
「でもこっちだと寝る場所ソファーくらいしかないっすよ」
「ソファーで十分だろ」
「ここで寝るんすか?」
理心は自分が今座っているソファーを指さす。
「お前が言った通り、ここで横になれるのはソファーくらいだろ」
「まぁ……そっすね」
「? なんか問題でもあんのか?」
理心はなにやら怪訝な顔で考え込んでいる。
「……いや、問題っていうか……」
煮え切らない理心を見て、何かを察した怜が言った。
「いいじゃないですか♪ あちらの部屋で皆で寝ましょう♪」
「それはそれで俺に問題が……」
「どんな問題っすか……」
「いや、女生徒と同じ部屋で寝泊まりなんて悪い噂が立ったらどうする」
「事実ですから問題ありません♪」
「事実だから余計問題あるんだよ!」
「先生……ほんとごめんなんすけど、ここで寝るのは困るっす」
ソファーの表面をなぞりながら言う理心の顔はなぜか赤面している。珍しい。湯上がりだからか? 普段見ない照れの混ざった仏頂面で理心は続けた。
「このソファー……普段、私も怜さんも灯火さんも座ってるわけじゃないっすか。……そこで寝られるのはなんとなく嫌、というか……」
「ああ……そういう事ね……」
察しの悪い自分を責めたい気分になった。
年頃の少女の気持ちを考えてなかったな。
普段自分の尻が乗ってる場所に教師(男)が横になるわけだからな。確かにいい気分はしないかもな。
「気持ちは分かるが、同じ部屋で寝るのもそれはそれで問題あるだろ」
「別に、一緒の布団で寝るわけじゃないんすから平気っすよ」
「そう、なのか……?」
よくわからなくなってきた。この年頃の少女の考え方と俺の考えは違うらしい。
「布団もベッドも、お好きな方をご用意しますよ♪」
そう言って怜はリュックに手を入れてガサゴソと漁りだす。
「あ、これです♪」と言いながら、収まるはずのないベッドを取り出そうとする。
「待て待て、怜。それは出したらいかん」
なんか世界観が揺らぐ気配がしたので俺は即座に制止した。
「四次元リュック、やっぱり一回中を覗きたいっすね」
好奇に目を輝かせる理心を横目に俺は言った。
「やっぱり俺はここで寝る。机でも寝られん事もないしな」
「それは駄目です♪ 先生にもきちんと休んで貰わないと♪」
「どないせっちゅうんじゃ」
その時、物々しい扉が開き、風呂から上がった灯火が出てきた。
「怜、上がったぞ。お前もゆっくりしてくるといい。ここは我が代わろう。
……なんだこの空気は」
風呂上りの灯火も、理心と同じようなパジャマ姿だった。
「先生がどこで寝るか問題で揉めてるっす」
「寝る場所? 別にどこでも構わんだろう」
「だから俺はここで良いって」
机をとんとんと叩く。
「それは駄目だ」
「なんでだよ」
「ちゃんと休息して、疲れを取ってもらわないと困る」
「ですよね♪」
なにやら給仕部の二人が結託している。
ていうか怜はさっさと風呂入ってこい。
「怜、もう夜も更けてきた。先生を寝付ける為にも早く風呂を済ませておけ」
「わかりました♪」
「俺は子供か」
「似たようなものだろう」
違う、と否定したかったけど出来なかった。今日の俺はだいぶ迷惑をかけたからな。
「まあ正直、同じ部屋で寝るくらいなら私は気にしないっすよ。先生も過剰に考えすぎっす。同じ布団で寝るわけじゃないんすから」
「それはそうだが……」
「仕切りでも立てれば問題ないだろう。理心の言うように同衾するわけじゃないんだ」
「同衾ってお前……」
「怜は先生と一緒に寝るつもりのようだったぞ」
「はい?」
「最近怜は妙に先生に懐いているな。良い変化だ」
「よくねえよ。なんでそんな考えになるんだ」
年頃の女の子がおっさ――お兄さんと同衾したがるなんておかしいだろ。止めろよ。
「隣で寝ていれば呼吸、心音、寝言や寝相。それによって、より相手の事がわかるからな。怜は先生の身体を心配しているのだろう」
「当たり前のように言ってるけど、普通に怖いからな」
される側としては。
「それが嫌なら怜を説得しろ。仕切りを立てて寝るか、怜と同衾するか」
どんな二択やねん。
生徒と同じ布団? ましてや女生徒と? ありえんだろ。
「仕切りを立てた上で、俺は一人で寝る」
「まあそれが最善策か」
この上ない最善策だろうよ。
今更こいつらを送って寮に帰る、なんて選択肢は俺の中にはない。俺も眠いし、もう日付を跨いだ深夜だ。寮母さんやらにも迷惑がかかるし、何よりこいつらがもう泊まる気満々だからな。
そんな事を考えながら残ったしじみ汁を飲み干す。
「うん、美味い」
「そうか」
「ああ、ありがとうな」
「別に構わない」
「それにしてもお前、似合いすぎだろ」
俺は灯火のパジャマ姿を見つめる。
普段のメイドさん衣装とは違って、小柄な灯火によく似合っていた。
「うるさい」
悪態をつく灯火と、眠そうに欠伸をする理心と軽い雑談をしつつ、怜が風呂から出てくるのを待っていた。




