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第33話【立川とワインと可愛いと】

「いいのか、あんな約束をして」


 丁寧にお辞儀して帰って行った凛を見送ったあと、灯火が口を開いた。


「さすがに無茶じゃないっすか」


「なんとかなるだろ」


 攻撃を受けない事に対しては少しばかり自信がある。天下五剣の親族と言えど、素手同士なら問題ないはずだ。


「根拠なしか。先生は、立川家がどういう家か知っているのか?」


「知らない」


 名家の事情になんか興味ないね。どうせどこもかたっ苦しい格式ばった家ばっかだろ。俺が知ってると言えるのは柳生くらいのもんだが、あそこもかなり面倒が多そうな家だったな。


「立川は、とにかく人数が多い。実戦を想定した稽古が盛んで、その技も、剣だけでなく徒手格闘にも精通している」


「そりゃ五剣の家ならどこでもそうだろ」


「そうだな。だが、立川には他の名家とは大きく違う点がある。対外試合は基本的に組まず、稽古は立川家の中のみで行われる。そして最大の特徴が、立川家は、門弟を外部から取らない」


「門弟を取らない? 人数が多いって話じゃなかったか」


「語弊がある言い方をした。身内の数、それが他と比べて異常なんだ」


 俺は首を傾げつつ次の言葉を待つ。灯火が続ける。


「立川凛には、上と下を合わせれば五十を超える姉妹がいる」


「はい?」


「元は邪教とも言われた密教の一法流だったが、一度大きく枝分かれし、その一部が武闘の家を立ち上げた。枝分かれした者たちもその家に流れ着き、今では多くの身内でごった返している」


「よくわからん」


「つまり、統合する過程で様々な流派を取り入れ、それを練磨し大きくなった家、という事だ。その上、対外仕合もほとんどない為、技の流出が少ない。どういう手を取ってくるかは、我では想像も付かないな」


「あんまり脅すなよ。つうか姉妹揃えて五十人ってどういう事だ」


「詳しく説明するつもりは、我もない」


「ないのかよ」


「重い、というより、我は嫌悪感を覚えた。一言で済ませるなら、立川家は、優れた血を外から取り込んで内で練り上げる家という事だ」


「まじで意味わからん」


「油断して掛からない方がいい相手、という事だ」


 どういう締め方だよ。こっちは何も理解できてないぞ。


「多分、先生なら大丈夫っすよ」


 理心が本のページをめくりながら言った。


「どうしてそう思える。確かに、先日の先生の強さは圧倒的だったが。各務原という生徒との攻防を、我は見ていないから分からないが、凛はそれを見ていたのだろう?」


「そう言ってたな」


「なら、それを見た上で自分に勝ち筋があると思って挑んでいるはずだ。尚更油断出来ないぞ」


「疑問なんだけどさ……凛は、俺に勝ちたいの、負けたいの?」


「負けたい、と思っているはずだ」


「話を聞いてると負けたがってるようでも勝ちたがってるようにも聞こえるから変な感じなんだよな」


「多分、勝つつもりではいる。それと同時に負けたいとも思っているのだろうな」


 気持ちは分かる、と灯火は静かに言って口を閉じた。

 どういう意味だ? 今日は部室に来てから意味のわからない事ばっかり言われてる気がする。


「先生、どうぞ♪」


 そんな折に、怜が厨房からなにやら運んで配膳を始めた。

 とりあえず礼を言っておいたが、机に載せられた皿を見て驚いた。フレンチレストランで出てきそうな一品が鎮座していた。

 小さく切り分けられた魚の切り身らしきものの上に、緑色と黄色のソースが掛けられている。


「なにこれ。美味そうだけどこんな部室で出すには上品過ぎないか」


「三種のお魚をポワレで焼き上げて、その上に旬のお野菜を使ったソースを掛けてます♪」


「三種?」


 言われてみると形が違う。


「鮎と、キス、そしてカツオです♪」


 なんとも珍しい組み合わせな気がするのは気のせいだろうか。

 理心と灯火にも同様に配膳し、最後に自分の分を持って怜は定位置に腰を下ろした。


「いただきます」


 最初に食べたのは理心だった。


「うん。めっちゃ美味しいっす」


「よかった♪」


 続けて灯火も一口。うむ、美味いと舌鼓を打ちながらうなずいていた。

 俺も、用意されたナイフとフォークを手に取って一口。あ、美味い。

 口に入れた途端、ソースの優しい旨味が舌先に広がり、バターの風味が鼻を抜けていった。


「いいなこれ。ワインが欲しくなる」


「ワインならありますよ♪」


 なんであるの?


