第五十四話 〈忍術〉対〈邪血術〉
舞台俳優のような黒マントを羽織った男。
それがこの屋敷の主であり、すももを攫った連中のボス、唯川だった。
彼は真っ赤な剣をくるくると器用に回しながら、絆から一定の間合いを保っている。
その剣で絆の腕を斬りつけたのだろう。
「〈邪血術〉か……。油断した……」
そう言って、絆は腕を押さえる。
「血液を操るヴァンパイアの妖術じゃな」と点点が補足する。「奴の場合、自身の血を固めて、剣を造り出しているようじゃ」
「そう」唯川は微笑む。「私の剣はどんなものでも斬り裂きます。この通り……」
そう言った唯川が、剣を一閃させる。
先程まで運転していた車が、真っ二つに切断されてしまう。
もうこの車は用済みということだろう。
「それで、どうやって逃げるつもりだ?」と絆は皮肉った。「援軍を呼んである。どんなにお前が強くても、さすがに一人じゃ何もできないだろう。大人しく降参するんだな」
絆は強がっていたが、実際は焦っていた。
先走ってしまったのは事実とはいえ、そろそろ援軍が着いてもいい頃だ。
このままでは夜が明けてしまう。
いや、飛崎達は朝になるのを待っているのかもしれない。
そうなると、到着はまだ先になりそうだ。
何とか時間を稼ぐべきだが、唯川は待ってくれそうにはない。
「降参?御冗談を。私がなぜそんな……。これから、すももさんと共に新天地へ旅立つのです。邪魔をしないでいただけますか?」
「悪いが……」絆は苦無を構える。「俺にも立場がある。簡単には引き下がれないな」
すももは唯川の後ろで、寝息を立てている。
彼女はアイドル。
本来、この戦いには無関係な立場にある。
だが、天巫女に選ばれてしまったがゆえに、こんな目に遭っているのだ。
「彼女は私のものだ。彼女に触れたその手、斬り落としてくれる!」
唯川の血の剣が一閃する。
恐ろしく速い。
だが、唯川の斬撃は絆には届かなかった。
点点が張った結界が守ってくれたからだ。
「点点……悪い。助かった」
絆は冷や汗が流れるのを感じた。
「援護する」と点点は心強いことを言う。「じゃが、儂の結界は奴にはそう長くはもたん」
唯川は斬撃を繰り返し、結界に叩き込んでいる。
結界にひびが入り、点点の言う通り、ガラスのように割れて壊れてしまった。
「唯川!」
絆は結界の崩壊と同時に叫んだ。
奴の心臓目掛けて苦無の刺突を繰り出す。
「遅い!」
絆の右腕が宙を舞う。
斜め横から飛んできた唯川の剣が、絆の腕を正確に斬り落としたのだ。
すももが眠っていてよかった。
彼女にこんな光景は見せられない。
――ボンッ!
