第25話【中間試験⑦】
「困るなあ」
そう呟いた男は静かに刀を鞘に納めた。
「予定にないんだよ、君みたいなのは」
巨躯の大男――ライアンは全身の至るところを切り刻まれながら地面に伏していた。
校舎の隅、月の光も届かない場所で静かに行われた攻防。いや――一方的な斬撃。
「さーて。風祭の傀儡は上手い事やってくれるのかな?」
男は長い髪を風になびかせながらつぶやく。
血の匂いに満ちた空間で、その男の不敵な笑みだけがその場に残った。
***
刀を握った篝の雰囲気は先程までとは対照的に、鳥肌が立つほど静かだった。
その癖に、一刀一刀の斬りかかりは重く、速く、迷いがない。
確実に俺の命を狙った一刀。
篝の振るう凶刃を目で捉える。刀の横っ腹を押すように流し、軌道を変える。
一撃、二撃、三撃。避ける、捌く、避ける。
暗闇に慣れた目は完全に篝の剣筋を読んでいた。
だがもっと、もっとだ。こんな程度じゃまだ、足りない。
読み違えたら腕が飛ぶ。首が飛ぶ。命が散る。
もっとこの楽しい時間を続けてくれよ。
「……っ!」
袈裟斬り。からの斬り返しの逆袈裟、刀の側面をなぞって捌く。
「……ふぅ。……先生さあ」
「あんだよ」
「普通出来ないから。ほんとに人間? それとも実はなんか仕込んでるの?」
「なんも持ってねえぞ。お前は丸腰の俺を刀持って襲ってるただのやべえ奴だ」
手を開いてひらひらと何も持っていない事をアピールする。
「つまり、種も仕掛けもないって?」
「ねえな」
「……はは。もう嫌になるなあ。今までの僕の鍛錬は一体なんだったのさ」
「悪くないぞ。良い筋してると思うがな」
「先生に言われても馬鹿にされてるのか褒められてるのか微妙だね」
「褒めてんだよ」
「……なんで、あんなこと出来るの? こっちは妖術でも使われてる気分なんだけど。当たるはずの攻撃が当たらないのは」
「いつの間にか出来るようになってたんだよ。俺の過去を調べたならわかるだろうが、俺は毎日毎日色んな奴に狙われるようになってな。その度に怪我してちゃ命がいくつあっても足りねえだろ? だからそもそも攻撃を受けない様にしようと気を付けてたらこうなった」
「こうなった……じゃないでしょ。化け物じゃん」
「失礼なやつだな」
「ま、いいや。やることは変わらないし」
そう言いながら篝は刀を鞘に納める。
「そろそろ終わりにしようか」
そのまま、姿勢を低くし構える。
居合の構え。
「そうだな。俺も貧血で倒れそうだ」
「……それなら、楽でいいんだけどね」
そして、篝の顔から表情が消えた。
時間が止まった。そう錯覚する程冷えた一瞬だった。
刹那、篝の身体がその場から消えた。
更に深く低く潜り、一瞬で距離を詰めて刀を振り抜く――。
鞘を刀身が走り、火花が散る。
俺の首目掛けて音速の一撃が放たれた。
「……は、ぁ?」
篝の刀は俺の首にたどり着く前に動きを止めていた。
真剣白刃取り。左手で親指と人差し指でつまむようにして持っていた。
「お前、剣の筋はいいけど、喧嘩はまだまだだな」
右拳を堅く握る。身をよじり腰に力を込める。
終わりだ。正面から驚愕する篝の目を見据えた。
そして渾身の力で握った拳を篝の顔面に叩き込んだ。
「ぐふっ……!」
口から零れた空気が情けない音を発しながら、篝の頭は床に叩きつけられた。
「視線の動きで狙いがバレバレだったぞ」
ふぅ……、しんど。
俺はしばらく、倒れて意識を失った篝を見下ろしていた。
***
藤咲理心を逃がしたあと、我は怜の助力を借りつつも、なんとか男たちの追跡を阻止していた。
何度か足を運んだ部室は見るも無残な姿に変わり果てている。
ティースタンドは床に落ちて割れ、破片が床を汚している。
先日の料理で使用したらしき油が部室の至る所に撒かれている。
これは怜が男たちの動きを制限する為に投げつけたものだ。
「派手な事すんなあ」
「大惨事じゃん」
