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ダンシング・ヘルシング  作者: 逸見 秋仁
第三章 悪夢
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第三十七話 帰り道に……

 血の臭いを感じ、路地裏の方に視線を向けた。

 その様子に気付いた点点(てんてん)と小助(こすけ)も、絆(ばん)と同じ方角を見つめる。

 辺りはすっかり日が沈み、街灯が点(つ)き始めていた。

 絆達を除いて、人の気配はない。

 ヴァンパイアが人払いの結界を施したらしい。


 今日、絆は潮巡(うしおじゅん)に招待され、初めてアイドルのライブを生で観た。

 事務所に寄る用事があるという石川佳叶(いしかわけいと)と別れ、絆はすももと帰路に就いた。

 その直後のことだった。


「隠れてないで出て来い」

 絆は路地裏にいるヴァンパイアに声を掛けた。

「すもも殿は下がってくだされ」

 子供に化けた小助が一歩前に出る。

「う、うん」

 すももは素直に頷くと、点点をぎゅっと抱きしめた。

「来るぞ」

 点点は彼女に抱かれながら、絆と小助に呼び掛ける。


 その直後、暗闇からうめくような低い声がした。

「よお、また会ったな」

 姿を現した男は、スキンヘッドの大柄なヴァンパイアだった。

「お前は確か……山岡」

「くっくっく……お前は有島とか言ったな。あの時の借りは返すぜ」


「……誰じゃ?」と訊いたのは、小助だった。

「昼間、話しただろ?すももを襲撃したヴァンパイアだよ」

「こやつが……」

 小助は腰を落として、両腕を構える仕草をする。

 絆も片手に苦無(くない)を構えて身構えた。

 すると、後ろに控えていた点点が何かに気付いた。

「まだ奥に敵がおる。気を付けろ!」


 山岡というヴァンパイアは、初めて会った時も仲間と行動していた。

 他に仲間のヴァンパイアを連れていたとしても、別に驚くことはない。

 だが、奥から現れた男に、絆は驚きが隠せなかった。

 新たに現れたヴァンパイアに、恐怖のあまり、身体の震えが止まらない。


「久しぶりだな絆」

 猛禽類(もうきんるい)のような目をしたヴァンパイアが言った。

 長身で白髪の大男だった。

 この男の顔を、絆は片時も忘れたことはない。

 両親が殺されたあの日から一度も……。


「絆殿?」

 小助は絆の異変を察知し、視線を向けた。

 だが、絆は応えることができなかった。


「こやつは……」

 背後から点点の気配がする。

 歴代の天巫女(あまみこ)の護衛を務めた彼は、このヴァンパイアとも当然、面識がある。

 震えで声が出せない絆に代わって、点点がその名を口にした。

「……『梟(ふくろう)』。なぜ、お主がここに?」


「絆殿の仇……」と小助は歯噛みした。「成敗してくれる!」

「待て小助!」

 今にも飛び出しそうな式神(しきがみ)を、絆は後ろから羽交い締めにした。

「なぜ止める?」と小助は暴れる。


 その様子を見て、梟はほくそ笑んだ。

 子供の姿をした小助の正体も見破っている。

「……なかなか威勢のいい式神だ。それに比べ、お前は何だ絆?この臆病者めが」

「お前のような奴に天巫女の護衛なんて務まるわけがない」

 山岡は手を叩いて笑う。


 言い返すこともできず、絆は視線を落とした。

 自分は戦う前から委縮し、負けを認めてしまっている。

 三年間、努力したといっても、実力の差は歴然だ。


 すももだけでも何とか、この場から逃がさなければ……。

 そう自分に言い聞かせ、もう一度、顔を上げる。

 だが、そこに梟の姿はなかった。

 山岡の隣にいたはずの白髪の男が視界から完全に消えたのだ。


「うっ……あぁ……」

 その時、背後から女性のうめくような声が聞こえてくる。

 苦しそうでいて、どこか恍惚(こうこつ)な声色だった。


 絆は咄嗟(とっさ)に振り返り、息を呑んだ。

 その声の正体を知り、身体の震えが止まらなかった。

 目を離した一瞬の隙を突き、梟はすももの真横まで移動すると、彼女の首元に喰らい付いたのだ。


 梟を前にして護衛達は、あまりにも無力だった。

 すももは、みるみるうちに、顔を真っ青にした。

 彼女の瞳は宙を見つめたまま、虚ろな表情を浮かべている。

 首元からはおびただしい血が流れ、彼女の着ていたライブTシャツが血で真紅に染まった。


「……嘘だ」


 絆は現実を否定しようとした。

 すももの身を案じてのことではない。

 自分の非力さを認めたくなかったからだ。

 地面にくずおれる彼女を見つめながら、突っ立っているのが精一杯だった。

 彼女は光を失ったかのように、その瞳に絆は映っていなかった。


***


 真っ暗な自室で絆の意識が覚醒する。

 一瞬、何が何だか分からなかったが、すぐに夢を見ていたのだと気付いた。

 上半身を起こし、時計を見ると、深夜三時を過ぎている。


 絆は汗でびっしょりだった。

 室内の温度はそれほどでもないのに、身体の全身が火照(ほて)っている。

 それに、妙に息苦しい。

 うまく呼吸ができなかった。


「すももは……?」


 絆は念のため、隣室の気配を探った。

 彼女を護衛するために十三中隊は、すももの暮らしているアパートの隣りに、絆の部屋を借りていた。   

 何かあった時は、すぐに駆けつけられるようにするためである。


 壁一枚隔てた向こう側からは、すももと点点の気配が感じられる。

 無事を確認し、絆は安堵のため息を吐く。

 こんな時間だし、何も知らずに眠っているに違いない。

 

 絆は前日に、すももと一緒に潮巡のソロライブに行って来たところだった。

 だが、その帰り道に、ヴァンパイアなんて現れなかった。

 なぜこんな夢を見たのだろう。


(……『梟』。まさか、あいつがすぐそばまで来ているのか?)


 絆は無性に胸がざわついて、サッシを開けて、ベランダに出る。

 渋谷(しぶや)の街はこんな時間でも車が往来し、近くにあるコンビニは煌々(こうこう)と明かりが付いていた。

 絆の心配をよそに、人々の営みは変わることなく続いている。


 念のため神経を研ぎ澄ませて、周囲を探ってみるが、ヴァンパイアの気配は感じられない。

 やはり杞憂だったのだろうか。

 いや、そんなことはない。

 梟というヴァンパイアは確実にこの街に来ている。

 気配を探れるほど、近くには来ていないというだけだろう。


 すももの前に『梟』が現れたとして、絆は彼女を守れるのだろうか。

 夢で視(み)たように、何もできないんじゃないかと思いそうになり、絆は首を振った。


(しっかりしろ。弱気になってどうする。『梟』……あいつと刺し違えてでも、すももを守ってみせる)


 そう言い聞かせ、自分を奮い立たせた。

 何のために三年間も修行してきたというのか。

 両親の仇である『梟』を討つためではなかったのか。

 今夜はなかなか眠れそうもなかったので、絆は室内に戻り、瞑想を始めた。

 再び布団に入ったのは明け方になる頃だった。

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