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第16話【過去③】

 次の日も、その次の日も理心は部室に来なかった。

 どうやら本気で地雷を踏んだらしい。

 なんとなく俺ももやもやを抱えたままだった。

 こういう時は酒だ。とにかく酒だ。俺は酒造蔵に来ていた。


「お疲れ様、鬼童くん」


 首に巻いたタオルで汗を拭いながらの熊崎が出迎えてくれた。

「お疲れ。要件はいつも通りだ」


「ははっ、知ってる。準備してあるよ」


「毎度毎度助かる」


「これくらいならお安い御用だよ。僕も鬼童くんにいっぱい助けてもらったし」


「まだそんな事言ってんのか。あれは俺が勝手にやってただけだぞ」


「別にいいよ。あの頃のお礼を僕がしたいだけ」


 熊崎は続ける。


「卒業した後、鬼童くんと音信不通になって心配してたんだ。この学園に君が入ってくるって知った時は驚いたよ。生きてたんだよかったぁって。しかも教師として」


「その話は何度も聞いた」


「ああ、ごめんごめん。ほんとに嬉しかったって事だよ」


「そりゃどうも」


「それじゃ取ってくるから待ってて」


 熊崎は蔵に入っていってすぐに戻ってきた。


「今回はすごいおまけ付きだよ」


 そう言っていつもの缶ビールともうひとつ、小さな酒瓶がいくつも入った袋を見せつけてきた。

「なんだこれ」

「純米酒。外のお酒だよ。結構人気で入手困難らしいよ」


「まじか」


「僕も一本飲んだけど凄い口当たりが良くて美味しかった。その残りで悪いけど、良いお酒だから持ってってよ」


「ありがてぇ」




 熊崎から酒を受け取り、俺は部室へ戻ることにした。


 良い酒と聞くと、不思議と気分が高揚する。

 理心との一件のもやもやも、少しだけ晴れた気がした。


「さて、とっとと戻るか」


 袋の中で酒瓶がかすかに鳴る。結構重い。だがそれでいい。割れないように丁重に扱ってやろう。美味い酒を手に入れただけ。それだけで足取りが軽くなるのだから、我ながら単純なものだ。


