第二王子の過去
ソファに移動すると、イザックが温かいお茶を淹れてくれた。心が搔き乱され、その間もリリアーナを離すことができなかった。この温もりに暫く癒されていたかった。
「お茶をどうぞ」
イザックの声が耳に入り、クライヴは漸くリリアーナを離し、お茶を一口飲み込んだ。
「少しは落ち着かれましたか?」
「ああ……。少し二人にしてくれないか」
「かしこまりました」
「それとイザック、マイラに事情を説明しておいてくれ」
「えっ、よろしいのですか?」
「ああ、また侵入して来るかもしれないからな。もう無関係というわけにもいかないだろう」
クライヴはいつになく厳しい表情で告げる。
「そういうことでしたら……。では失礼いたします。どうぞごゆっくり」
イザックとマイラが退出すると、しーんと静まり返り、無言のまま時間が過ぎていく。クライヴは何か話さないとと思っていつつも、どこから伝えればいいのか分からなかった。リリアーナもまたクライヴにどう声を掛けていいのか分からず、ただただ見つめることしか出来なかった。
「……もう誰にも言うつもりはなかったんだがな」
ふいにクライヴは誰に向かって言うでもなく、天井を見ながらぼそっと呟いた。
「お話ししたくないことなのでしたら、無理に話そうとなさらなくても大丈夫ですよ」
「……そう言ってくれるのはありがたいし、リリーには特に知られたくなかったんだが、もうそういうわけにはいかなそうだからな。あの女から変に曲がって情報が伝わることだけは避けたいんだ」
絶対、禄でもないことになる。そう確信を持って言えるから。
「イヴ……」
「リリーにだけは誤解されたくないんだ」
その言葉にリリアーナは軽く目を見開いた。
クライヴは一呼吸を置いて語り始めた。
「あれは今から五年前のことだった。当時は多くの使用人に囲まれ、別邸で暮らしていたんだ。あの日は普段ならまだ寝ていないであろう時間にも関わらず、なぜか強い眠気が襲ってきて、早くに眠ってしまったんだ。どうやら直前に渡された飲み物に薬が入っていたようでな。普段、飲み物を渡して来ることなんてなかったから疑うべきだったんだ……。あの頃の俺は人を疑うことを知らなかったからな……」
そこまで言うと、クライヴはふうっと大きく息を吸い込んだ。
「そして、目が覚めたらなぜか俺は馬車の中にいて、目の前には黒髪の女が座っていた」
声が微かに震えているのが、自分でも分かった。
「これ以上は大丈夫ですから」
リリアーナにそう声を掛けられるが、クライヴは首を横に振った。
「あいつは俺に言ったんだ。『私が好きなんでしょ? 一緒になってあげてもいいわよ』って。……意味が分からなかったし、何よりあの目は異様だった。外には俺の護衛騎士だった男が馬を走らせている姿が見えた。味方だと思っていた二人に裏切られたんだ。このままだと何をされるか分かったものではない。俺は怖くなって動いている馬車から飛び降りて、屋敷まで必死に走ったんだ」
「飛び降りたなんて、お怪我はなかったのですか?」
心配そうな目で彼女は尋ねる。
「ああ、睡眠薬がかなりきつくて、身体を満足に動かせる状態ではなかったんだが、色々魔法を習得していたからな。おかげで無事だったし、簡単に逃げられたよ。そして、屋敷に戻るとイザックが駆け寄ってきた。いきなりいなくなったから心配を掛けていたんだろうな。その後、俺を連れ戻そうとしたんだろう。あの二人がまた屋敷に戻ってきた。あの護衛騎士は女の恋人だった。男はその場で取り押さえられたが、『彼女の何が不満なんだ!! 折角譲ってやったのに!!』と最後まで叫び続けていた」
クライヴはゆっくり息を吐き出した。
二人にはクライヴへの接近禁止令を出し、遠いところへ追いやったはずだった。
しかし、暫くすると、ある噂が流れ始めた。それは、クライヴが使用人に暴力を振るい、その結果、辞めざるを得なくなった者が続出している、というものだった。そんな根も葉もない噂、いずれ収まるだろうと思っていたが、収まるどころかさらに広まっていったのだ。出どころを調べさせたところ、辞めさせた護衛の男に行き着いたのだ。噂の出元に関しては何となく皆予想が付いていたのだろう。彼はクライヴの側付きだったため、隠れて虐めていたのだろうと皆こそこそと噂していた。こんな事情説明したくなかったし、噂を消す気にもなれなかった。気がついたときには、それまで以上に噂は広まり、知らない噂まで増え、収拾がつかなくなってしまった。そのうち、誰も俺には寄り付かなくなった。そんな中、陛下から公爵位を与えるからとこの領地に移り住むことになった。
今まで誰にも相談なんて出来なかった。もっと早い段階なら噂の収拾だってできた。それ以上に、迂闊に人を信じていなければあんな事件に遭うこともなかった。真っ向勝負なら負けるはずがないと思っていても、それすら挑めなければ力も何も意味を為さない。
「っ……」
クライヴの瞳から涙が溢れ出した。裏切られた悲しさや悔しさ、自分自身の不甲斐無さが相まってぐちゃぐちゃに心の中が入り乱れる。
リリアーナに背中をゆっくりと撫でられて、クライヴの肩がびくっと跳ねた。
驚きはしたが、心地良くもあった。
「もう大丈夫だと思ってたのにな……」
震えた声でぽつりと言う。
涙が止まらない。抑えられない。
「今は我慢されなくても大丈夫ですから。思いっ切り吐き出してください。きっとすっきりしますよ」
「っううっ……」
成人しているというのに子供みたいに泣きじゃくってしまった。
感情を晒すことなんて今までできなかった。だからこそか、心なしか気分が軽やかになっている。ありがとう、リリー。リリーはいつも俺を救ってくれる女神だ。
クライヴは心の中でリリアーナに何度も何度も感謝した。




