第17話【過去④】
「まずは前提から話すわ」
俺と真白と理心は、校舎に向かって歩きながら話を続けていた。
「この子の名前は、明智理心じゃない」
理心と肩を組みながら歩く真白が言う。
どうでもいいけど、それ歩きづらいだろ。
「明智理心じゃない?」
「あら、あんまり驚かないのね」
まあ、名前関連で事情がありそうなのは察してましたし。
「この子の本当の名前は」
もったいぶるように言って、真白は理心の背中を軽く押した。
「えと……藤咲っす。藤咲理心」
「藤咲……?」
どこかで聞いたような気がする。
「名前は本名だったわけか。だから名前で呼べって?」
「そうなるっすね」
理心は少しだけ気まずそうに視線を逸らした。
「明智ってのは?」
「偽名っす。身分を隠すための」
「物騒な高校生活だな」
「自分でもそう思うっす」
「藤咲家」
真白が横から口を挟む。
「天下五剣の一角よ」
「天下五剣?」
大仰な名前が出てきた。
「この国の裏側で、古くから武をもって地位を築いてきた勢力。現時点では、藤咲、村雨、立川、宮本、柳生」
「急に少年漫画みたいな単語出してくるな」
「現実よ」
「余計に嫌だわ」
真白は気にせず続ける。
「理心さんの兄は、その藤咲家の現当主に近い立場にいる。いえ、実質的にはもう中心人物と言っていいわね」
「兄?」
「私の兄っす」
理心は小さく頷いた。
「先生、天下五剣って知ってたっすか」
「あれだろ、鬼丸国綱とか童子切安綱とか」
「それにちなんではいるっすね。この国で実力のある剣客をそう呼ぶんすよ」
知ってるよ。嫌って程な。
理心は続ける。
「私の兄は、その天下五剣なんすよ」
「……お前、さらっと言うね」
「しょうがないっす。事実っすから」
天下五剣、藤咲家か。どうりで聞き覚えがあるわけだ。
「今回の連中は、おそらく理心さん本人が目的というより、彼女を使って藤咲家に圧をかけたい連中の仕業でしょうね」
「つまり?」
「理心さんのお兄さんへの脅し、ってこと」
「ここ数年で、天下五剣に数えられる五人の中に兄が入ったんす。それで、勢いに乗る兄を蹴落としたい人たちがいるみたいで。私には詳しいことはわからないっすけど、妹の私を引き合いに出して、兄をどうこうしたいんじゃないっすかね」
理心は、自分の腕をさすりながら言った。
「実際、こんな感じで襲われたのは初めてじゃないんすよ」
「理心さんは、入学前にも似たような連中に攫われそうになったらしいわ。詳しい話は私も知らないけど、おばあさまは把握してる。それで、危険を回避するために偽名で入学させたのよ」
「まあそんな感じっす。騙して悪かったっす」
「いや、それはいいけどよ」
こいつが人と積極的に関わらないのは、そのせいか。
いつどこで襲われるかわからない。
だから人の多い場所にはいられない。
巻き込む可能性があるからだ。
かといって、人の少ない場所も危ない。
今日みたいに、狙われる。
放課後、寮にそのまま帰る生徒はそう多くない。
部活や遊びに出ている連中が多く、寮にいるのは直帰した生徒と寮母くらいだろう。
人が少なければ、自分だけでなく、近くにいる誰かまで巻き込む可能性がある。
だから、こいつは人の少ない寮でも、人の多い食堂でもなく、あの寂れた文芸部を選んだ。
いや、正確には真白が選ばせたんだろう。
俺がいて、他に誰もいない部室。
何かあっても、巻き込む相手は最低限で済む。
その文芸部にも、先日のことで行きづらくなった。
それで今日のように人気のない場所を探していたら、襲われた。
……ったく。面倒だな。
半分は、ああいう空気にしちまった俺のせいじゃねえか。
だが、これでわかった。
理心を狙う輩は、確実にこの学園に潜んでいる。
「で、藤咲理心」
「なんすか」
「お前はどうしたいんだ」
「どう、って」
理心は困ったように眉を下げた。
「別に。卒業まで静かに過ごせれば、それでいいっす」
「それでいいのか」
「いいも悪いもないっすよ」
理心は軽く笑った。
「私は、家に戻ったらもう終わりなんで」
「終わり?」
「結婚させられるんすよ。たぶん」
さらっと言った。
あまりにも軽く言うものだから、一瞬意味を取り損ねた。
「……結婚?」
「政略結婚ってやつっす。兄の立場をもっと確かなものにするために。会ったこともない、知らない偉いおじさんと」
「……」
「本当なら、もうとっくにそうなってる予定だったんすけどね」
理心は空を見上げる。
「私は親や兄の反対を押し切って、この学園に入ったんす」
あっけからんと言う。
「だからきっと、これが私にとって最後の自由っす」
けれど、その表情は悲壮感で染まっていた。
「兄のために、利用されるんす」
「……」
「明智って名前は、そのための防衛策だったのよ」
真白が静かに言う。
「藤咲理心として動けば、彼女はすぐに見つかる。だから一時的に苗字を変えて、学園内で静かに過ごしてもらうつもりだった」
