第三十六話 ヴァンパイアの被害者
有島家が忍者の一族だと知らされたのは、絆が中学三年生の頃だった。
それまで普通の暮らしをしていた絆にとって、それはまさに青天の霹靂だった。
両親の話では、関東のどこかに義賀という忍者の里があって、そこには忍者の卵を育成する忍者塾という学校があるらしい。
両親は絆に忍者塾に入るように勧め、絆に忍術を教えようとした。
絆は当然のように反発したが、両親はそれでも絆を忍者にしようとしていた。
忍者塾は忍者の一族の末裔だけが入れる学校だ。
条件を満たしていれば、忍術を扱えなくても入学できる。
だが、大抵の塾生は入学前から、ある程度の忍術を学んでくるらしく、絆の両親は口を酸っぱくして注意した。
両親の説得も空しく、絆は忍術の代わりに高校の受験勉強に励んだ。
だが、高校入試を控えた、ある冬の日を境に、考えを改めることになった。
その日、両親が殺されたのだ。
絆の目の前で。
犯人はヴァンパイアという種族の妖怪だった。
両親を殺害したヴァンパイアは、『梟』という通り名で呼ばれていた。
猛禽類のような鋭い目つきをした男だったが、絆には梟というより、鬼や悪魔のように見えた。
その白髪の男から、両親は絆を守ろうとして命を落としたのだった。
一命を取り留めた絆は、義賀の里の〈上忍〉辻俊樹と出会った。
彼は忍者塾の教師をしていて、絆の両親とは同級生だった。
彼の援助もあり、絆は忍者塾に入る決断をして、同時に梟への復讐を誓った。
それから三年の月日がたち、絆は忍者塾を卒業した。
同級生の蓮井ゆかりとも、そこで知り合った。
忍術がろくに扱えなかった絆が、何とか卒業できたのは、彼女のおかげである。
しかし、両親への復讐を誓って忍術を学んだのに、卒業後に言い渡された最初の任務が、まさかアイドルの護衛だとは……。
もちろん、護衛対象の内野すももは、ただのアイドルではなく、義賀の里にとって重要人物なのであるが……。
まあ、それは置いておくとして、絆は梟への復讐を諦めた訳ではない。
夜な夜な忍術の修行をしているのは、そのためだ。
日本におけるヴァンパイアの被害者は、一般に公表されていないだけで大勢いる。
何も絆だけが特別ではないのだ。
被害者を一人でも少なくするためには、強くならねばならない。
***
日の光が遮断された地下室。
室内に置かれた大小様々な機械が、不気味な重低音を鳴らしている。
昼なのか夜なのか、ここにいると判断がつかないが、もうすぐ夜がやってきて、闇の世界の住人達が動き出す。
ヴァンパイアに生まれ変わり、すっかり昼夜が逆転してしまった山岡だが、今日はいつもよりも早く起きてしまった。
おそらく、しばらく血を飲んでいないせいだろう。
何もしたくない気分だったが、そうは言っていられない。
天巫女を生け捕りにしろと、ボスの唯川から指令を受けているからだ。
この地下室には、新鮮な血をいつでも飲めるように、生きた人間が保管されている。
病院のように並べられたベッドに、人間が寝かされ、ヴァンパイアから呼ばれるのをひたすら待っている。
山岡はその中の一人に歩み寄った。
おそらく、この中で最も若い少年だ。
彼は山岡に気付くと、息を呑んで起き上がった。
だが、少年の腕は鎖で繋がれていて、逃げることはできない。
「そんな顔するなよ。別に命を取ったりはしない。お前の姉ちゃんは、約束を守って協力しているからな」
山岡が笑い掛けると、少年はこちらを見ずに頷いた。
「……は、はい」
この少年の姉はこの場にはいない。
彼女は天巫女のそばにいるからだ。
「分かってるならいい。ところで、お前、下の名前は何って言ったか?」
「の、望」
「そうだった……。望だったな。いい名前だ。それじゃあ望、ちょいとお願いがあるんだ。少しだけ俺に血を分けてくれねえか?これから出掛ける前の腹ごしらえさ」
「い、嫌だ!ここから出してくれ」
暴れる望の首筋には、噛み痕のようなものがあった。
山岡や仲間のヴァンパイアが何度も血を吸ったからだ。
「別に初めてじゃないだろ」と山岡は言った。「食事は三食出してやってるんだ。食費の代わりに血くらい提供したらどうだ。ほら!」
望の悲鳴が室内に響き渡る。
抵抗する望を、山岡が無理やり押さえて、首筋に牙を突き立てた。
望の首筋からは血が滴り落ちる。
「望、お前はいい匂いがするなぁ。お前の姉ちゃんと同じ匂いだ」
山岡は興奮したように歓喜の声を漏らした。
本当は姉の方から血を吸いたかったが、それは唯川が許さないだろう。
「ふう……」
山岡は空腹を満たすと、口元をタオルで拭った。
望はぐったりした様子でうな垂れていたが、命に別状はない。
ヴァンパイアの唾液には、傷を治す効果があるので、傷口は直に塞がる。
室内にいた人間は、山岡と望の様子を見て見ぬふりをしていた。
誰も助けを呼んだり、逃げ出そうとはしない。
ヴァンパイアから逃げることはできないと、諦めの境地に達している。
ここへ来たばかりの望の瞳だけに、抵抗の炎が宿っている。
山岡は望の肩に手を置くと、彼を慰めるように声を掛けた。
「まあ、そう気を落とすな。近いうちに、姉弟そろって解放してやる。天巫女さえ捕らえたら、もうここには用はねえからな」
「ほ、本当ですか?」
望は希望に満ちた眼差しで、こちらを見てくる。
「ああ、本当だとも」山岡はそう言って、彼の肩を叩いた。「約束は守る。それじゃあな」
山岡は望から手を離すと、地下室にいる人間達に背を向けて、部屋を後にした。
外で待機していた仲間に声を掛けると、そのまま仕事に向かう。
口元から牙を伸ばしたまま……。




