第32話【凛、見参】
そんなこんなで部室に着いた俺たちは怜の出迎えに感謝しつつお互いの定位置に腰を下ろした。理心はお気に入りらしいふかふかソファー。俺は高級そうな机さんと椅子さん。
部室を見渡すが、堂々とした、風格だけなら2メートル以上ありそうなちびっこの姿がない。今日は灯火はいないらしい。冷蔵庫から缶ビールを取り出し、差し出してくる金髪ポニテのメイドさんに軽く聞いてみた。
「今日灯火は来ないのか」
「部長でしたら、新入部員の案内に行っていますよ♪」
新入部員か。もう6月も半ばになるというのに大変な事で。というより、給仕部なんてけったいな部活に入ろうなんて考えるやつがまだいるとは。
「新入部員すか。今年も文芸部員は増えなかったっすね」
「もう何年もいないからな。お前を除いて。忘れ去られてんじゃねえのか」
「そうかもしれないっすね」
「そういやお前、面倒な事情も何もなかったら入りたい部とかあったのか?」
「特にないっす」
「ないんかい」
俺は缶ビールを開ける。ぷし、と炭酸の弾ける音と、かしゅ、というプルタブの戻る音がどうにも気持ちいい。
「先生、おつまみどうぞ♪」
「助かる」
怜が机に小皿をとんとんと置く。
ひとつは細かくした梅干しときゅうりを和えたものが冷奴に乗っけてある。ふたつめは鯵の南蛮漬け。
「わーい、鯵だー」
「ふふっ♪ おかわりもありますから♪」
「わーい」
我ながら童心に帰りすぎな気もする。だけどしょうがない。鯵は大好物だ。
「理心さんはこちらです♪」
理心のソファー横のテーブルには、一口サイズの小さなケーキとマカロンなどの洋菓子が乗ったティースタンドが運ばれてきた。
「ありがとっす」
「どういたしまして♪」
その後、理心と自分の紅茶を淹れ、怜もソファーに腰を下ろした。
怜もこの部室に来るようになって少し変わった。
以前なら、理心に紅茶を出したあとも厨房横でお盆を抱えたまま立っていた。あるいは、休む間もなく夕食の仕込みを始めていた。
そんな怜が、今は当たり前のように自分の紅茶を用意して、ソファーに腰を下ろしている。
他人に奉仕するのが生き甲斐の変わり者も、ここに来るようになって少しずつ変わり始めていた。
以前ならすぐに本を取り出して読んでいた理心も、こうして怜が休んでいる時は、怜との会話を楽しむようになっていた。
この間まで、人との付き合いを避けがちだった理心と、尽くすばかりで自分を顧みなかった怜が、並んで菓子をつまみながら談笑する姿はなかなか絵になっていた。俺はその光景を眺めながらビールを一気に飲み干した。
しばらくすると、ノックもされずに部室の扉ががらりと開いた。
灯火だった。相変わらずぴんと背筋を伸ばし、風格だけなら超一流さを醸し出しているメイドさん。給仕部部長にして、学年では1位2位を争う程勉強の出来る子。加えて、男4人を足止めするだけの格闘技術の持ち主。正に文武両道のメイドさんなのだが、たまに妙にポンコツになる。
そんな灯火が扉から俺を見つめて言った。
「先生、少し面倒な事になるかもしれない」
こうして、火種を持ってくるのはいつも灯火だ。いや、この子が悪いわけじゃないんだけどね。
「面倒を起こすつもりはございません」
灯火の後ろから、すっと部室に立ち入る人影。それは、さっき見た和装の女子生徒だった。
「はじめまして、でございましょう。わたくし、立川凛と申します」
上品なお辞儀をして名乗りを上げる少女。
立川……?
