第15話【過去②】
その後、理心は毎日、放課後になると律儀に部室に足を運んだ。
他愛ない軽口程度しか話していないが、俺は自分のプライベートルームに突然入り込んできた生徒を、不思議と邪魔には思わなかった。
最初に提示した通り、俺たちは互いにあまり干渉しない。
理心はただ部室に来て、本を読むだけだった。
「毎日毎日、何読んでんだ」
「ミステリっす」
「インテリな発音だな」
「そうっすか」
「好きなのか」
「まあまあっす」
こいつはそれしか言わんのか。
「好きな作品とか作家とかいたら教えてくれよ」
「読むんすか」
「……多分読まない」
「じゃあ意味ないっす」
軽いコミュニケーションを拒絶された。
「明智と言えばあれだな。明智小五郎」
「あぁ……割と好きっす」
お、ようやくまともな反応。
「小さい頃、結構読んだっす」
「苗字が同じだと親近感とか湧くもんなのか?」
「さあ」
「さあって」
「あぁ、いや、よくわかんないっす」
妙な返事だった。 普通なら、あるとかないとか、そのくらいは即答できそうなものだ。
だが理心は、それ以上何も言わずに本へ視線を戻した。 俺もそれ以上は聞かなかった。 干渉しない。 最初にそう決めたのは俺だ。
それに、名前ひとつにいちいち突っ込んでいたら、きっと面倒なことになる。
そういう予感だけはあった。
***
それから数日。 もう放課後になると部室に理心がいるのが日課になりつつあった。
俺は同じ空間でただ酒を飲むだけ。理心は本を読むだけ。
相変わらず軽口程度を少し交わす程度の仲だったが、俺は妙な居心地の良さを感じ始めていた。
理心はその日も、いつものようにソファーで本を読んでいた。
「お前、ミステリーばっか読んでるな。好きなのか」
「まあまあっす」
言うと思った。
「もっとこう、少女らしいのは読まねえのか」
「少女らしい?」
理心が本から視線だけを上げる。
「恋愛小説とか」
「読まないっすね」
「なんで」
「興味ないっす」
いつも通りの軽い返事だった。 けれど、ほんの少しだけ声が硬かった気がした。
「なんだよ、恋愛で嫌な思い出でもあんのか」
「……まぁ、そんな感じっす」
理心はそれだけ言って、本に視線を戻した。 そこでやめておけばよかったのだろう。 だがこの時の俺はなんとなく理由が気になった。
「でもまあ、今のうちじゃねえの。そういうの楽しめるのって」
「……」
「友達作ったり、好きなやつできたり、放課後どっか寄ったり。普通の学生っぽいやつ」
「普通、っすか」
「あ?」
「先生、そういうの好きっすね。普通とか、今のうちとか」
「好きっていうか、もったいねえだろ。せっかく学生なんだから」
「もったいない、っすか」
理心は静かに本を閉じた。 その音が、やけに大きく聞こえた。
「ここでずっと本読んでるだけってのもな」
「先生もずっと酒飲んでるだけじゃないっすか」
「俺はいいんだよ。大人だから」
「大人だからいいんすか」
「お前はまだ若いだろ。選べるもんも多い」
理心の目が、少しだけ揺れた。
「……選べる」
「あ?」
「先生は、私が何でも選べると思ってるんすね」
「全部とは言わねえよ。でも、大概の事はなんとでもなるだろ」
「……」
「なんだよ、急に黙って」
「先生って、結構残酷っすね」
「は?」
「何も知らない人ほど、簡単に好きにしろって言うんすよ」
その言い方に、少しだけ腹が立った。
「なんだその言い方。こっちは別に悪気があって言ってるわけじゃねえぞ」
「知ってるっすよ」
「だったら」
「だから余計に嫌なんすよ」
部室の空気が、すっと冷えた気がした。
「嫌ってなんだよ。言わなきゃわかんねえだろ」
「わからなくていいっす」
「お前な」
「何も知らないくせに、勝手な事言わないで欲しいっす」
言った直後、理心は少しだけ目を伏せた。 言いすぎた。 そんな顔だった。
けれど、一度出た言葉は戻らない。
「……空気悪くして悪かったっす」
「理心」
「もう来ないっす」
「おい」
「今まで、邪魔して悪かったっす」
理心はそう言って、部室を出ていった。 扉が閉まる音だけが、妙に大きく残った。
「……めんどくせぇなぁ」
吐き出した言葉は一人きりの部室に静かに溶けていった。




