第三十九話 待ちきれない
すももは義賀の里の忍者からは特別扱いしてもらえるものの、ヘルシングという大所帯のグループの中では、新入りに過ぎない。
売れっ子のメンバーや先輩メンバーの前では、やはり少し緊張してしまう。
特に今日は今度、発売される新曲に合わせて、選抜メンバーが揃って集まることになっていた。
普段はあまり一緒にならない子もいて、レッスン場はどことなく張り詰めた空気が漂っている。
同期の佳叶は、そんな空気が耐えられなかったのか、更衣室で一人、スマートフォンの画面を見つめていた。
「佳叶、おはよ」
すももは後ろから友人の肩に手を置いた。
「え?え?な、何だ……すももか。おはよ」
「ん?何の写真?」
画面を覗くつもりはなかったが、すももの視界に男の子の画像が映る。
なかなかハンサムな子だった。
「弟の望」
佳叶は慌てた様子でスマホをしまってしまう。
「そっか。そういえば、弟いるって言ってたもんね」
「そう。変な勘違いしないでよね」
佳叶は冗談めかして言ったが、どこか疲れた表情だった。
すももは一応、笑っておく。
「分かってるよ。着替えないの佳叶?もうすぐ始まっちゃうよ?」
「……うん。そうだね。ごめんね」
何も悪いことをしていないのに、佳叶は謝ってくる。
すももは首を傾げながら着替えを済ませ、二人で一緒にレッスン場に戻った。
少し遅れて来た先輩の潮巡に、先日のお礼を言うと、彼女は優雅に微笑み返してくれた。
他のメンバー達も多忙な巡の到着に気付き、彼女と言葉を交わしている。
巡はどちらかというと、物静かなタイプで、グループの盛り上げ役という感じではない。
だが、巡がいるだけで、何となくグループ全体の雰囲気が引き締まるような感じはあった。
そうこうしているうちに、レッスンは始まった。
少しずつでもいいから巡に近付きたい。
そう意気込んでみたものの、自分と巡の実力差は大きかった。
すももが苦戦していたステップを、巡はKibunのお手本を見て、一発で完璧にマスターした。
今まで蓄積してきたものがあるから、できるのだろう。
すももには、なかなか真似できない。
同期の佳叶なら違うのかもしれないけれど……。
だが、今日の佳叶はやはり様子が変だった。
急に踊るのを止めたかと思えば、ダンス講師に手を挙げて訴える。
「先生、すみません。少し休ませてもらえますか?」
「あら、どうしたの石川さん?」
ダンス講師のKibunが心配そうな表情を向ける。
他のメンバー達も踊るのを止め、レッスン場に音楽だけが空しく鳴り響く。
メンバー達が囁き声を上げる中、すももは真っ先に彼女の元へ寄りそう。
「佳叶……朝、来た時から体調悪いみたいで……」
Kibunは、すももの言葉を聞くと、音楽を止めた。
「そう。どうする?今日はもう早退する?」
「いえ」佳叶は首を横に振った。「少し休んだら大丈夫だと思います。少し目まいがしただけなので……」
「分かった。一旦、ダンスの方は中断しましょう。みんなに渡しておきたいものがあるの」
そう言うと、Kibunはメンバー達に背を向けて、教室を後にした。
渡しておきたいもの?
すももは疑問に思ったが、佳叶を立たせておくわけにもいかず、教室の端の方まで彼女を連れて行った。
佳叶を壁に寄りかからせると、その様子を見ていた絆が駆け寄ってくる。
「大丈夫ですか石川さん?何か飲み物でも買って来ましょうか?」
このダンス教室が入居しているビルのフロアには、自動販売機がいくつかあった。
「はい。それじゃあ、お願いします。あ、お金……」
佳叶はそう言ったものの、貴重品はロッカーの中だった。
「別にいいですよ。それじゃあ行って来る」
「うん」とすももは絆に頷く。
レッスンが中断する中、メンバー達は手持ち無沙汰な様子で、おしゃべりをしていた。
佳叶は何となく申し訳なさそうな表情をしていたが、誰も佳叶を悪く言う人はいなかった。
「大丈夫だよ」とすももは佳叶の肩に手を置いた。
すると、Kibunは何かが詰まった紙袋を持って、みんなの元に戻って来る。
先生は教室に集まったメンバーに、印刷された用紙を配布する。
「一人一枚ね。後ろに回して。遅れていた新曲の歌詞が完成したの。仮歌を録音したファイルもメールで送られてくると思うから、きっちり練習しておきなさいよ」
Kibunの言葉に、ヘルシングのメンバー達が子供のような返事をする。
「はーい!」
学校を卒業したメンバーも多いが、やはり先生を前にすると、童心に帰ってしまう。
新曲がようやく完成したということで、盛り上がっていたのも、あるかもしれないけど……。
「仮歌?」
騒がしい教室に、絆が戻ってきた。
彼の手にはスポーツドリンクが一本握られている。
すももは、業界の事情を知らないマネージャーに説明してあげた。
「あたし達が歌の練習ができるように、曲を作った人が、実際に歌って録音してくれたものだよ。新人のアーティストが担当してくれることもあるけどね」
「ああ、なるほど」と絆は頷く。「確かに歌詞カードとメロディーだけもらっても、どう歌ったらいいか分からないもんな」
新人マネージャーは納得した様子で、佳叶に買ってきたジュースを渡す。
「はい、どうぞ」
「ありがとうございます」
そう言って受け取った佳叶は、やはり顔色が悪い。
元気がない彼女に代わって、すももは歌詞カードを受け取りに行く。
すると、心配した様子で、巡が用紙を渡してくれた。
「二人分ね?ケイちゃんは大丈夫そう?」
「ありがとうございます巡さん。佳叶は一応、大丈夫って言ってますけど……」
「そう。無理しないでね」
すももは苦笑しつつ、彼女から用紙を受け取った。
先輩の優しさに感銘を受けながら、佳叶の元に戻ると、彼女に歌詞カードを渡す。
「ありがとう」と佳叶は弱々しく言った。
「無理しないでね、って巡さんが」とすももは耳打ちする。
「分かってる。でも、今日は大事な日だから」
すももは彼女の言葉に頷きつつ、歌詞カードに目を落とす。
完成した新曲の歌詞。
まだ世には出回っていない曲の歌詞が、手元にあると思うと少し緊張してしまう。
守秘義務があるので、勝手にこれを外部に漏らしてしまうと大問題になる。
注意しなければ……。
でも、それと同時に、すももは感動を覚えていた。
それは佳叶も同じだと思う。
だから、彼女は無理をしてでも、この場にいようとしているわけで……。
人気メンバーと肩を並べ、これからスタジオでレコーディングしたり、ミュージック・ビデオの撮影をし、発売イベントなどに顔を出すことになるのだ。
一方、マネージャーの絆は、あまり重大さに気付いていないのか、何気ない様子で、すももに訊ねる。
「新曲か。何て曲なんだ?」
「最後のワンフレーズ」とすももは曲名を口にする。
先に完成していたメロディーと、今もらった歌詞が脳内で一つになった。
ダンスへの情熱を感じさせる、激しい曲になりそうだ。
新曲が発売されるのが、今から待ちきれない。