「この娘は、給仕部に新たに入ってきた部員だ」
立川凛と名乗った少女は、部室に入ってきた時から、ずっと俺の目を見据えている。
「立川って、同姓なだけっすか。それとも……」
言い淀み、警戒が滲み出す理心。
先日の一件からつい連想してしまうのは、立川家。その当主は、現天下五剣の一角。
「はい。わたくしの姉上は、天下五剣、立川熾織でございます」
立川熾織の妹? 道理で、目の前の少女から漂う上品さや礼儀作法の所作は、ただの教育の行き届いたお嬢様って感じじゃない。確かに芯の一本通った、強者の佇まい。
「だが心配するな。理心を狙う意図はない。どうやら、興味があるのは、先生の方だ」
「は……、俺?」
「先日の一件、不作法とは思いましたが、目に入ってしまいました。鬼童先生が、刀を持った生徒を相手に、丸腰で戦い、果てには勝利してしまう場面を――」
篝との一戦か。だが、あれは二階の廊下だぞ。しかも旧部室棟の、ほとんど人なんか入って来ない、半分物置みたいな建物だ。
「それで、そんな所を見たからって俺に何の用だ。立川のお嬢さん」
「仕合を、お願いしたく存じます」
「仕合だぁ?」
「わたくしは、強い殿方が好きです。それに、姉上も仰っていました。凛の婿とするならば、凛よりも強い殿方でないと駄目だと」
「は? 婿?」
急に話が飛躍しすぎて一気に話の流れが読み取れなくなった。
「鬼童玄先生。わたくしとお立合いください。その武を以って、わたくしを打ち負かした暁には」
一度、目を閉じ、数瞬の間を置いて、再度俺の目を見据えて続けて言った。
「わたくしは、貴方の家臣となりましょう」
「……はい?」
本当に、ここに来てから意味のわからない事しか言ってないなこの子。
「……というわけだ、先生」
灯火は嘆息しながら言った。
「いや、どういうわけだか一ミリも理解できなかったけど」
やり切れなくなり、俺は自分で冷蔵庫から缶ビールを取り出し、開けて一気に呷った。怜が「あっ……」と小さく抗議の目を向けていたが、今は頭を整理するのでいっぱいいっぱいだった。
「つまりだな。この娘は、先生と立ち合いたいそうだ」
「それは分かった。その次は?」
「この娘は、自分より弱い相手に給仕する気はないと。だから、先生と立ち合い、先生が勝った場合、家臣として最善の奉仕をすると」
「待て待て」
やっぱりそこで一気に情報が飛ぶな。脳が追いつかん。
「玄先生にはご迷惑をお掛け致しますが、どうか飲み込んで受け入れてほしい次第でございます」
この子、俺の呼び方安定しないな。
丁寧な所作とは裏腹に、言動はだいぶ乱れてるぞ。
「立ち合って、俺が勝ったら家臣になる? なんだそりゃ。ここは戦国か。そもそも俺が負けたらどうすんだ」
「……わたくしは、給仕部を退部し、己の見る目の無さを悔い、鍛錬に身をやつす日々に戻ります」
「なにそれ怖い」
いや、本当に怖かった。この子の情緒どうなってんの。
勝っても負けても俺に得なんてなさそうなんだけど。
「先生、どうするんすか」
「いやいや。生徒相手に仕合なんて出来るかよ。篝の時はちょっとした例外があったからああしただけだ」
頭を打った影響か、あの時は俺もだいぶハイになってたからな。
「ご承知いただけませんか」
「無理。第一、なんでそこまで俺に拘る」
「わたくしは、いずれ嫁ぐ事になるでしょう。まだ相手は決まっておりませんが、その時の為に、花嫁修業をしたくこの学園に入学致しました」
「嫁ぐ……」
その言葉に理心が反応をした。
「花嫁修業、ねえ。それがどうして俺との立ち合いに繋がる」
「わたくしは、自分よりも弱い殿方に仕えるつもりはございません。わたくしにとって仕えるとは、ただ料理や掃除を覚えることではございません。己が認めた方の傍で、その在り方を学ぶことにございます」
「……俺はお前がどんくらい強いつもりなのか知らねえけど、他にも強い男はいるだろ」
それこそ理事長の私兵とか。あとは真白に仕えるライアンとかな。
「わたくしにも、一応好み、というものがございまして」
あっけからんと言う立川凛に面食らう。
「正直な話ではございますが、ライアン殿や佐竹殿では、わたくしの好みとは些か言い難い問題でございまして……鬼童先生ならば、顔も平均、体格も大きすぎず丁度良い、と思っております」
顔も平均は余計だ。
……佐竹とも面識があるのかこの子。さすが天下五剣の関係者だな。あいつは滅多な事じゃ顔を晒さないんだが。ちなみに佐竹とは、理事長の護衛役の長だ。真白にとってのライアンみたいなもんだな。
つうかこいつ面食いかよ。いや、俺もそこまで良い面じゃないけどな。自分で言ってて嫌になるけど。 え、つまり消去法?
「なんかすっげぇやる気でねえ。勝手にしやがれ! って感じ」
「つまり、仕合を受け入れるのか?」
「その、仕合とかいちいち大仰なのが怠いな」
「鬼童先生には、別のお考えがおありなのですね」
「ああ。もっと単純で分かりやすい方法を思い付いた。立川凛、お前、明日はいつでも俺に仕掛けてきていいぞ」
「は?」
灯火が反応する。
「俺は生徒を、ましてや女子を殴る趣味はねえ。だから、勝手にお前が仕掛けて、勝手に納得してくれりゃそれが最善なんだよ。ルールは簡単。明日一日で俺に一撃でも当てられたらお前の勝ち」
「つまり先生は、明日一日を、わたくしの攻めをかいくぐって過ごされると?」
「そういう事。俺が音を上げたら俺の負けでいい。だが、立川凛……いや、凛が無理だと悟ったら言ってくれ。それで俺の勝ちだ」
「そんな事をされて、よろしいのですか」
「もちろん。だけど他人を巻き込むのは駄目だ。俺が一人、もしくは他人を巻き込まない方法なら、授業中だろうと会議中だろうと、便所に居たって受けてやる」
その瞬間、凛は初めて年相応の少女のように目を輝かせた。
「本当に、それでわたくしを抑えられるのでしたら、貴方こそ、仕えるにふさわしい殿方でございます」
そう言って凛は強気な目で俺を見る。
まあなんとかなるだろ。
この時の俺は、凛の執念深さと迷いの無さを舐めていた。
いくら酒を飲んでいたとはいえ、軽はずみな事を言ったこの時の俺を殴ってやりたいね。




