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第11話【お前も食え、って事っす】

 灯火に言われ、改めてここ数日の怜の様子を思い返す。


 思えば、怜が料理をしている姿は毎日のように見ていた。

 だが、食べているところは見たことがなかった。何かを飲んでいるところも。


 作って、提供して、感想に微笑む。

 それだけだ。


 何故、俺も理心も「一緒に食わないのか」と今まで言わなかったのか。

 言い訳かもしれないが、きっと怜がそれを望んでいない空気を察していたんだろう。


 灯火に聞いた詳しい話では、怜は『他人の手を借りる』ということを忌避している。

 そして、『自己犠牲の奉仕精神』。


 結果として、文芸部内での怜は、料理を作って提供することだけを善しとしていた。


 自身のための食事ではなく、与えるための調理。


 料理の後も、怜は椅子に座ることはない。

 厨房の横に立ち、微笑みを携えたまま、静かに次の指示を待っているだけだった。


 俺が缶ビールを空ければ、すぐに新しい一本を持ってくる。

 理心の紅茶が減れば、すぐに補充する。


 まるで、自分がそこに座って食べる側へ回ることなど、最初から考えていないみたいに。


 もう一つ言い訳を重ねるなら、俺は給仕部をそういう存在だと認識していたからだ。

 どこか異質で、奇妙な人間の集まりなのだと。


 灯火に言われて気づかされた。

 給仕部の噂という先入観に支配され、本質を見失っていたことに。


 怜も、灯火も、人間だ。

 しかも本来なら、俺が導くべき生徒だ。


 間違っているなら、それを指摘して正してやる。

 そう思って教師を目指したんだった。


 ……先入観を捨てた今ならわかる。

 怜の行動も、それを当たり前みたいに受け取っていた俺たちの態度も、明らかにおかしかった。


『自己犠牲』か。


 俺は今でも、あの頃の自分が間違っていたとは思っていない。

 他人のために駆け回った学生時代を。


 だが、怜のそれは俺とは違う。

 真に誰かを思うなら、言いなりになんてなるべきじゃない。


 怜と俺は似ているのだろう。

 ただ、考え方が違う。


 そしてこれは、俺のエゴだ。


 俺は、怜に本来の献身ってやつを教えてやらなきゃならない。

 最終的に変わるのか、そのままなのかは怜次第だ。

 だが少なくとも、お前は間違っていると、言ってやらなきゃ気が済まない。


 学生時代の俺が間違っていなかったのだと、どこかで押しつけたいだけなのかもしれない。


 かくして、俺と灯火は怜をどうにかする協定を立ち上げた。

 今まで怜の奉仕に甘えていた身としては身を切る思いだが、それでも一生徒が自分を蔑ろにしすぎる様を見るのは大変よろしくない。


 少なくとも、尽くすだけでなく、何かを与えてやりたいと思った。


 とは言ったものの、どうしたものか。

 別に俺は、怜に理念を曲げてまでああしろこうしろと言うつもりはない。


 怜は机にせっせと拵えた魚介を並べていく。

 理心の前には炉端焼き器と新鮮な魚介が並んでいった。


「今日もすごいっすね」


 確かに。学園の一部室で振る舞われる料理とは思えん。


 作業を手伝っていた灯火が、しれっと空いている席に座った。


 ――これだ。


「怜、たまにはお前も一緒にどうだ」


 言った。今まで空気を読んで言えずにいた一言を。


「遠慮します♪」


 やんわりと断られた。


 もうだめだ。心が折れそうだ。

 そんな眩しい笑顔で拒絶しなくたっていいじゃないか。

 勇気を出して放った一言は、一瞬で大気に溶けていった。


 何をしているんだと言わんばかりの形相で灯火が俺を見ていた。

