第五十三話 間一髪
地下室に残されたすももの鞄。
彼女もここに来ていたということだろう。
それに、ゆかりは無事なのだろうか。
爆発に巻き込まれていなければいいのだが……。
すると、点点の声で、絆の意識が覚醒した。
「何をしておる。〈分身の術〉を使え。そうすれば、全員を抱えて地上に出れるじゃろ」
「そ、そうだな」
絆達がいる部屋には、ヴァンパイアに捕らえられた人質が寝かされている。
今は彼らの救助に集中しなければ……。
式神の小助も手伝うと絆に助言した。
「拙者も〈変化の術〉で姿を変えれば、人一人抱えることもできる」
「頼んだ」絆は〈丁〉〈壬〉〈戊〉と順に結印し、術名を口にする。「〈分身の術〉!」
狭い部屋が白い煙で覆われる。
その中から絆とそっくりの姿をした分身が姿を現す。
義賀流忍術における〈分身の術〉は、術の使用者を複数人に見せる幻覚でなく、実体のある人形を生み出す。
そのため、絆に代わって、部屋にいる人達を抱えることも可能であった。
「変化!」
小助も普段の小さな狸姿ではなく、熊のような大きな狸へと姿を変えた。
絆は一瞬ぎょっとしたが、この場で一番大きな男の人を小助に任せることにした。
忍術で手足の拘束を解き、絆の分身達にもそれぞれ地下室の人を背負わせた。
絆自身は、山岡に血を吸われていた若い男を背中に乗せた。
おそらく、この九人の中では、彼が最年少だろう。
山岡の歯形が首元に残っているものの、命に別状はなさそうだ。
もしかすると、石川の弟は彼なのかもしれない。
「こっちじゃ」
点点は小柄なので人をおぶることはなかったが、絆と小助を先導してくれた。
地下室の照明が落ちているため、点点は再び目から光を出して行く手を照らした。
すると、階段を上がった先で、絆達は予想外の光景を目の当たりにした。
逃げたはずの山岡が、がれきに押しつぶされて、身動きが取れなくなっていたのだ。
下半身が完全に挟まってしまい、抜けなくなっていた。
点点が太陽と同じ力を持つ光で山岡を照らすと、ヴァンパイアは悲鳴を漏らした。
「熱い!その光は止めてくれ!頼む。俺を助けてくれよ。このままじゃ死んじまう」
「どうされるでござる?」
小助はおずおずと伺いを立てる。
「別に。放っておけ」
そんな式神に絆は素っ気なく返した。
「そうじゃな」
点点も同じ意見らしい。
山岡を照らすのは止め、正面の玄関の方に歩いて行ってしまう。
「おい!無視するな!おい!本気かよ!この薄情者が!」
山岡は何とか脱出を試みようとがれきを押し退けようとする。
しかし、彼の怪力をもってしても、びくともしなかった。
絆達は山岡の罵声を聞き流しながら、玄関から屋敷の外に出た。
その直後、本格的に建物の崩壊が始まり、慌てて建物から離れた。
「ぎゃぁぁぁぁぁ……!!」
山岡の悲鳴と、それをかき消すくらいの轟音が周囲に響いた。
粉塵とがれきの塊が飛び散って、敷地全体に散乱していく。
おかげで、絆はあちこちに擦り傷ができてしまったが、致命傷にはならなかった。
点点や小助、救出した人達も、もちろん無事だ。
「間一髪だったな」と絆は冷や汗をかく。
「山岡というヴァンパイアは……死んだか?」
小助は崩壊した洋館を、まじまじと見つめる。
建物は爆発の衝撃で原型をとどめていなかった。
ついさっきまで、この中にいたというのが信じられないくらいに。
「おそらく」と点点は頷く。「悪さをしているものに、天は味方しないじゃろう」
「点点が言うと説得力あるな」と絆は言った。
彼はぬいぐるみのような姿をしているが、天界から派遣された天照大神の使いである。
絆達はひとまず、九人の男女を敷地の隅に寝かせた。
全員ぐったりとして意識がない。
早く医者に診せるべきなのかもしれないが、すももやゆかりが気掛かりである。
建物の崩壊に巻き込まれた可能性もあるからだ。
絆は〈分身の術〉を解いて、がれきの山を見つめていたのだが、その近くを一台の車が猛スピードで通り過ぎた。
