第五十二話 何もかも手遅れ
闇に包まれた洋館内部。
正面玄関にある大きな階段が崩れ落ちた。
その衝動で粉塵が舞い上がり、絆は口元を押さえた。
頭頂部から足先まで全身ほこりまみれである。
それは点点や小助も同じだ。
馬鹿力のヴァンパイアは、階段を全力で踏みつけて破壊したのである。
月明りに照らされた禿げ頭が、絆の視界に入る。
「もうこことは、おさらばだからな。遠慮なく暴れられるぜ。ほら、来いよ」
「言われなくても」と絆は大理石の床を蹴った。
山岡の正面に向けて突撃する。
山岡はこの前、対峙した時とは異なり、飛び道具は持たず素手であった。
大柄な体躯を活かし、大振りなパンチを繰り出してくる。
ヴァンパイアは人間と比べて、筋力に優れている。
実際、山岡は武器も使わずに階段を崩壊させた。
奴の拳をまともに受けたら、ひとたまりもない。
絆は苦無を取り出して、山岡の拳を止める。
奴の手の甲を串刺しにして、衝撃を緩和した。
山岡の悶絶が聞こえてくる。
だが、絆は容赦なく、そのまま彼の腕を苦無で斬り裂いた。
攻撃が浅かったので骨を断つまではいかなかったが、山岡は腕を押さえ、背後に避難する。
「小助!」と絆は式神の名を呼んだ。
山岡の背後にいた式神が、咄嗟にその姿を変えて襲い掛かる。
ヴァンパイアが驚くのも無理はない。
小助は大きなハンマーに姿を変えていた。
狸の妖怪は姿を変えるのが得意技なのである。
小助はその姿のまま、山岡の頭部目掛けて、ハンマーを振り下ろした。
「げふっ……」と妙な声と血を吹き出して、山岡はその場に崩れ落ちた。
小助はとどめとばかりに、もう一度、振り下ろすが、今度は逃げられてしまった。
山岡は床を転がるようにして、その場から走り去る。
血が足りねえ、と独り言を漏らしながら。
「おい、待て!」と絆はその後を追った。
「どこへ行く気じゃ?」と点点は山岡に体当たりした。
「うおぉぉぉ……」
山岡は悲鳴を響かせながら、下に続く階段を落ちていく。
地下にも部屋があるようだ。
山岡が二階へ続く階段を壊したものだから、てっきり、すももが上にいるとばかり思っていた。
だが、彼女が地下にいる可能性もあるわけだ。
「絆殿」と小助が呼び掛けてくる。「下の方から血の臭いがするぞ」
「何だって?」と絆は声を荒げる。
まさか、すももじゃないだろうなと、絆は不安に苛まれながら階段を下りて行った。
地下は電気が生きているらしく、照明が点いていた。
非常用の電源が作動しているということは、重要な設備があるということだろうか。
「点点!」絆は神の使いに追いつき、声を掛ける。「大丈夫か?」
「平気じゃ。奴は奥に逃げたぞ」
「分かった」
絆は苦無を構えながら、慎重に奥の部屋へと進む。
広々とした一階と比べると地下は狭かった。
窓もない一本道を進むと、奥の狭い部屋から、ぴちゃぴちゃという水の跳ねるような音が聞こえてくる。
その部屋で、山岡は若い男の血を啜っていた。
絆は咄嗟に苦無を投げつける。
舌打ちをして、山岡は男から離れた。
苦無が壁に突き刺さる。
若い男は意識を失っていて、ベッドの上にうつ伏せに倒れた。
室内にはいくつもベッドがあり、そこには管に繋がれた男女が眠らされていた。
絆は目の前の光景に唖然とする。
「絆殿!」
「何だ?」
小助の声で絆ははっとする。
「この部屋から、すもも殿の匂いが!」
小助はそう言ったが、部屋に彼女はいなかった。
だが、床に落ちていた女性ものの鞄には見覚えがある。
小助はその鞄を拾って、絆の元に届けた。
「やはりすもも殿に間違いない」
「天巫女はどこだ?」
絆は式神に頷くと、山岡に視線を戻した。
「さあねぇ」と山岡は肩をすくめる。
血を飲んだ効果で傷は完治し、斬り裂いたはずの腕を山岡は楽々と上げてみせた。
「もうここを去ったんじゃねえか。俺に構っていても、彼女は助けられないぜ」
「俺達には他にも仲間がいる。問題ない。それより、ここにいる人達を解放してもらうぞ。血液を確保するために攫った人達だろ?」
人間を身近に置いておけば、いつでも血が飲める。
この中に石川佳叶の弟もいるはずだ。
「勝手にすればいいさ」と山岡は吐き捨てるように言った。「言っただろう?こことは、おさらばだと……。ここに残っている人間は用済みなんだよ」
絆が口を開きかけたその時、大きな爆発音が響いた。
建物全体が揺れるような大きな衝撃が走り、地下室の備品が床に散乱する。
一部の機械や照明も動作を停止してしまった。
「何だ?」と絆は山岡を睨む。「何が起こっている?」
「この洋館を爆破する手筈になっている。俺はこのまま逃げさせてもらうぜ」
「待て!」
絆は堂々と通り過ぎようとする山岡の肩に手を伸ばす。
だが、点点に呼び止められて手を引っ込めた。
「よい。放っておけ。今はこの場にいる人達の救助が先じゃ」
絆は歯噛みをする。
確かに点点の言う通りだ。
このままでは、建物が崩壊するのも時間の問題。
傷がほぼ回復した山岡と戦っている余裕はない。
「くっくっく……」と山岡は嫌な笑みを浮かべる。「じゃあな。何もかも手遅れだと思うが、せいぜい足掻いてみせろ」
そう言うと、山岡は地下室を後にする。
決して倒せない相手ではないのに、またも取り逃がしてしまうことになるとは……。
だが、今は地下室にいる人達を助けなければならない。
他にも逃げ遅れた人がいるかもしれないが、とりあえず彼らだけでも外に……。