「用意良すぎじゃね?」


「今日、先生がお飲みになるお酒を酒造蔵まで取りに行ったんですが、その際に熊崎先生から試飲させてみて欲しい、って預かってたんです♪」


 熊崎ぃ……。俺は天を仰いで旧友を讃えた。なんてタイミングの良いやつなんだ。


「先生、怜さんにお酒取りに行かせてるんすか……」


 理心が冷めた目でこっちを見ていた。


「いいって言ったんだけどな……行くって聞かなかったから任せちゃった」


「私が言い出した事なので先生はお気になさらず♪」


 とは言っても、学園内で生徒に酒を運ばせる大人ってどうなんだ。


「……しかし、本当に美味いなこの魚。ソースが美味い」


 話を逸らすために料理の話題に戻した。


「ありがとうございます♪ 先生、ワインお飲みになりますか?」


「……ちょっとだけ飲もうかな」


「はい♪ 準備するので少々お待ちください♪」


 そう言ってせっせと厨房からグラスとワインボトルを持ってくる。ごめんな、食べてる時に。


「悪いな。いつもありがとうな」


「いいえ♪ 好きでやってる事ですから♪」


 そう言いながらコルクを抜く。


「良い音だ……」


「若いワインみたいなのでデキャンタージュしますね♪」


 ワインボトルを傾けて高い位置からデキャンタに注いでいく。ていうかこの部室そんなものまであるの? というか学生が当然のようにデキャンタする?


「当たり前のようにやってるけど、おかしいよ」


「怜は基本的になんでもそつなくこなす」


「そんな一言で纏めていい問題なのこれ」


「少し時間がかかるので、その前に、このまま一杯お注ぎしますね♪」


 デキャンタする前と後を楽しめるのは良いけど、本当にこの子をこのまま放っておいて大丈夫そ? 気配り届きすぎだし謎に技術持ってるし、言えばなんでも、というより言わなくても色んな事を率先してやってくれるし、美人だし、可愛いし、ポニテだし。


「先生、それは関係ないっす」


「俺の心を読むな」


「読んでないっす。なんとなく勘が働いただけっす」


「それはそれで怖いんだよ」


「先生の視線がイヤらしかったから察しただけっす」


「誤解を招く言い方をするな」


 理心としょうもない軽口を叩いていると、目の前に一見ぶどうジュースのようなものが注がれたグラスが置かれる。

 鮮やかな赤色の雫がやけに輝いて見えた。こういう洒落た料理にはやっぱりワインだよな。


「さんきゅ。では早速……」


 香りを確かめたあと、少量を口に含んで風味を感じた後にごくりと飲み込む。うん。……よくわからん。ワイン通を気取ってみたけど、正直何が美味しいワインなのかわからない。

 それっぽい仕草だけを見様見真似でやってみる。

 グラスを回してみたり匂いを嗅いで「おお」とか唸ってみたり、口に含んで咀嚼してみたりした。


「雰囲気だけならそれっぽいな」


「ドラマとかでよく見る動きっすね」


 どんな意味があるのかなんて俺も知らないけど、とりあえずそれっぽくは映っているらしい。


「んっ。……う、うん。美味しいんじゃない?」


 なんか色々やってから飲み込んでみたけど違いはよくわからなかった。

 怜がなんか気まずそうな顔を向けているのは多分気のせいだろう。

 ここにいるのがもし熊崎だったら臆面もなく「よくわからん」と言えただろうに。なんとなく生徒の前だと見栄を張ってしまった。


「先生は酒ならなんでも良いのか」


 灯火が魚を切り分けながら聞いてくる。


「なんでもじゃない。まず、ビールが俺の中での酒界隈第一位だ」


 あくまでも俺の主観による好み、とここに断っておこう。


「聞き慣れない単語が出てきたっす」


 俺も今、多分人生で初めて言ったわ。なんだよ酒界隈って。


「その次に、日本酒、焼酎、ワインと続く。ちなみにウイスキーとかバーボンとかの類は飲めない。飲めないから詳しくない。どう違うのかなんて俺に聞くなよ」


 知らないから。


「ビールに傾倒してるのだけは伝わったな」


「ちなみにウイスキーを飲めない理由は度数が高いからだ。普段ビールばっかり飲んでるせいで、ウイスキーとかの類もビールと同じペースで飲む。すると、普段より酔っぱらっちゃうわけよ。分かるかね理心くん」


