第14話【過去①】
新学期が始まって数日のある日。
午後の授業がなかった為、俺は昼間から酒を飲んでいた。
もはや俺のプライベートルームと化した、寂れた部室で。
自分で設置した小型の冷蔵庫の中には缶ビールを敷き詰め、その横には冷えていない缶ビールが並んでいる。
一本取ったら一本入れて冷やしておける、完璧な布陣だ。
スマホの画面を眺めながら、静かな部室でだらだらと酒を飲み続ける。
買い置きのスナック菓子をたまにつまむ。
「ふあ~ぁ……眠っ」
やめ時を見失い、惰性で見ていた動画から目を離して目を瞑る。
春の日差しでちょうどよい温度の部室は、惰眠を貪るには快適な環境だった。
こんこん、がらっ。
ノックの後、返事も待たずに部室の扉が開かれた。
微睡んでいた目を薄く開けて扉の方を見る。
……げ。
「良いご身分ね、玄」
会いたくないやつが来やがった。
こいつはこの学園の理事長の孫娘、天城真白。
過去の俺を知ってる人物だ。
「……なんでこんな所に」
「喜びなさい。この辺鄙な部室に入部希望者よ」
「入部……?」
……そういえばここって文芸部の部室だった。
ここ数年、入部希望者も部員もいなかったので忘れてた。
真白の後ろから、すっと人影が出てくる。
「どもっす」
短く軽い挨拶。
「ああ……」
後ろから出てきた女生徒は、肩口まで伸びた髪に切りそろえられた前髪。その表情にはどこか覇気がなく、なんとなく悲壮感のようなものを携えていた。
「そいつだけ?」
「何か問題でも?」
「何年も部員すらいなかった部活が、いきなり一人で活動再開ってか?」
「まあ、普通なら同好会とかサークル活動になるでしょうね」
「じゃあなんでそうならないんだ」
「たまたま部室が残ってて、たまたま貴方がいたからよ」
「どういう意味だ」
「さあ。深い意味はないわ」
どう考えても含みのある言い方だった。
「そういうわけで、今日から貴方は文芸部の顧問。そしてこの子が部長」
「は……?」
何を言ってるんだこいつ。
「ちょうどいい事に、使用していない部室で昼間から酒を飲んで惰眠を貪る暇人がいるんだもの。うってつけでしょ。よかったわね、仕事が増えるわ」
くくく、とあくどい笑みを浮かべる真白。
「いやいや待て待て。生徒一人でなんの活動させるつもりだ」
「さあ。顧問なんだから貴方が決めなさい」
「全部俺にぶん投げるつもりか」
「空いてる部室を私的に利用して、挙句の果てに昼間から校内で飲酒。この事をおばあさまに報告してもいいのよ」
「たった今文芸部顧問になった鬼童玄です。そちらのお嬢さん、これからよろしくお願いします」
「物分かりが良くて助かるわ」
勝てない。理事長を引き合いに出されたら。
真白は満足げに笑うと、後ろにいた女生徒へ視線を向けた。
「じゃあ、あとは二人で適当にやりなさい」
「え、まじでぶん投げ?」
「部室があって、顧問もいて、部長がいる。十分でしょう」
「全然十分じゃねえよ」
「大丈夫よ、玄は素行は悪いし変な趣味も持ってるけど、悪い人間じゃないから」
「変な趣味は余計だ」
素行が悪いのは自覚している。
「じゃあ頑張ってね、理心さん」
「……ども」
理心と呼ばれた生徒は短く返事をした。
真白は最後に俺へだけ意味ありげな視線を向けた。
「なんだよ」
「玄。この子の事、お願いね」
それだけ言うと真白はさっさと部室を出ていった。
がらりと扉が閉まる。
面倒事だけを置いて、真白はあっさり帰っていった。
本当に嵐みたいな女だ。
だが俺は、あいつに逆らえない。
それなりに恩もあるしな。あいつの助けがなければ、俺はこの学園にいられなかったかもしれん。
さて、と。
置いていかれた面倒事を見る。
「……」
「……」
気まずい沈黙が落ちた。
「あー……まあ、適当に座れ」
「うっす」
女生徒は手近にあったソファーの端に、遠慮がちに腰を下ろした。
さっきの軽い口調に反して、動きには妙な硬さがある。
「名前は?」
「あ……えっと」
女生徒は一瞬だけ言葉に詰まり、それから胸ポケットに入っていた学生証をちらりと見た。
「……明智理心っす」
挙動不審なやつだな。
「明智さんね。なんで文芸部なんだ? 本好きなのか」
「本は……まあまあっす」
「まあまあで文芸部に入るのか」
「文芸部はなんか、ちょうどよかった、らしいっす」
先ほどの真白と似たようなことを言い出した。
「もしかして、ここに来たのは真白の発案か」
「そうっすね」
どういうつもりなんだ、あいつ。
改めて明智を見る。
顔立ちは整っている。だが、覇気がない。
疲れているというより、何かを諦めたような空気がある。
新学期早々、こんな辺鄙な部室に連れてこられて、部長に任命される一年生。
普通に考えて意味がわからない。
「明智」
「……」
「明智?」
「え、あ、私っすか」
「お前以外に誰がいるんだよ」
「ああ、すみません。名前で呼ばれることの方が多いんで」
「名前?」
「理心でいいっす」
「……理心」
「それでいいっす」
妙な反応だった。
名字で呼ばれることに慣れていない、というより。
今の名字に慣れていないようにも見えた。
まあ、初対面の生徒の事情に首を突っ込む趣味はない。
ましてや、真白が絡んでいるならなおさらだ。どうせ面倒な事情だろう。
「まあ、好きに過ごしてくれ。俺も今まで通り、好きに過ごさせてもらう」
「特に干渉し合わずってことっすか」
「まあそういうことだ。なんか問題があったら言ってくれ」
「了解っす」
「とりあえず俺は飲み直す」
冷蔵庫から新しい缶ビールを取り出して開ける。
ぷし、と炭酸の弾ける音が部室に響いた。
「不良教師っす」
「ほっとけ」
もう既に、昼間から飲んでいた空き缶を見られている。
今さら隠す必要もなかった。
自分でもどうかと思うけど。
「本読んでていいっすか」
「ご自由に」
理心は鞄から文庫本を取り出して、静かに読み始めた。
俺は缶ビールを片手にスマホへ視線を戻す。
部室には、ページをめくる音と、たまに俺が缶を傾ける音だけが響いていた。
不思議と、そこまで邪魔には感じなかった。
これが、俺と理心の始まりだった。