そんな状況で怜が、焼き鳥を焼くために用意していた備長炭なんぞ投げつけたから部室が炎上した。
「な、なんでこんな」
部室の入口で軽い小火を見て藤咲理心が絶句していた。
「藤咲理心、なぜ戻ってきた」
戻ってきた藤咲理心の顔面からは生気が感じられない。
部室を出る前よりもやつれてみえた。
「対象、捕捉」
「なんか大事になって人が来そうだし、ちょうどいい引き揚げ時じゃん」
男たちの狙いは再度藤咲理心に向けられる。
「させるか」
だが遠い。
火の手から逃れる為に先生の机の上に退避していた我では間に合わない。
「部長。あとでちゃんと、説明してくださいね……♪」
右手にお玉、左手にフライパンを構えた怜が藤咲理心と男の間に割って入る。
「怜!?」
「怜さん……」
「大丈夫です、理心さん♪ 私が守りますから♪」
怜の登場で少しばかり男たちは面食らっていた。
この隙に近づけさえすれば……。
「ぐぅ……っ!?」
突然、横っ腹に鈍い衝撃。しまった――近くにいた男の存在を忘れていた。
「がっ……」
我の身体は床に突き飛ばされ、そのまま蹴りを入れた男に組み敷かれる。
なんてことだ。我としたことが、なんて無様な。
「ようやく終われるな」
「ああ」
男たちの気が緩んだのを感じ取る。しかし、完全に動きを封じられた我は腕一本動かせない。
「部長!」
「お前も大人しくしてろ!」
「きゃっ!」
怜は迫る男たちを寄せ付けないようにフライパンをぶんぶん振り回す。
その光景を呆然と見ていた藤咲理心は、感情を削り取られたような顔をして呟いた。
「もう、いいっすよ」
弱々しい声だったが、その声は確かにこの場にいる全員の耳に届いた。
「大人しくするんで、もうやめてくれないっすか……」
藤咲理心の声は続く。
「私が付いていけば、その人たち離れてくれるっすよね。もう、誰にも手を出さないでもらえるんですよね」
「理心さん……」
藤咲理心は怜の横を通り過ぎて、自らの足で男に近づく。
「怜さん、いつもご飯美味しかったっす。……巻き込んで、ごめんなさい」
「やめろ藤咲理心! それではなんのために……」
我らがお前を守ろうとしているのか。
先生も、真白先生も、なんの為に……。
その時、廊下から何かを引きずるような音が廊下から響いた。
ずるずると続く音は徐々にこの部室に近づいている。
「なんだ?」
男の一人が反応する。連鎖するように、全員が廊下を凝視していた。
***
「なんだこの状況。なんでライアン来てねえんだよ」
起きても動けないように拘束した篝の身体を引きずりながら部室に戻ると、なんか大変な事になってた。
灯火は男に押さえつけられ、理心も刺客と思わしき男につかまってる。
怜に至っては面白い武装をしていた。
「……先生」
「なんだ理心。お前顔色悪いぞ」
「……もう、いいっすよ。私、このままこの人たちに付いていくんで」
「は?」
「もう、いいんす。いままでありがとうございました……」
「……なるほどな」
大方、部室もめちゃくちゃだし、灯火も怜も理心を守る為に抵抗していたんだろう。その様子を見て自分を犠牲にすれば事が済むと思っちまったのか。さっき俺も思いっきり流血しちゃったしな。少女にはちょっと刺激が強かったか。
「なあ理心」
俺は篝の身体をその場に捨て、一歩、部室に足を踏み入れる。
「おい、近づくな。この女の腕を折るぞ」
ぴたりとその場で足を止めて声の主を見る。
「誰だよてめぇ。うちの生徒に何してんだ」
灯火は目で「構うな」と訴えているが。そういうわけにもいかねえんだ。
もう一歩、二歩と進む。
「止まれって言ったのが聞こえなかったのか!」
男は手に力を込める。瞬間、灯火が痛みに顔を歪めた。
ここまで近づきたかったんだよ。ここからなら、一足で踏み込める。
足に力を込め、一瞬で体重移動を終わらせ、飛んだ。
「があっ!」
勢いを利用して男を蹴り上げる。そのまま足を打ち下ろし、男を踏みつける。