 普段なら本校舎へ戻るには決まった道を通る。

 だがその日は、少しでも早く部室へ戻りたかった。

 重いし早く飲みたいし。


「ん……こんな道あったか?」


 酒造蔵から本校舎へ向かう途中、見慣れない脇道が目に入った。

 雑草に半分埋もれた細い道。人通りがあるようには見えないが、方向としては本校舎の端へ抜けられそうにも見える。


「もしかしたら近道だったりするかもな」


 そう思ったのが間違いだった。


 しばらく歩くと、道はどんどん人気のない方へ逸れていった。

 周囲には放置された古い建物と、伸び放題の草。

 学園の敷地内とは思えないほど、空気が淀んでいる。


「外れじゃねえか」


 舌打ちしながら踵を返そうとした、その時だった。


「誰っすかあんた! ちょ、痛い、離せっす!」


 聞き覚えのある声がした。


 足が止まる。


 理心の声だ。


「対象を確認」


「予定通り連れていく」


「やめ、離せって言ってるっす!」


 声は、放置された建物の陰から聞こえてくる。

 切羽詰まった声音だった。


 俺は考えるより先に駆け出していた。


 建物の角を曲がると、そこには数人の男がいた。

 全員がスーツ姿。学園関係者には見えない。


 その中心にいる男が、理心を押さえていた。

 片手で理心の両腕をまとめて掴み、もう片方の手で口を塞いでいる。


 理心は必死にもがいていたが、体格差があるのか、まるで動けていなかった。


「どういう状況だよ」


 声をかけると、男たちの視線が一斉にこちらへ向いた。


「んん……!」


 理心の顔が、驚きと安堵と、ほんの少しの気まずさで歪む。


「ちっ……見られたか」


「理心、こいつら知り合い?」


「んんん……!」


 押さえつけられながらも、理心は必死に首を横へ振った。


「対象の関係者か」


 司令塔らしき男が、理心を押さえたまま低く言う。


「予定外だが支障はない。目撃者も連れていく」


「なんかめんどくせぇ事に関わっちゃった感じ?」


 俺が言うと、男の一人がこちらへ歩いてきた。


「黙って大人しくしていろ」


「それはこっちの台詞なんだよな。うちの生徒を離せ」


「拘束しろ」


 スーツ姿の男が、俺に向かって拳を振り上げた。


 だが、その拳が届くことはなかった。


「あが……っ」


 俺は男の顔面を掴んで、その動きを止めていた。


「お前ら誰だよ」


 力を込めると、男の足が少しずつ地面から離れていく。

 必死にもがいているが、知ったことか。


 やがて男は、激痛に耐え切れなくなったのか、白目を剥いて気絶した。


 俺はそいつを、ゴミでも捨てるように横へ放った。


「何者だ、こいつ」


「関係ない。抵抗するなら多少手荒でも問題ない」


「だが殺すなよ。後処理が面倒だ」


 物騒なことを淡々と言いやがる。


 次の瞬間、数人の男たちが俺を囲むように動いた。

 無駄のない足運び。素人ではない。


 だが、遅い。


 振るわれる拳を、半歩ずれて躱す。

 踏み込んできた男の腹に膝を入れる。


 背後から伸びてきた腕も、体を傾けるだけで空を切った。

 そのまま振り返りざま、顎を軽く打つ。


 もう一人が横から掴みかかってくる。

 俺は足を引いてそれを避け、伸びきった腕の先にいた男の膝を蹴った。

 体勢を崩したところへ、肩口に拳を落とす。


 気づけば、男たちは地面に転がっていた。


「なんなんだよ、善良な教師に」


「何者だ、お前」


「教師だっつってんだろ。理心離せ」


 司令塔らしき男に声をかける。

 布で顔を隠しているから、その表情は窺えない。


「……仕方ない。退く」


 男は理心から手を離し、こちらへ向けて突き飛ばした。


「てめぇっ」


 俺が理心を受け止めようと踏み出した、その瞬間だった。


 男の足が、俺の手元に向かって鋭く伸びた。

 狙いは俺ではない。手に持っていた袋だ。


 咄嗟に体を引いたせいで、蹴りは袋の端に当たった。


 ぱきん。


 嫌な音がした。


 見下ろす。


 袋から落ちた小さな酒瓶が、割れていた。

 中身が地面に染みていく。


「……」


 一瞬、頭の中が真っ白になった。


「あああああ!!! 酒瓶割れてんじゃん!!! どうしてくれんだこの野郎!!!」


「そこなんすか」


 突き飛ばされて地面に転がった理心が冷静に言う。


「そこだろ! 入手困難らしい純米酒だぞ!」


「知るかって言いたいところっすけど、助けてもらった立場なので強く言えないっす」


「って……あいつどこいった」


 俺が酒に気を取られている隙に、顔を隠した不審者は消えていた。


 ふざけんな。

 酒弁償しろ。


「おい。起きろ。弁償しろ」


 俺は気絶して倒れている別の男の顔を叩く。


「……起きないっすね」


 男は口の端からぶくぶくと泡を吐き出しながら何故か満足気な顔で伸びていた。


「気絶してるっす」


「じゃあ起きたら弁償させる」


「その前にこの状況気にならないんすか」


 状況?