 俺は精一杯、魂込めて言ったつもりなんだが。どうやら怜には届かなかったらしい。


「みんなで食べたほうがおいしいっすよ」


 理心が思わぬ助け船を出してくれた。


 ここだ。


「そうだぞ、たまには一緒にどうだ」


「遠慮します♪」


 しぶとい。

 だがここで引いたらさっきと同じ木阿弥だ。


「と、灯火部長も座ってるんだし、な?」


「遠慮します♪」


 もうだめだおしまいだ。俺に出来ることはもうない。


 灯火が、こいつはだめだ、みたいな顔で俺を見ていた。

 俺は生徒にこんな目で見られるために教師になったわけじゃないのに……。


 どうしてこいつはここまで俺たちとの同席を拒むんだ。


 本当は俺たちのことが嫌いなのかもしれない。

 お前らと同じ食卓で飯なんぞ食えるか――そういうのが怜の本音なんじゃないだろうか。


「怜、網焼きなら皆で並んでいても焼ける。むしろ立っていられると気が散る」


 なるほど、そう来たか。

 お前のためじゃない、目障りだから座れ、と。


「……仕方ありませんね♪」


 不服そうだが、納得はしたらしい。

 こういう言い方が怜には効くらしい。


 ちらりと横目に入った灯火の顔は、「どうだ」と言わんばかりのドヤ顔だった。うぜぇ。


「まずはどれを焼きますか♪」


 座っていても、焼きの主導権を誰にも渡す気はないらしい。

 俺と理心の顔色を伺いながらも、野菜類を炉端焼き器の端に配置していく。中央を空けたままなのは、俺たちの意見に従うためだろう。


「じゃあほたて」


「私はソーセージをお願いするっす」


「こんだけ魚介類あるのにあえてそこ行くのか……」


「こういうシンプルな旨味の凝縮体を食べたい気分でした」


「どんな言い方だよ」


 初めて聞いたぞ、ソーセージの形容詞として。


「我も焼くぞ」


「部長はお客さんなので、ゆっくりしていてください♪」


 やはり誰にも主導権を渡すつもりはないらしい。


 楽しい楽しい魚介類パーティは、微妙な空気で進行していった。


 俺や理心が食べたいものを言い、怜はそれを焼く。

 灯火が手伝おうとしても、「部長、何が食べたいですか♪」とさりげなく拒絶している。


 炉端焼き器の網目は多くの具材で埋め尽くされていた。

 いつの間にか火の通りが遅いもので埋められ、怜の焼きにも幾ばくかの余裕が生まれている。


「……」


 なんとも言い難い、微妙な空気だった。


 部室に立ちこめる煙を見ながら、全員が神妙な顔をしている。

 怜だけは微笑みを崩さず、具材の火の通りと真剣に向き合っていた。


 食べているのは俺たちだけで、怜は一度も口をつけていない。

 せっせ、せっせと具材を焼いているだけだ。


 ……座っただけで、何も変わっていない。


「あ、これもう良さそうっす」


 理心が網の上の野菜をさっと小皿によそい、それを怜に差し出した。


 一瞬、怜の表情が固まった。

 ように見えた。


「あ、直箸で取っちゃったっす。気にするタイプっすか?」


「あ、そうではなくて……」


 珍しく狼狽する怜。


 直箸うんぬんはあまり気にしていないだろうが、それよりも差し出された小皿そのものに動揺していた。


 今まで俺たちの前で何かを口にすることのなかった怜は、今の思いがけない状況に大いに戸惑っているのだろう。

 まさか自分に誰かが何かを与えるなんて、と。


 本来ならそこまで大仰な状況じゃない。

 だが怜にとっては違う。


 今まで与えることでしか居場所を確立する手段を知らず、他人に尽くし続けてきた少女にとっては、かなり厄介な一手だった。


 理心の天然が出た。

 ……いや、むしろ計算か?