生徒に手を出されちゃ、手加減はできねえよ。
「なんだこいつ!」
残り三人。異常に気付いたのか、空気が引き締まった。
まあ関係ないけどな。
そして理心を掴んだ男に瞬時に近づき顎の先端に拳を叩きこむ。
かくん、と何も言葉を発する事なく男は地面に吸い込まれるように倒れた。
「なあ理心さんよぉ。仮にお前が連れてかれたら、俺はどうすると思う?」
理心の頭をぽんぽんと叩きながら聞く。
「どう、する?」
「俺はな、理心。連れ戻しに行くぞ」
向かってきた男の頭を掴みアイアンクローで沈める。
「攫われたら連れ戻す。その先で万が一お前に危害が加えられてたら報復する」
「どうして、そこまで構うんすか……」
「どうして? お前はこの学園の生徒だろうが。守られるべき子供だろうが」
「そう、なんすか」
どこか煮え切らなさそうな顔をする理心。
「あとな、単純に俺はお前が気に入ってるんだ。何考えてんのかわかんねえくらい表情はいつも暗いし、口を開けば皮肉っぽい。最近じゃ部室でごろごろ菓子食って寝転がってるだけだけどな」
「……褒める気ないっすよね」
「最近の部室は楽しいと思わないか? 美味い飯がでてくるし、来る人間も増えて少し賑やかになった」
「それは……」
認められないんだろうな、こいつは。いつか失うと思ってるからこそ、こいつは幸せを受け入れられない。
「先生!」
突然灯火が叫んだ。
最後の一人の刺客が刀を抜いて俺に斬りかかる。
「おっと」
理心を一歩下がらせ避ける。
振り落とされた刀を踏みつける。
ぱきぃぃんと高音が響いて刀が折れた。
「くそがっ!」
男は折れた刀を手放して部室の外へ逃げる。
それを遮るようにでかい影がのっそり現れた。ライアンだ。
「ひっ……なんだこいつ……」
巨躯の大男の存在感に圧倒されながら男は半歩後ずさる。
ライアンは手を伸ばし、そのまま男の頭を押さえつける。
めきめき、めりめり、などの擬音が聞こえてきそうな圧をかけて、男は地面に押し潰された。
「……どうしたライアン。血だらけだぞ」
「……お前、もな」
そういえば俺も派手に流血してたわ。
はあ。まあとりあえず終わったか。
部室に倒れる男たちを眺める。
しかしひでえ状況だな。なんか至るところに焦げ跡みたいなのがあるし、床は油でギトギトしてるし。
「……先生、大丈夫ですか?」
怜が冷えたタオルを持って駆け寄ってきてくれた。
「さんきゅ」
額に当てるとひやりと心地のいい冷たさに包まれた。
ああ……一気に頭冷えて冷静になってきた。
なんかくらくらするな。
「で、理心、さっきの続きだ」
「……うっす」
理心は身構えるように身体を固くした。
「だから、なんだ……あんまり自分を軽く見るなよ」
「理心さん♪」
「あ、はい」
「私も、理心さんがどこか行っちゃったら追いかけますから♪」
「えぇ……」
「我も行く」
「皆、なんでそんな私に構うんすか……面倒じゃないんすか、こんな、色々厄介な女」
「私にとって理心さんは大切なお友達ですから♪」
怜がまとめてくれた。
「つーわけだ。お前が攫われても事は終わんねえの。むしろより面倒なことになんの。俺にも、友達にも、余計な手間かけさせる選択は今後するんじゃねえ」
「友達……」
理心は怜と灯火を横目で見る。
それに対して怜はにっこりと微笑みを返し、灯火は静かに頷いて答えた。
「これぞ青春」
「おっさん臭いな」
「お兄さん、な」
あー、駄目だ。本格的に意識が朦朧としてきた。
「悪いがあとは頼んだ」
「先生……?」
「ちょっと寝る」
「そのまま死んだりしないっすよね」
「してたまるか。疲れただけだ」
理心の定位置だったソファーに横になる。焦げ臭いしなんか油でぬめぬめしてるがどうでもよかった。
あとの事は真白とライアンが処理してくれるだろ。
とりあえず俺の役目は終わったよな……。
目を瞑ると一瞬で意識は深い眠りに落ちていった。




