第四話 いざ東京へ
真新しいスーツに身を包んで、絆は恵比寿駅の改札口を後にした。
東京に戻って来るのは久しぶりだ。
山奥にある義賀の里とは違い、高いビルが立ち並び、人がせわしなく行き交っていた。
スマホを片手に、駅から少し歩いた雑居ビルの前で、絆は立ち止まった。
ビルの一階は喫茶店になっていて、〈ザ・パンダ・ハウス〉の看板が見える。
朝食として出されるコーヒーの香りが漂ってくるが、今は時間がない。
絆は目的の三階に急ぐ。だが、妙に薄暗いフロアに戸惑ってしまった。
廊下の奥の扉には〈CLОSED〉のボードが掛けられていた。
勤務先の住所を再確認したが、やはりここで間違いなかった。
扉の上にある看板には〈渋谷探偵事務所〉の文字が見えた。
義賀の里は日本各地に活動拠点を設けている。
だが、忍者の存在は秘匿されているため、このように企業や団体を装っているのだ。
絆が配属されたのは、義賀忍軍・第十三中隊。
その中隊の事務所が今、目の前にある部屋というわけだ。
場所は合っているはずなので、構わずチャイムを押し続ける。
すると、どちら様ですかという女性の声が聞こえてきた。
「え~と……今日からそちらの事務所に配属されることになりました有島絆です」
「申し訳ございませんが、弊社に有島という社員はおりません。それでは……」
そう言われたきり、扉が開かれることはなかった。
「そういえば……」と困惑した絆は独りごちる。
合言葉を事前に聞かされていたのだ。
絆はもう一度、チャイムを押すと、今度は合言葉通りに話し始める。
「えっと、『義賀運輸です。着払いのお荷物をお届けしました』」
もちろん義賀運輸なる企業は存在しない。
合言葉用に作られた架空の企業である。
だが、扉の向こうの女性は、あたかも絆が配達員であるかのように応じる。
「着払いね……。『おいくらですか?』」
「『一万三千円』になります」
「分かりました。今、開けます」
女性がそう言うのが聞こえ、ゆっくりと扉が開かれた。
姿を現した中年の女性は普通のOLにしか見えなかった。
事務所の中も普通に明るくて、変わった所はなかった。
「駄目じゃない。いきなり名乗っちゃ……」
苦笑いを浮かべる女性に、絆は素直に頭を下げる。
「すみません。合言葉のこと忘れてました……」
「まあ、いいでしょう。有島君ね。話は聞いてるわ。ようこそ十三中隊へ。私は江隈美弥子。〈中忍〉よ。中に入って」
忍者には階級があり、〈下忍〉〈中忍 〉〈上忍〉と上がっていく。
江隅は〈下忍〉の絆よりも一つ上の階級ということだ。
「よろしくお願いします」
絆は再び頭を下げて、事務所の中に入った。
「よろしくね。ここに新人さんが来るなんて久しぶりだわ……。忍者証は持ってる?」
江隅に尋ねられ、絆は忍者証を提示した。
塾を卒業した忍者に支給される顔写真入りのカードで、氏名や階級が記されている証明書である。
これを貰うために三年間頑張ってきたと言っても過言ではない。
江隅は忍者証を手に取って確認すると、絆に返した。
「本物っぽいわね。事務所に入るときはそこのカードリーダーに忍者証を通すの」
玄関に入ると、さらにガラス張りの扉があり、その向こうが仕事部屋になっているようだった。
扉の近くには、忍者証を通すカードリーダーが壁に設置されている。
絆は言われた通り、忍者証をカードリーダーに通した。
ピッという音がして、鍵が開く気配がする。
「じゃあ、ここの中隊長を紹介するわね。付いて来て」
江隅の後に付いて扉の中に足を踏み入れた。
小さな部屋はごく普通の中小企業の事務所のように見える。
室内は絆と江隅の他には、奥にいる中年の男性だけだった。
「中隊長、今日から配属されることになった新人君ですよ」
彼女の言葉に続いて絆は自己紹介した。
「有島絆です。よろしくお願いします」
「ああ、辻君から話は聞いているよ。私はこの第十三中隊の中隊長を務めている飛崎だ」
中隊長の飛崎は白髪で、目つきが鋭く、胸板は厚かった。
何となく凄みのある人物だ。
どうやら、絆の担任の辻先生とは面識があるらしい。
もしかしたら、絆がこの事務所に配属されることになったのは、それが要因なのかもしれない。
飛崎は絆を見据えて続ける。
「この小さな事務所には、約二百名の忍者が所属しているが、見ての通りこの場には誰もいない。それぞれ任務に当たっていて、めったに事務所に帰ってくることはないからだ。君にも簡単な説明の後、早速任務に当たってもらうことになる」
「……ずいぶんと急ですね」
いきなり任務と言われても、心の準備ができていなかった。
「不安かね?任務に必要な事は、忍者塾で一通り学んできているはずだろう?」
「えっと……」
動揺気味の絆を、江隅が慌ててフォローする。
「大丈夫よ。塾を卒業したばかりの君に、無理難題を吹っ掛けたりしないわ」
「……わ、分かりました。できる限り早く、一人前になれるよう努力します……」
内心、帰りたいと思う絆をよそに、上司の飛崎は涼しい顔をしている。
「うむ。まず君に渡したいものがあるんだ。江隅君、あれを彼に……」
「はい。今、持ってきますね」
江隅は笑みを浮かべ、隣の部屋に行ってしまった。
渡したいもの?絆は首を傾げる。