咄嗟に横に回避して、衝突を免れる。
「有島絆!今の車……すももが乗っておったぞ!」
点点は車を恨めし気に見つめる。
「拙者も見た!運転していたのは、長髪の男じゃった!」
小助は車を追いかけるように走り出す。
いつの間にか、いつもの小さな狸に戻っていた。
「唯川って奴だろうな」と絆もその後に続く。「絶対に逃がさないぞ」
車は黒塗りのセダンだった。
かなりのスピードで庭園を駆け抜けていく。
庭に置かれたままになっていたものをなぎ倒しながら、荒い運転で突き進む。
すももは無事だったが、このままでは唯川に再び彼女を連れ去られてしまう。
そうなれば、また振り出しに戻ることになる。
それだけは避けなければ……。
車はそのまま、正門から敷地の外に出ようとしていた。
だが、いきなり突風が吹いたと思ったら、車のガラスが緑色の葉っぱで覆われてしまった。
張り付いた葉が、視界を完全に塞ぐ。
その直後、唯川が運転していた自動車が、門の柱に衝突した。
耳をつんざくような轟音を響かせ、車は止まった。
バンパーは衝撃で変形し、原形をとどめてはいなかった。
「何とか……間に合いましたね」
聞き覚えのある声に振り返ると、そこには痛々しい友人の姿があった。
「ゆかりか。よかった。……随分と派手にやられたな?」
彼女の着ていたシャツは血で赤く染まり、ところどころ服の生地も破れてしまっていた。
「私は大丈夫です」ゆかりは恥じるように傷を隠した。「それよりも、すももさんを……」
そう言うと、彼女はその場にしゃがみ込んでしまった。
体力の限界が来たらしい。
「小助、ゆかりは任せた。後は俺と点点でやる」
「任された」
式神はゆかりに寄り添うように、彼女に手を差し伸べた。
「有島君……」
ゆかりは地面に座り込んだまま、こちらを見上げる。
「分かってるよ」そんな彼女に、絆は笑いかけた。「すももならあれくらい平気だろう。ああ見えて丈夫だからな。それじゃあ行って来る」
「うむ。急ごう」
点点は地面を蹴って、鉄の塊となった唯川の車に駆け出した。
その後を絆は追った。
車のガラスには、庭園に植えられていた木の葉っぱが張り付いている。
ゆかりが木遁に属する何らかの術を使ったと思われる。
車内の様子が見えにくかったものの、助手席にすももの姿を確認し、絆は安堵する。
すももは事故のせいか、意識を失っている。
なぜかステージ衣装を着ているのは気になったが、今はそれどころではない。
「しっかりしろ!」絆は忍術で助手席のドアを解錠した。「今、出してやるからな!」
意識がないすももを、車から引っ張り出して地面に寝かせる。
首元を確認するが、血を吸われたような形跡はなく、単に眠っているだけのようだ。
「すもも……」
彼女の頬を優しく叩く。
表情は穏やかで、う~んと寝言を漏らしている。
「起きそうにないな。もう少し寝かしておいた方がいいかな?」
「…………」
点点は返事をするのも忘れ、事故を起こした車の中をじっと見つめている。
「点点!おい、どうした?」
「有島絆、奴はどこに行ったのじゃ?」
絆は運転席に視線を向ける。
車内はもぬけの殻だった。
すももを助けるのに夢中で、唯川の存在をすっかり忘れていたのである。
運転席のドアはいつの間にか開け放たれた状態になっている。
その時、背後から背筋が凍るような殺気を感じ、すぐさま振り返った。
「ぐっ……」
視界の端に赤色の何かが横切ったかと思ったら、強烈な痛みが走る。
「有島絆!」
点点は全身の毛を逆立たせ、絆の背後にいる何者かを睨みつける。
「お前は……」
絆も痛みを堪えながら、追撃をかわすために、後ろに飛んだ。
「私のすももさんに、触れないでいただけますか?」
絆はぶらりと垂れ下がる左腕を押さえながら、声の主に視線を向ける。
長髪の端正な顔立ちのヴァンパイアがそこにいた。
この男が唯川本人で間違いないだろう。