 そうだ。生徒が人気のない場所で数人の男に囲まれて攫われそうになってたんだった。

 大事件じゃねえか。


 俺は理心を見る。


「これはどういう事なんだ」


「……」


 理心は言葉に詰まった。


「俺の酒は?」


「いやそれは知らないっす」


 腕を掴まれていた場所を、もう片方の手で押さえている。


「怪我は」


「大丈夫っす」


「そうか」


 俺は地面に転がる男たちを見下ろしてから、ため息を吐いた。


「ちょっと待ってろ」


 俺はスマホを取り出して理事長に繋げる。この不審者共をこのままにはしておけない。


「あー……お疲れ様です。鬼童です、はい。お忙しいところすみませんね理事長」


「……理事長?」


 理心が小さく呟いた。



 ***



「あー、はい、お願いします。はい、わかりました。では」


 はぁー、と深く嘆息する。あの人穏やかで優しいんだけど妙に圧があるから緊張するな。


「なんで理事長なんすか」


「あ? こういう面倒事は上に投げるに限るんだよ」


「学長じゃちょっと説明が面倒だしな」


 学長は俺の過去を知らない。こんな暴漢共を殴り飛ばしたなんて説明したら色々厄介な事になりかねない。

 だから事情を知ってる理事長に連絡した。


「手の空いてる者を送るってさ。……まさか真白が来たりしねえよな」


「……」


 理心は呆然と地面に視線を落としていた。


「で、お前こんな所でなにしてたんだ」


 不審者共を放置してこの場を離れるわけにもいかないので、ぼろくなった建物を背にして座り込んだ。


「……あんまり人のいなさそうな場所を探して」


「あ?」


 人目を避けてる感じは前からしていたが、なにがそうさせるのかは知らなかった。


「なんか、気まずくなっちゃって部室にも行けないし、寮だと他の人を巻き込んじゃうかもしれないですし」


 この言い方、自分がなんで襲われたのか、なんとなくわかってるっぽいな。

 さっきの奴といい、この地面で伸びてる奴らも、只者じゃない。まず、この学園に入るには専用のパスが必要で、つまり、正門での事務手続きが必要なわけだが、こいつらの首には正規の手段で入ったなら持っているはずのパスをぶら下げていなかった。

 それにさっきのあの動き。俺は避けられたが、素人の動きじゃなかった。明らかに何かしらの武術に長けた人間の動き。


「お前、何を抱えてる?」


「別に、大したことじゃないっす」


「大したことじゃないやつは、変な奴らに攫われそうになんてならねえ」


「……確かに、そうっすね」


 何か諦めた様に目を伏せる。

 その時、藪を突き破って目の前に車が停車した。

 ずいぶん大胆な運転だな。


「やっぱり真白が来たか……」


 俺はこめかみを押さえた。


 運転席から黒スーツにサングラスの大男が出てくる。

 そのまま華麗な所作で助手席のドアを開けると、ゆっくりと優雅に、真白がおりてきた。


「ご機嫌いかがかしら、玄」


 不敵な笑みを浮かべる真白。


「よろしいように見えるか」


「見えなくもないわね。久しぶりに暴れられてすっきりしたんじゃない?」


「はっ。こんなん準備運動にもならねえよ」


 強がりつつも軽口で誤魔化す。


 真白は地面に転がる男たちを見下ろす。


「ライアン、回収して」


「……ああ」


 ライアンと呼ばれた運転手兼大男は真白の言葉に従い、倒れている不審者を車のトランクに詰め込んでいく。

 相変わらず積載量が不明の車だ。

 明らかにトランクに男三人を収納するスペースなんてない。そのはずなのに不審者は綺麗に収納された。


「ライアン、このゴミも一緒に頼む」


 俺は割れた酒瓶の破片を指さす。


「……」


 少しだけ考えたあと、ライアンは男を詰めたトランクに手を入れて中から箒とちりとりを取り出した。本当に四次元と繋がってんじゃねえのか?

 綺麗に酒瓶の破片を回収すると、ちりとりの中のそれを、そのままトランクに捨てた。中から軽く悲鳴が聞こえた気がするが気のせいだろ。


 しかし……相変わらずでかい。

 2メートルを優に超す大男。膨れ上がった筋肉は黒スーツをパツパツにしている。

 隣にいる理心もその風体に目を見張っていた。


「なあ、どんくらい食えばその体型を維持できるんだ?」


「……1日10万キロカロリーを命じられている」


 どこぞのアンチェインかよ。

 人に従って、ってのが真逆だけどな。


「ライアン、戻っていいわよ。帰りは玄に送ってもらうから」


 何を勝手な事を。


「……わかった」


 ライアンはそういい運転席に戻る。

 あの運転席も謎だよな。とてもあの巨躯が収まるとは思えん。


「さて、玄。そして理心さん」


「……うす」


 いまだ調子の出ない理心は生返事だ。


「歩きながら話しましょう。今後の事。やっぱり玄には説明しといた方がいいわ」


「……そ、すか」


 どこか納得いっていない様子の理心に真白は近づく。

「大丈夫。玄なら貴女の問題も理解してくれるわ」


 そういって真白は理心の肩を抱く。

 労わるように。

 面倒事を擦り付けよう、って顔を俺に向けながら。


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