右腕が地面に落ちると同時に、絆は唯川の視界から消えた。
「『変わり身』か!」
唯川は咄嗟に周囲に注意を向ける。
さすがに忍者と戦い慣れているらしい。
唯川が斬ったのは実は絆ではなかった。
庭に転がる丸太と入れ替わり、唯川に斬らせたのだ。
本当の絆は、すももを乗せていた車のすぐ近くにいた。
絆は唯川に気付かれる前にすでに結印を完了している。
絆が自動車のボディに触れると、運転手不在のまま、車がひとりでに動き出す。
唯川に真っ二つにされていたので、動いたのは車の前半分だけだったが、奴を押し潰すには、それで充分だろう。
後部座席のない車両が、唯川目掛けて突っ込んで行く。
絆が使用した忍術は〈伍印・絡繰〉。
手に触れた金属を自在に操る忍術である。
通常の忍術は三つの印で構成されるが、この術は五つの印を結ぶ必要がある。
強力である分、術者の負担も大きく、呪力の消耗も激しい。
〈下忍〉が使うには、なかなか難度の高い忍術だ。
ちなみに、結印は〈庚〉〈壬〉〈庚〉〈甲〉〈辛〉となる。
唯川は一瞬、動揺を見せたものの、突っ込んでくる車両を回避すべく、すぐさま地面を蹴った。
ゆかりの話では、百年を超える年月を生きたヴァンパイアだ。
さすがに簡単には隙を見せない。
だが、こちらには、もっと長い期間、神の使いをしてきた仲間がいる。
「何だ?」
唯川は思わず目をつぶる。
突然、辺りが明るくなった。
太陽が夜明けを待ちきれずに昇ってきたように。
だが、違う。
この光の正体は点点の目から放たれた光線だった。
この光は太陽と同じ性質を持っている。
太陽に嫌われたヴァンパイアに、運は味方しない。
視界が真っ白になった唯川は、絆の術で動かした自動車をかわしきれなかった。
正面から車と衝突し、何メートルも離れた地面に放り出される。
全身を痙攣させ、なかなか立ち上がることができない。
「勝負あったな」
点点の言う通り、唯川は戦闘を継続できないだろう。
だが、まだ終わってはいない。絆にはまだやるべきことがある。
「有島君」
手負いのゆかりが、こちらに近付いてきた。
小助に支えられながら。
「唯川にとどめを……」
絆は彼女に頷くと、小走りで彼に近付き、苦無を構える。
唯川は血だらけで、苦痛に顔が歪んでいた。
口元から牙が伸びているとはいえ、見た目は人間とほぼ変わらない。
苦無を突き立てるのは、なかなか勇気がいる。
もちろん同情をするつもりはないが……。
「……じゃあな」
絆は右手で苦無を振り下ろした。
「待って!」
だが、女の声で絆の手は止まった。
ぎりぎりのところで、苦無は空中で停止する。
「何だよ?邪魔するなよ、すもも」
絆は舌打ち混じりに、視線を横に向けた。
絆を止めたのは、すももだった。
この場には似つかわしくないステージ衣装のまま、ゆっくりとこちらに歩いて来る。
「ごめん。でも、その人……動けないんでしょ?わざわざとどめを刺さなくったって……」
「すももは、こいつにひどい目に遭わされたんだろ?何でこんな奴に同情するんだ?」
絆は苦無で瀕死の唯川を指し示す。
彼も意外そうに、すももの方に視線を向けていた。
「別に同情しているわけじゃないよ。ただ……」
「ただ?」
「その人はファンだと言ってくれた。悪い人かもしれないけど、あたしのファンなんだよ……。まだまだ有名とは言えないあたしを、その人は知ってくれてた……」
絆は二の句が継げず、黙って唯川を見つめた。
彼は倒れたまま、嬉しそうに笑う。
「……お優しい方ですね」
唯川は絆が手を下すまでも、ないかもしれない。
声が弱々しく、視線も虚ろだ。
再生能力も落ち、血が止まらない。
それに、もうすぐ夜明けである。
このまま太陽の光を浴びれば死ぬ。
絆は苦無をしまった。
とどめを刺すところを、見せるのも気が引けるし、これでいい。
すももは恐る恐るこちらに歩いて来ると、唯川に聞こえないように小声で訊ねた。
「彼は……その……」
「もう長くはない」
絆はぼそっと言った。
唯川はもう、ほとんど動かなくなっている。
「そっか」
すももはそう言うと、唯川のそばにしゃがみ込んだ。
「おい!危ないぞ!」
絆は怒って、すももを無理やり立たせる。
「ごめん。でも、彼に言いたいことがあるの」
「…………」
唯川はわずかに彼女に視線を向ける。
「ファンでいてくれて、ありがとう」
唯川の口が微かに開くが、声を発することはなかった。
夜が明けたからだ。
崩壊した洋館から太陽が顔を覗かせて、絆は思わず顔をしかめる。
世界が光を取り戻すにつれて、唯川の身体は青い炎に包まれていく。
肉体が崩壊していき、残されたのは白い遺灰だけとなった。
その光景をすももは、じっと見つめていた。
彼女にあまり見せたくなかったので、絆はどこかに連れて行こうとしたのだが、すももはてこでも動こうとしなかった。




