第四十九話 月光
夜空には満月が浮かんでいた。
月の光が屋敷の庭園を照らし出し、そこにいる者達の影を露わにする。
屋敷には不似合いな、いかつい男達がスーツ姿の男と戦っていた。
すももは、そのスーツの男が絆だとすぐに分かった。
唯川は絆を一べつすると、舌打ちをする。
「侵入者……。人払いの結界を張っておいたはずですが……」
彼は、すももから手を放すとスマートフォンを手に取った。
「私です。急いで車を手配しなさい。私と天巫女の彼女は先に出発させてもらいますよ。あなた達は侵入者を早く片付けなさい」
誰と話しているかは分からないが、唯川が逃げる算段を企てているのは分かった。
「さあ、すももさん、私達は先に……」
「嫌っ!」すももは唯川の伸ばした手を振りほどいた。「あたしの荷物はどこ?大切なものなの」
「それでしたら、そこに」
唯川は傷ついたように部屋の端を指さした。
ソファの上にすももの服と鞄が置かれていた。
すももは鞄の中身を確認し、ほっと安堵する。
探していたのは、絆への誕生日プレゼントだ。
包み紙に開けられた形跡はない。
(それに、これは……)
すももは鞄の奥に乱雑に入れられた、とあるものに目が留まった。
絆は以前言っていた。
ヴァンパイアは銀が苦手だと。
唯川はソファに歩み寄ると、わざとらしく手を伸ばす。
「お持ちしましょうか?」
すももは横目でヴァンパイアの様子を窺う。
にこやかな笑みを浮かべる唯川は、無防備のように見えた。
すももでも何とか、彼を出し抜くことができるかもしれない。
「結構です!」
すももは咄嗟に、鞄の中のスプレー缶を取り出し、中身を勢いよく噴射した。
銀イオンが配合されたデオドラントスプレーだ。
「くっ……何を……?」
油断していたらしく、唯川は顔を手で押さえる。
「……効いた」
やはりヴァンパイアには銀が有効らしい。
CMに出てる巡には感謝だ。
すももはスプレー缶を投げ捨てると、鞄を胸に抱きかかえるようにしながら走り出した。
体当たりするように扉を開けて、部屋の外に飛び出す。
広い廊下には誰もいない。
下の階は騒がしかったが、絆と合流するためには階段を降りた方がいいだろう。
すももは廊下の突き当たりを目指して駆け出した。
その時、ふいに一陣の風が通り抜けた。
室内にいるのに風?
そう思ったのも束の間、すももの正面には、笑顔を浮かべる唯川の姿があった。
「すももさん、どこへ行くおつもりですか?」
速い。思わず身震いしてしまう。
唯川は室内にいたはずなのに、一瞬ですももに追い付いてしまった。
ヴァンパイアから逃げようなんて浅はかな考えだったのかもしれない。
「さあ」と唯川は手を差し伸べる。「もうどこにも逃がしませんよ」
すももは声も出せず、勢いよく首を左右に振った。
絆はすぐそばまで来ているはずなのに……。
すももは泣き出しそうになるのを必死に堪えた。
「え?」
危うく鞄を落としてしまいそうになる。
突然、視界が闇に包まれたのだ。
「停電?」唯川の慌てた声が聞こえてきた。「ブレーカーが落ちたようですね……」
絆がやったのだろうか。
一瞬そう考えたが、彼は屋敷の庭園にいた。
ということは、別の人物の仕業だろう。彼でないとすると、おそらくそれは……。
「大丈夫ですか?」と唯川はすももを気遣うように声を掛ける。
窓から差し込む月明りのおかげで、すももは徐々に周りのものを認識できるようになっていった。
正面にいる唯川らしき人物の手がそっと伸びてくる。
その時、すももの頬を何かがかすめた。
その直後、唯川の苦しそうなうめき声が聞こえてくる。
生温かい液体がすももの顔にかかり、思わず手のひらで頬に触れた。
唯川はその場でうずくまり、液体からは鉄のような臭いが漂ってきている。
血だ。
それも、すもものものではなく、唯川の……。
「すももさん、こちらに」という聞き覚えのある女性の声が聞こえてくる。
すももは咄嗟に声のした方へ駆け寄ったが、唯川の声で思わず立ち止まった。
「侵入者ですか?まったく……舐めれられたものですね」
唯川の震える声から、彼の怒りが伝わってくる。
「立ち止まらないで」と暗闇から女性の声がした。「このまま逃げてください」
「あなたは……もしかして、ゆかりさん?」
月明りで浮かび上がった女性の姿に、すももは見覚えがあった。
女性は頷くと、苦無らしき武器を持って、唯川の行く手を塞いだ。
「階段を下りて一階へ。何とか有島君と合流してください」
「ゆかりさんも一緒に!」
すももはそう言ったのだが、ゆかりは首を縦に振ることはなかった。
目の前にいる唯川を前にして、うかつに動くことができなかったのだ。
「逃がしませんよ」と唯川の押し殺した声がする。「彼女は私のもの……」
すももはぞっとするものを感じた。
先程の穏やかな雰囲気が完全に消え去っている。
「行って!」
ゆかりの大声に、すももは駆け出していた。
ゆかりに背を向けて、とにかくその場から離れる。
その直後、耳をつんざくような音が周囲に響いた。
振り返ったり、立ち止まったりしては駄目だ。
そうしたら、おそらく、すももは戦いに巻き込まれてしまう。




