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第12話【先生の好物・前半】

「今日は新鮮な鯵をいただきました♪」


 怜がそう言って見せてきた発泡スチロールの中には、銀色に光る魚が何尾も氷の上に並んでいた。

 隣では灯火が静かに頷いている。


「鯵……だと?」


 しかも新鮮と来た。

 それはつまり生食も可能ということだ。


「いつも思ってたんすけど、どこから持ってきてるんすか、こういうの」


 怜の代わりに灯火が答える。


「魚介などは主に養殖部。野菜は園芸部、山菜類は狩猟部や山岳部がついでに採ってきたものを分けてもらう」


 今更だけど、この学園の規模おかしいよな。


「養殖部ってなんすか」


「人の手によって魚介を増やす部だ」


「いやまあ、そうでしょうけど」


「校内の食堂や寮の食堂で使われているのは、主にそういった生産性のある部の活動で賄われている」


「そんなことより鯵だ、鯵。どうやって食うつもりだ」


「鮮度が良いからな、刺身やタタキ、なめろうでも作るか」


 勝った。今日は勝ちの日だ。


「どうしたんすか先生」


「今日は世界が優しい」


「どういうことっすか……」


「鯵、お好きなんですか♪」


「大好きだ」


「よかった♪」


 すぐに準備しますね♪――と、怜は厨房に引っ込んでいった。


「今日は手伝わないんすか?」


「我は鯵の運搬を手伝っただけだ。用が済んだので戻る」


「まじかよ。鯵を前にして食わないなんて選択ができるやつがこの世にいるのかよ」


「せっかくですし、またみんなで食べましょうよ」


「……わかった。なら、我は怜を手伝ってくる」


 そう言って厨房に入っていく。


 残された俺と理心は、大人しく料理が出来上がるのを待っていた。

 ……つもりだった。


 理心はいつも通り読書を再開している。

 だが俺は、好物の鯵を今か今かと待ちわびるあまり、どうにも落ち着きなく映ったらしい。


「鬱陶しいっす」


「だって鯵だぞ?」


「いや、確かに美味しいっすけど」


「好物だぞ!?」


「うるさいっす」


「どうしてお前はそんなに落ち着いていられるんだ!」


「先生は落ち着きなさすぎっす」


「お前、好物を前にじっとしてられるのか? 唐揚げで考えてみろよ!」


「今日は一段とテンション高いっすね……」


「私は夕食が唐揚げだとわかっても、先生みたいに右往左往しないっす。平静を装って心の中でうっきうきするだけっす」


「全然平静じゃねえじゃねえか」


「表に出さないのが大人ってやつっす」


「お前まだ子供だろ」


「先生よりは落ち着いてるっす」


 ぐうの音も出ない。


 実際、俺は落ち着きなく部屋の中を見回したり、厨房の方をちらちら見たりしていた。

 自覚はある。だが仕方ない。鯵なのだ。しかも刺身となめろうが確定している。


「そんなに好きなんすか」


「好きだ」


「即答っすね」


「鯵は偉いんだぞ。刺身も美味い、なめろうも美味い。焼いても美味い。しかも値段もそこまで仰々しくない。魚界の功労者と言ってもいい」


「なんか始まったっす」


「俺の好物グランプリで堂々の一位だ」


「なんすかその雑な表彰」


「表彰したくもなるだろ」


「ならないっす」


 理心は本を読みながら適当に返してくる。

 だが口元は少しだけ笑っていた。こいつもこいつで、こういうどうでもいいやり取りは嫌いじゃないらしい。


 その時、厨房の方から包丁の小気味いい音が聞こえてきた。

 続いて、味噌と薬味が混ざる匂いがふわりと漂ってくる。


「……っ」


「今反応したっすね」


「なめろうだ」


「匂いだけで?」


「わかる」


「怖いっす」


 さらにしばらくすると、今度は香ばしい匂いが混ざり始めた。

 鯵の身を焼く匂いだ。味噌の焦げる香りまで乗ってきて、もう駄目だった。


「……なあ」


「なんすか」


「まだか?」


「先生、さっきから五分おきくらいにそれ言ってるっす」


「だって遅い」


「魚料理なめすぎっす」


「好物を前にした人間の五分は普段の三十分に相当するんだよ」


「初めて聞いた理論っすね」


「今作った」


「でしょうね」


 とうとう本から顔を上げた理心が、呆れを通り越した目でこっちを見る。


「そんなに待てないなら厨房見に行けばいいじゃないっすか」


「邪魔だろ」


「一応その理性はあるんすね」


「俺をなんだと思ってる」


「酒飲みでだらしなくて鯵に異様な情熱を燃やす教師っす」


「どんな評価やねん」


 言い返そうとしたその時、厨房から怜が出てきた。


「お待たせしました♪」


 怜が上機嫌な声でそう告げ、その後ろから灯火が皿を運んでくる。


 机の上に並べられたのは、艶やかな鯵の刺身。

 薬味たっぷりのなめろう。

 表面を香ばしく焼き上げたサンガ焼き。

 さらに軽く炙ったタタキまで添えられていた。


「おぉ……」


 思わず、感嘆の声が漏れた。


「先生、すごい顔してるっす」


「仕方ないだろ、これは」


「そんなに喜んでいただけると嬉しいです♪」


「喜ぶに決まってるだろ」


 俺はもう箸を持つ手がうずうずして仕方なかった。

 今日という日は、やはり勝ちの日だった。

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