「なんか……そこはかとなくうざいっす」


 酒が回ってきて饒舌になってきたのを自分でも感じている。意味のわからん事を言い始めたのも自覚している。


「先生、お水もどうぞ♪」


「ありがとう」


 差し出されたグラスを手に取るも、少し考えて飲まずに机に置いた。

 今は酒だ。目の前には美味いつまみと酒があるんだ。水なんか飲んでる場合じゃない。


「怜、悪いけどビールもう一缶取ってくれ」


「はい♪」


「ほどほどにな。明日は凛との約束がある事を忘れるなよ」


「はいはい」


 俺は目の前のワインと、続けて、残っていた缶ビールを一気に飲み干した。


「どうぞ♪」


 新しいビールが差し出される。


「ありがとう」


 魚の切り身にソースを多めにつけて食べてから、ビールを一気に呷る。あ、間違えた。ワイン飲もうとしてたんだ。

 もう一度同じように魚を頬張ってグラスに残ったワインを飲み干す。

 ああ、なくなっちゃったよ。


「もう少しお注ぎしましょうか♪」


「頼むぅ」


「先生、飲み過ぎだぞ。それにペースも早すぎる」


「また寝落ちする事になりそうっすね」


「まだまだまだまだ、大丈夫大丈夫」


「まだが多いな」


 自分でも酔っぱらって来ているのは自覚している。だが、俺はもういい年したお兄さんだぞ? 自分の許容量くらい把握してるさ。

 大丈夫大丈夫大丈夫。

 怜が新しく注いでくれたワインを一気に流し込む。続けてビールもごくごくと飲み進めていく。まだまだまだ、平気大丈夫だ。


「おいおい……」


「怜ぃ、もう一本くださぁい」


「はい♪」


「完全に酔っ払いだぞ。怜ももう酒を与えるな」


「でも、酔っぱらってる先生ちょっと可愛いですよ♪」


「……だから僕ぁウイスキーが飲めないんですよ」


「ずいぶん話が巻き戻ったな」


「お、灯火、お前居酒屋にいるおっさんを知ってるのか? あいつは皆俺のマブだ。今度紹介してやるぅよぅ」


「結構だ。……先生、大丈夫か? 言ってる事が支離滅裂だ」


「え? 大丈夫か? って? なんの事なのかわかんねえなああ!!!」


「あー……そっちっすか……」


 理心がなにやら遠い目をしているのに気付いたが、俺は何も気にしなかった。


「理心ぉ……食べてますかぁ? 怜の料理はいつも美味しいなぁ……? え……? 可愛い可愛い怜の作ったお料理ちゃんですよぉ?」


「うぜぇ……」


「か、可愛いなんて……♪」


「喜ぶな怜。なんか様子が変だ。……なんだこれは。普段の先生とまるで違うぞ」


「私も、昨年一度だけ見た事があるっす。……美味しい料理と美味しいお酒、これらが組み合わされ、なんらかの条件を満たすと、先生はこうやって壊れるんす」


「……壊れる?」


「見てれば分かるっす……」


「理心は今日も可愛いですねぇ……あ! 灯火! お前も可愛い! 小さくて可愛い!」


「小さくて……?」


「怜も可愛い。いつも美味しいご飯ありがとなぁ……!」


「あ、は、はい。……可愛い。可愛い……」


「こうなるんすよ」


 理心が俺を指差してなんか言ってる。なんだぁてめぇ、可愛いなぁ。


「まるで意味がわからないぞ」


「真白さんによると、先生は極限の幸福を感じると周囲の人間をなりふり構わず褒めだすらしいっす。前にこうなった時、その場にライアンさんもいて……」


「まさか……」


「ライアンさんにも可愛い可愛いって言ってたっす」


「二メートル越えの男と同じ括りなのか……」


「だからあんまり気にしない方がいいっす」


「……だが、この状況はどうすればいいんだ? 先生の為にも気絶でもさせた方がいいんじゃないか」


「あー……放っておいた方がいいらしいっす。無理に寝させようとすると襲い掛かってくるみたいなんで」


「襲い掛かる……?」


「今は、見境なく目の前の人を褒めまくってるっすけど、一度別のスイッチが入っちゃうと、逆に凄く攻撃的になって暴れ回るらしいっす」


「面倒な男だな!」


「……確かに、そうっすね。でも、先生に面と向かって褒められる機会なんてそんなにないっすから。これはこれで面白いっすよ」


「面白い? この酔っ払いが?」


「何もしなければ無害な上に、いつもよりちょっと素直になってるらしいっすから。普段の先生より可愛げはありますよ」


 なにやら理心が視界の隅で赤子を見守る母親のような目をして俺を見ている。最近、理心はよく笑う。笑った顔は?