最後、だもの。
そう言って、真白は目を伏せた。
こいつは、理心が最後の時間と決めたその心情を理解しているのだろう。
それと同時に、名家による行動の強制力も理解している。
だから最後くらいは、と。
安寧の時間を理心にもたらしたかったのだ。
「その割には普通に攫われかけてんじゃねえか」
「そうね。思ったより相手が早かった」
「他人事みたいに言うな」
「他人事ではないわ。だから玄を巻き込んだの」
「だったら最初っから説明しとけ」
真白は悪びれもしなかった。
「でも、結果としてなんとかなったでしょ?」
「ずいぶんいい加減な采配だな」
「だってまさか数日で喧嘩別れしてるとは思わないじゃない」
言い返せなかった。
さっきの連中相手に、普通の教師や警備員が居合わせたらどうなっていたか。
少なくとも、理心を無事に取り返せたとは限らない。
「で、誰がやったんだ」
「それはまだわからないわ」
真白は校舎へ続く道の先を見ながら言った。
「ただ、候補はある」
理心が小さく息を吐いた。
「天下五剣、もしくはその候補者たちっすね」
「藤咲、村雨、立川、宮本、柳生、だったか」
「そうっす」
「その中の誰かが、お前を使って兄貴を脅そうとしてるって?」
「多分っす」
「多分ばっかだな」
「私自身、全部を把握してるわけじゃないんすよ」
理心は少しだけ困ったように笑った。
「家のことなんて、もう関わりたくなかったんで」
その言葉は軽かった。
だが、軽いぶんだけ、やけに重く聞こえた。
「その村雨ってところは、除外してもいいかもしれないっす」
「なんで」
「なんでも、現世最強って言われてる人なんで。わざわざこんな回りくどいことはしなさそうじゃないっすか」
「ずいぶんいかつい通り名だな」
「確か、私とほとんど同じくらいの年の女の子って話だったような」
「化け物じゃねえか」
真白がくすりと笑う。
「面白いわね」
「どこがだよ」
「世の中にはいるのよ。理屈の外にいる人間が」
何故か俺を見る真白。
俺はその視線から逃げるように理心を見る。
さっきまで地面に座り込んでいた少女は、歩きながらもどこか遠くを見ていた。
ここにいるのに、もう先の終わりを見ているような顔だった。
これが最後の自由。
その言葉の意味が、ようやく少しだけわかった気がした。
「……そうか」
俺は短く息を吐いた。
「なら、もっと友達とか作って、思い出でも作った方がいいんじゃねえの」
「さっきの人達みたいのに絡まれてるのに?」
「あ……」
「迷惑かけるだけっすよ。誰かと親しくなっても、卒業したらその人たちとは会えないでしょうし」
「……」
「まあでも、先生がなんか強いのはわかったんで」
理心は少しだけ、いつもの調子に戻ろうとするみたいに笑った。
「これからはまた、護身のために部室に行くっす」
「護身て」
「良いっすか?」
「ああ。いいんじゃない」
面倒な荷物を抱えたな、と思った。
事情を知った以上、放っておくわけにもいかない。
またいつ、さっきみたいな連中に襲われるかわかったもんじゃない。
それに、何より。
こいつの言う“最後の自由”ってやつが、どうにも気に食わなかった。
「しゃーない。お前の問題が解決するまで守ってやる」
「解決?」
「いつまでも一人の生徒の問題に首を突っ込んでられるほど、教員は暇じゃないんだ」
「貴方は暇でしょ」
真白が横から茶々を入れてくる。
「うるさい」
「暇じゃないなら、昼間から部室でお酒なんて飲んでいないわ」
「うるさいって言ってんだろ」
理心が少しだけ笑った。
それでいい。
さっきみたいな顔をしているよりは、ずっといい。
「とにかく、とっとと解決して、お前は友達を作るなり恋人を作るなりすりゃいい。最後の自由だってんなら、この学園で面白おかしく過ごしていきゃいい」
「解決って……相手もわからないのに、っすか」
「相手が諦めてなきゃ、また似たようなのが来るだろ。そいつをとっつかまえて全部吐かせりゃいい」
「簡単に言うっすね」
「こういうのは重く考えすぎないのが大事なんだよ」
真白が隣で、少しだけ笑った気配がした。
「やっぱり貴方に任せて正解だったわ」
「うるせえ。最初から巻き込む気だったくせに」
「否定はしないわ」
「否定しろ」
俺は理心を見る。
「まあそういうわけだ。俺はお前の自由な時間を取り戻してやる」
少しだけ声を落とす。
「この学園にいる間くらいはな」
理心は少しだけ目を丸くしたあと、ふっと視線を逸らした。
「……変な先生っすね」
「よく言われる」
「あと、不良教師っす」
「それも最近言われた」
「でも」
理心は小さく息を吐いた。
「……ありがとう、ございます」
その声は、いつもの軽さより少しだけ小さかった。
これが、俺が理心を守ると決めた始まりだった。
待ってろ、理心。
今となっちゃ、お前にもそれなりに情が湧いてる。
絶対に、お前の青春を取り戻してやる。




