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ダンシング・ヘルシング  作者: 逸見 秋仁
第三章 悪夢
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第三十九話 待ちきれない

 すももは義賀(ぎが)の里の忍者からは特別扱いしてもらえるものの、ヘルシングという大所帯のグループの中では、新入りに過ぎない。

 売れっ子のメンバーや先輩メンバーの前では、やはり少し緊張してしまう。


 特に今日は今度、発売される新曲に合わせて、選抜メンバーが揃って集まることになっていた。

 普段はあまり一緒にならない子もいて、レッスン場はどことなく張り詰めた空気が漂っている。


 同期の佳叶(けいと)は、そんな空気が耐えられなかったのか、更衣室で一人、スマートフォンの画面を見つめていた。

「佳叶、おはよ」

 すももは後ろから友人の肩に手を置いた。

「え?え?な、何だ……すももか。おはよ」


「ん?何の写真?」

 画面を覗くつもりはなかったが、すももの視界に男の子の画像が映る。

 なかなかハンサムな子だった。

「弟の望(のぞむ)」

 佳叶は慌てた様子でスマホをしまってしまう。


「そっか。そういえば、弟いるって言ってたもんね」

「そう。変な勘違いしないでよね」

 佳叶は冗談めかして言ったが、どこか疲れた表情だった。

 すももは一応、笑っておく。

「分かってるよ。着替えないの佳叶?もうすぐ始まっちゃうよ?」

「……うん。そうだね。ごめんね」

 何も悪いことをしていないのに、佳叶は謝ってくる。


 すももは首を傾げながら着替えを済ませ、二人で一緒にレッスン場に戻った。

 少し遅れて来た先輩の潮巡(うしおじゅん)に、先日のお礼を言うと、彼女は優雅に微笑(ほほえ)み返してくれた。


 他のメンバー達も多忙な巡の到着に気付き、彼女と言葉を交わしている。

 巡はどちらかというと、物静かなタイプで、グループの盛り上げ役という感じではない。

 だが、巡がいるだけで、何となくグループ全体の雰囲気が引き締まるような感じはあった。


 そうこうしているうちに、レッスンは始まった。

 少しずつでもいいから巡に近付きたい。

 そう意気込んでみたものの、自分と巡の実力差は大きかった。

 すももが苦戦していたステップを、巡はKibun(きぶん)のお手本を見て、一発で完璧にマスターした。


 今まで蓄積してきたものがあるから、できるのだろう。

 すももには、なかなか真似できない。

 同期の佳叶なら違うのかもしれないけれど……。


 だが、今日の佳叶はやはり様子が変だった。

 急に踊るのを止めたかと思えば、ダンス講師に手を挙げて訴える。

「先生、すみません。少し休ませてもらえますか?」

「あら、どうしたの石川さん?」

 ダンス講師のKibunが心配そうな表情を向ける。


 他のメンバー達も踊るのを止め、レッスン場に音楽だけが空しく鳴り響く。

 メンバー達が囁き声を上げる中、すももは真っ先に彼女の元へ寄りそう。

「佳叶……朝、来た時から体調悪いみたいで……」

 Kibunは、すももの言葉を聞くと、音楽を止めた。

「そう。どうする?今日はもう早退する?」


「いえ」佳叶は首を横に振った。「少し休んだら大丈夫だと思います。少し目まいがしただけなので……」

「分かった。一旦、ダンスの方は中断しましょう。みんなに渡しておきたいものがあるの」

 そう言うと、Kibunはメンバー達に背を向けて、教室を後にした。


 渡しておきたいもの?

 すももは疑問に思ったが、佳叶を立たせておくわけにもいかず、教室の端の方まで彼女を連れて行った。

 佳叶を壁に寄りかからせると、その様子を見ていた絆が駆け寄ってくる。

「大丈夫ですか石川さん?何か飲み物でも買って来ましょうか?」

 このダンス教室が入居しているビルのフロアには、自動販売機がいくつかあった。


「はい。それじゃあ、お願いします。あ、お金……」

 佳叶はそう言ったものの、貴重品はロッカーの中だった。

「別にいいですよ。それじゃあ行って来る」

「うん」とすももは絆に頷く。


 レッスンが中断する中、メンバー達は手持ち無沙汰な様子で、おしゃべりをしていた。

 佳叶は何となく申し訳なさそうな表情をしていたが、誰も佳叶を悪く言う人はいなかった。

「大丈夫だよ」とすももは佳叶の肩に手を置いた。


 すると、Kibunは何かが詰まった紙袋を持って、みんなの元に戻って来る。

 先生は教室に集まったメンバーに、印刷された用紙を配布する。

「一人一枚ね。後ろに回して。遅れていた新曲の歌詞が完成したの。仮歌(かりうた)を録音したファイルもメールで送られてくると思うから、きっちり練習しておきなさいよ」


 Kibunの言葉に、ヘルシングのメンバー達が子供のような返事をする。

「はーい!」

 学校を卒業したメンバーも多いが、やはり先生を前にすると、童心に帰ってしまう。

 新曲がようやく完成したということで、盛り上がっていたのも、あるかもしれないけど……。


「仮歌?」

 騒がしい教室に、絆が戻ってきた。

 彼の手にはスポーツドリンクが一本握られている。


 すももは、業界の事情を知らないマネージャーに説明してあげた。

「あたし達が歌の練習ができるように、曲を作った人が、実際に歌って録音してくれたものだよ。新人のアーティストが担当してくれることもあるけどね」

「ああ、なるほど」と絆は頷く。「確かに歌詞カードとメロディーだけもらっても、どう歌ったらいいか分からないもんな」


 新人マネージャーは納得した様子で、佳叶に買ってきたジュースを渡す。

「はい、どうぞ」

「ありがとうございます」

 そう言って受け取った佳叶は、やはり顔色が悪い。

 元気がない彼女に代わって、すももは歌詞カードを受け取りに行く。


 すると、心配した様子で、巡が用紙を渡してくれた。

「二人分ね?ケイちゃんは大丈夫そう?」

「ありがとうございます巡さん。佳叶は一応、大丈夫って言ってますけど……」

「そう。無理しないでね」

 すももは苦笑しつつ、彼女から用紙を受け取った。


 先輩の優しさに感銘を受けながら、佳叶の元に戻ると、彼女に歌詞カードを渡す。

「ありがとう」と佳叶は弱々しく言った。

「無理しないでね、って巡さんが」とすももは耳打ちする。

「分かってる。でも、今日は大事な日だから」


 すももは彼女の言葉に頷きつつ、歌詞カードに目を落とす。

 完成した新曲の歌詞。

 まだ世には出回っていない曲の歌詞が、手元にあると思うと少し緊張してしまう。

 守秘義務があるので、勝手にこれを外部に漏らしてしまうと大問題になる。

 注意しなければ……。


 でも、それと同時に、すももは感動を覚えていた。

 それは佳叶も同じだと思う。

 だから、彼女は無理をしてでも、この場にいようとしているわけで……。

 人気メンバーと肩を並べ、これからスタジオでレコーディングしたり、ミュージック・ビデオの撮影をし、発売イベントなどに顔を出すことになるのだ。


 一方、マネージャーの絆は、あまり重大さに気付いていないのか、何気ない様子で、すももに訊ねる。

「新曲か。何て曲なんだ?」

「最後のワンフレーズ」とすももは曲名を口にする。


 先に完成していたメロディーと、今もらった歌詞が脳内で一つになった。

 ダンスへの情熱を感じさせる、激しい曲になりそうだ。

 新曲が発売されるのが、今から待ちきれない。

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