「可愛い可愛い可愛い可愛い可愛い可愛い可愛い」


「なんだ!?」


「放っておけばいいんす。その内静かになって寝るっすから」


「……理心は、以前にもこうなった先生を見たことがあるんだよな? さすがに落ち着いているな」


「いや、内心怖いっすよ。あの時は制御する真白さんとライアンさんがいたからよかったっすけど……今はいませんからね。このあとどうなるのか戦々恐々としてるっす」


「呼ぶか。真白先生を」


「一応……そうした方が先生の為にもいいかもしれないっすね……」


「可愛い。可愛い? 可愛い! 可愛い♪」


「先生に釣られて怜までおかしくなっている。早急に救援を呼ぼう。真白先生に連絡する」


「……お願いするっす」


「真白ぉ? 真白も可愛いよなぁ! 可愛い! 可愛い! 怜! お酒足りないから持ってきて!」


「可愛い可愛い可愛い……あ、はい! 直ちにお持ちします!」


「これ以上飲ませて大丈夫なのか……」


「止めると暴れるらしいっすから……真白さんが来てくれるまで放っておくしかないっす……」


「……これからは、先生に酒を与えすぎないようにしよう」


「それが一番良いっすけど……飲む量じゃないんすよね……こうなるの。少し前に、鯵料理でテンション上がってたっすけど、その時は寝るだけだったじゃないすか……」


「言われてみればそうだな……つまり……」


「こうなる発動条件は謎、っす。ある意味ミステリーっすね」


「果たして、解くカギはあるのか……」


 なんか理心と灯火が俺に憐れむような視線を送っていたが、何も気にならなかった。


「先生……どうぞ♪」


「ありがとう怜。相変わらず可愛いな」


「ふふ、ふふふ……可愛い……ふふっ……ありがとうございます♪」


「怜さんも危ないっすよアレ」


「……だな。全く、世話の焼ける教師だ。……生徒を言葉一つで籠絡するなぞ」


「そこまでっすか」


「見てみろ、怜の今の立ち位置を」


「……先生の横に立ってるだけじゃないんすか?」


「あれは……褒められ待ちだ」


「なんすかその単語」


「今なお、浴びるように酒を飲み続ける先生の缶が空くのを横で静かに待っている」


「先生♪ そろそろワインが良い感じですのでお注ぎします♪」


「あ? あああああ? ワインね? ワイン。美味しい美味しい。怜は可愛い可愛い」


「ふっ……ふふふふふ……ありがとうございますっ♪」


「見ろ。先生に酒を飲ませて『可愛い』を言わせる事を楽しみにしている」


 何やら外野でわいわい言っている。可愛い。

 俺はいつの間にか現れたグラスの赤い液体を一気に飲み干す。

 味も何も感じない。けど、お酒だから問題ない。


「怜、ありがとうなぁ。可愛い可愛いぃ」


「ふっふふ。いえ、どう、いたしまして♪」


「いつにない満面の笑みっす」


「怜が満たされているなら、我は何も言う事はないな」


「いや、止めるべきっすよ。さすがにあれ以上飲んだら先生死んじゃいますよ」


「怜を満たす為の尊い犠牲になってもらおう」


「価値観どうなってるんすか」


「我は、怜が幸せそうならそれで満足」


「灯火さんも壊れてきてません?」


「問題ない。大丈夫だ」


 理心と灯火のやりとりを酒を浴びながらぼんやりと見つめていたら、突然部室の扉が勢いよく開かれた。

 扉の先には真白とライアン。


「ライアン、やりなさい」


「……わかった」


「おおー真白、ライアン、今日もかわい――」


 瞬間、目の前が暗転する。


「こうなった時の対処法、その一。……一撃で眠らせる」


 そんな真白の声が聞こえてきた。……そのまま俺の意識は深淵へと吸い込まれていった。


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