第六話 もうすぐ四月ですけど
「ヘルシングって、すごい人気のあるグループなんですよね」と絆は知ったかぶりをした。「忍者塾の卒業式でも、ヘルシングの曲が使われてましたし……」
この場で話が合わせられるのは同級生のゆかりのおかげである。
「ほう」飛崎は相槌を打ちつつ、紙の資料をめくり始めた。「確かに人気のグループらしいな。新曲を出せば、CDは飛ぶように売れるし、ネットの再生数も軽く百万再生は突破するらしい。なぜ、そんなに人気なのか私には分らんが……」
五十代と思われる飛崎は、最近の流行には付いていけんといった表情を浮かべて、資料を眺めている。
彼よりもいくらか若い江隅は、知らないんですかと上司に笑いかける。
「ヘルシングは実際に会いに行けるアイドルなんですって。以前、テレビでやってました」
「実際に会える?」と飛崎は首を傾げる。
「握手会とかイベントを定期的に開催してるんですって。CDに握手券が付いているとかで、同じCDを何枚も買う人がいるらしいわ」
テレビの受け売りだろう知識を、江隅は話し始めた。
「人数がすごいたくさんいるやつですよ中隊長」と絆は言った。
「うむ」飛崎は資料を見ながら、眉間にしわを寄せる。「所属アイドルが四十人以上いる大所帯のようだ。握手会のような不特定多数の人が出入りするイベントだと、なかなか護衛は大変そうだな。君のような新人に任せてもいいものだろうか……」
絆は、厄介な任務を押し付けられなくてすみそうだぞ、と期待したのだが、江隅が飛崎に苦言を呈した。
「そうは言っても中隊長。うちは人手不足なんですから、有島君にやってもらわないと、他に手が空いているものはいませんよ。そもそも、点点は彼をご指名です」
都心の一等地にある事務所には、絆・飛崎・江隅の三人しかいない。
他の先輩忍者は別の任務でみんな出払っているし、絆以外の新人はまだ隊に赴任すらしていないのだ。
「確かに有島君に任せるしかないようだ」
飛崎は寂しい事務所を眺めてため息をついた。
はあ、と絆は曖昧に頷く。
「それで、護衛対象に関する情報は他にはないんですか?」
「え~と……」飛崎は資料をめくって内容を確認する。「去年グループに入ったばかりの新人らしくてな、あまり情報は入手できなかったのだが……。彼女の所属する秋場プロダクションという事務所のホームページに、簡単なプロフィールが掲載されていた」
飛崎は資料を絆に見えるようにした。
どうやら、芸能事務所の所属タレントのページを、そのまま印刷してきたものらしい。
そこには生年月日や身長など、内野すももの情報がまとめられている。
百四十五センチと小柄な彼女は、絆と同じ十八歳だった。
「同い年か……」と絆は思わず口に出した。
内野すももとは、もちろん全く面識がないが、同学年だと思うと、どことなく親近感が湧いてくる。
プロフィール欄には出身地が埼玉県と書かれているが、今月まで埼玉の高校に通っていたのだろうか。
戸惑い気味の絆をよそに、飛崎は話を先に進める。
「護衛対象に関する情報は、現時点ではこんなところかな。追加で重要な情報を入手した際は、その都度、君に報せよう。有島君、命に替えてでも彼女を守ってくれ。それが君のプロとしての最初の任務だ」
飛崎の説明は、ところどころ抜けているところがあった。
なぜ内野すももが狙われているのか。一体何から守るのか。
そこには、里の忍者同士なら説明不要のある共通認識があった。
義賀は長きに渡って、その宿敵と戦い続けてきたのだ。
卒業したばかりの絆でも、それはさすがに分かる。
室内に緊張が張りつめる中、静寂を破ったのは江隅の一言だった。
「はい、これ」
彼女から突然手渡された本の山を、絆は両手に抱えた。
思わず反射的に受け取ってしまったが、一体何の本なのか。
「何って?就職活動のための本よ」
当たり前じゃないと言わんばかりの江隅に、絆は困惑する。
彼女が持ってきた本は、就職面接の攻略法などついて書かれたものだった。
すでに軍への配属が決まった絆には、必要がないようにも思える。
一旦、本を置いて、何食わぬ顔をしている飛崎を見つめる。
「あの中隊長……自分は内野すももの護衛をするんじゃ……」
「ん?そうだよ」
飛崎はのんきにお茶をすすっている。
「それじゃあ何で就活本なんて……」
湯のみを机に戻すと、飛崎は一拍置いて話し始める。
「何でって……護衛対象の内野すももはアイドルなんだ。彼女を守るためには、芸能事務所のマネージャーとして、彼女に接近するのが一番じゃないかな?」
「じ、自分にマネージャーをやれって言うんですか?」
絆は三年間、忍者の学校に通ってきたが、このような任務は想定していなかった。
そうだと飛崎は頷く。
「そのためには、内野すももが所属する、秋場プロダクションの採用試験に合格する必要がある」
絆はアイドルのマネージャーなんて務まるのかと不安になった。
「そもそも、もうすぐ四月ですけど、その事務所の採用試験って、まだやってるんですか?新卒採用の試験なんて、もうとっくに終わってるんじゃ……」
「大丈夫だよ。どうやら急な欠員が出たらしい。マネージャーを一名募集中だそうだ」
「でも、採用試験なんて無理ですよ。受かる気がしません……」
「自信を持ちなさい」と江隅は弱気になった絆の肩を叩く。「ホームページには経験不問って書いてあるし」
「これは命令だ有島君」煮え切らない態度の絆に、飛崎が怒り出した。「プロの忍者たるもの、どんな任務でも素直に応じなさい。君が新人であることは百も承知だ。どうしてもできないというのなら、忍者証とベルトを置いて、隊を去りなさい」
絆は、机に置かれたままになっているベルトに視線をやった。
ベルトには義賀の里のシンボルマークが彫られている。
自分は里に忠誠を誓うのではなかったか。
初日早々、忍者を辞めるなんて言い出したら、三年間一緒だった同級生達に顔向けできない。
絆の脳裏に顔を真っ赤にしたゆかりの姿が浮かぶ。
彼女を泣かせるのに比べたら、こんな任務、大したことないように思えてくる。
「分かりましたよ。やります。いえ、やらせてください」
「おお、そうか」飛崎の厳しかった表情が和らぐ。「君ならやってくれると思ったぞ」
「うん。偉い偉い」と拍手をする江隅。
何だか面倒な仕事を押し付けられただけな気がするが、今更やっぱり無理とは言えない。
「それじゃあ、早速採用試験に向けて勉強だ」と飛崎は鼓舞する。「募集の受付が来週までなんだ。休んでる暇はないぞ」
「必要なものがあったら、経費で落ちるから。何でも言って」
にっこりと笑う江隅に、絆はありがとうございますと弱々しく笑いかける。
まさかプロの忍者になって早々、就職活動をする羽目になるとは……。
しかも、就職先は芸能プロダクション。
任務のためとはいえ、なかなか大変な日々が始まりそうである。