 こいつはこいつで計り知れないところがある。

 部室の妙な空気を察知して、それを解消するために動いたとしても不思議じゃない。そこまで気が回るお嬢様かどうかはさておいて。


「わ、わたしはいいので、理心さん食べませんか……♪」


「正直もうお腹いっぱいっす」


「ソーセージは意外と重いからな」


「じゃあ先生、どうぞ♪」


 小皿ごと差し出してくる怜を、手で制した。


「すまん、俺も腹いっぱい」


「なら我も」


 ならってなんだよ。もっと上手くやれよ。


「そうですか……」


 困ったように小皿を見つめる怜。


「怜さんが食べればいいんすよ。まだ何も食べてないじゃないっすか」


 理心の言い方に、今この場だけじゃなく、今までずっと、という含みを感じたのは、邪推しすぎだろうか。


「怜さん、冷めるっす」


 小皿を見つめて呆然としている怜に、理心が言う。


「そ、そうですね……♪」


 ひきつった笑みを浮かべながらも、怜は意を決したように、いい感じの焼き目がついた玉ねぎを一口食べた。


 よしっ、食った。


 俺と灯火は顔を見合わせる。

 第一関門、座らせる。

 第二関門、食わせる。

 この二つを達成できた功績はでかい。


「お、美味しいですね♪」


「そすか。じゃあこれもどうぞっす」


 網に乗せられた野菜や魚介を、理心が次々と怜の持つ小皿に置いていく。

 怜が逡巡している間に、どれもいい感じに火が通っていたらしい。


「え、え、え、え」


 自分の皿にどんどん追加されていく様子に、怜は完全に困惑していた。

 ここまで露骨に戸惑いを見せるのは珍しい。


 気づけば怜の小皿はてんこ盛りになっていた。


 なんとも言えない顔でそれを見つめる怜に、少しだけいたたまれなさを覚える。


「さ、いっぱい食べるっす」


 鬼かお前は。


 皿から崩れないように慎重に持っているその痛ましい姿が見えていないのか。


「わ、私は……」


 目を見開き、口を綿菓子みたいにふわふわ動かしながら困惑していた怜は、やがて覚悟を決めたようにそれらをかっこんだ。


「ん、ん、ん!」


 やけくそである。

 理心の圧に屈するメイドの姿がそこにはあった。


「美味しいっすか」


「おいひいれふ」


「私は怜さんと一緒に食べて、そういう感想を共有したいっす」


「……!」


「いつも食べてばっかだったっすけど、ずっと気になってたんすよ。なんでこの人は食べないのか、って」


「なんか突っ込んじゃいけない空気だったから言わなかったっすけど、今日は言ってよさそうだったんで。強引だったっすけど」


「嫌だったっすか?」


「……いやじゃ、ないれふ」


「それならよかったっす」


「これからは一緒に食べましょうよ」


「一緒に食べた方が、美味いっす」


 驚いた。

 こういうことを自然にやってのけるのが、理心のすごいところなんだろう。


「ふむ、なるほど」


 何に感心しているのか、灯火は顎に手を当てて納得していた。


「なんか青春してるな、お前ら」


「おっさんは黙ってろっす」


「おま……お兄さんだろ! ていうか教師に向かってなんて口を聞きやがる」


「教師らしい事してから言って欲しいっす」


「お前はもうちょっと生徒らしくしろ」


「先生が先生らしくなったら考えるっす」


「どういう理屈!?」


「ふっ……ふふふ」


「なに笑ってるんすか」


 俺たちの様子を見て噴き出した怜を、理心が問い詰める。


「いえ、お二人は本当に仲がよろしいですね♪」


 お互い、しばし顔を見合わせる。


「いや、そんなことない」


「いや、そんなことないっす」


 見事にハモった。


 ***


「怜の事、頼んだぞ」


 ああ、まかせておけ――と胸を張って言いたいところだが、灯火の視線は俺ではなく、理心に向いていた。


「あ、はい? っす」


 理心の空返事にも特に気を留めた様子はなく、灯火は「ではな」とだけ言って去っていった。


 新鮮な魚介や野菜を用いた宴は終わり、俺たちは戸締りをして部室をあとにする。

 怜と理心を寮まで送るのも、もういつもの流れになっていた。


 結局、俺が怜に言いたかったことは何ひとつ伝えられなかった。

 ただただ、理心と怜の距離が少し近づいただけだ。


 それは大変喜ばしいことではあるが、なんとも煮え切らない。


 灯火なんかは、こいつ何もしてねえな、とでも言いたげな視線まで向けてきていた。

 教師に向けちゃいけない類の顔だった。見ないふりはしたけど。


 まあ、酒に酔って吐き出されるおっさんの戯言よりも、同級生の一言の方が人生を変えうるのだろう。

 うん。きっとそうだ。


「先生、ありがとうございます♪」


「じゃあ、さいならっす」


 二人を送り届けて、俺も教員寮へ戻る。


 道すがら、視線のようなものを感じて振り返ったが、木々の枝葉が揺れるだけだった。


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