第二十四話 久しぶり
あまりに慌てていたので、すももを着替えさせるのを忘れていた。
彼女はダンスレッスン用のジャージを着たまま、スーツ姿の絆の横を歩いている。
もっとも、今日はこのまま仕事は終わりなので問題はない。
隣りに視線を移すと、何やら不貞腐れたように、すももは俯いている。
黙っている彼女に、絆はため息混じりに声を掛けた。
「なに怒ってるんだよ?仕方ないだろ?すももが余計なことを言うから」
「怒ってないよ」
「じゃあ何でさっきから黙ってるんだ?」
「だって……」
すももは言葉の途中で腹を押さえた。
ぐぅ~という弱々しい腹の音が聞こえてくる。
「ごめん。もう夕方じゃない?あたし、お腹空くと機嫌が悪くなるタイプだからさ」
「そっか。それならいいんだが……。それじゃあ、何か食べてくか?」
「賛成!」とすももは手を上げる。
子供のようにはしゃぐ彼女に、絆は思わず笑顔になった。
石川佳叶の言う通り、絆とすももは、この短期間でかなり仲良くなっていた。
「何食べてく?」
「何でもいいよ」と絆は答える。
「え~答えになってないじゃん。それじゃあ……あたし、パスタ食べたーい」
「パスタか……。まあ、いいんじゃないか?」
「それじゃあパスタね。パスタパスタ」
すももの声に応えるように、彼女の鞄から、ひょっこりと狐のぬいぐるみが顔を出す。
「おお、今晩はパスタか」
「おい、点点は隠れてろよ」と絆は慌てる。
駅前の通りは、せわしなく人が行き交っていた。
一応、注意したものの、小さなぬいぐるみなんて、忙しい人の目には留まらないかもしれないが……。
「すまんすまん」と点点は謝るが、反省の色は見えない。「何せ今日はずっと鞄の中じゃ。さすがに飽きたわい」
「それはご苦労さん」と絆は呆れ顔で言った。「……というか、点点はパスタって柄じゃないだろ。純日本的というか……」
点点は真っ白な毛並みに、赤い前掛けという、日本の国旗を連想させるデザインのぬいぐるみだった。
「儂だって、イタリアンくらい食べるわい」
点点は反論したが、ぬいぐるみが食べることには、今さら突っ込もうとは思わなかった。
「別にいいじゃんね?」とすももは点点に加勢し出す。
二対一。
絆はそれ以上は文句を言わず、駅前にあるイタリア料理のチェーン店を目指した。
すももはジャージ姿だし、激安店で充分だろう。
そもそも高級店に入れるほど、彼女は人気アイドルではない。
変装なんてしなくても、街を歩けるくらいの知名度だ。
すると、ふいに目の前でОLらしき女性が足を止めた。
行く手を塞がれてしまい、絆とすももは思わず立ち止まる。
女性は驚いたように目を丸め、絆に話し掛けてきた。
「あ、有島君!?お久しぶりです」
その女性は肩にかかるくらい長い髪を下ろし、髪は茶色に染めていた。
真新しいパンツスーツを着た彼女は、新卒の若者といった風貌だった。
向こうは自分を知っているようだが、生憎、こちらは彼女のことを憶えていない。
「知り合い絆君?」すももの方も、やはり面識はないようだ。
一方の女性は、すももにいぶかしげな視線を送る。
「ば、絆君?失礼ですけど、どなたですか?有島君とはどういうご関係で……?」
「あの……すみません」と絆は恐る恐る訊ねた。「どこかでお会いしましたっけ?」
「はあ?私ですよ有島君」と女性はショックを受けたように突っかかってくる。
「だから誰……?」と絆はますます混乱する。
すももがうるさいし、早く彼女を食事に連れて行ってあげたいのだが……。
「分かりませんか?私ですよ私」
彼女は絆の前に顔を近付けてくる。
アイラインを引いているため、目元を見ても分からなかったが、きれいに通った鼻筋や幸薄そうな薄い唇には見覚えがあった。
それに、忍者塾に通っていた間、毎日のように聞いたこの声……。
「ああ、ゆかりか。久しぶりだな。ちょっと見ない間に随分と変わったな?」
「卒業を機に髪を染めまして……。改めて、お久しぶりですね有島君」
恥ずかしそうに、はにかむ笑顔は、変わっていないように見えた。
彼女――蓮井ゆかりとは、忍者塾時代を共に過ごした仲だ。
昔は三つ編みに眼鏡の地味な少女だったが、今は都会的な洗練された雰囲気の女性に変わった。
どういう風の吹き回しなのだろう。
すると、人形のフリをしていた点点が、動いてもいいと分かり、声を上げる。
「おお、ゆかりか!儂としたことが気付かんかったわい。元気にしとったか?」
「点点さん?え、ええ……元気にしてます。何であなたが有島君と?」
急に動き出したぬいぐるみに、ゆかりはギョッとした表情になったが、旧知の点点だと分かると、徐々に表情が柔らかくなった。
「なぜかって?有島絆が天巫女の護衛となったからに決まっておろう」
点点から告げられた事実に、ゆかりは衝撃を受けたように固まる。
「ご、護衛?有島君が?天巫女の?」
「まあ、そういうこと」と絆は肩をすくめる。「俺もびっくりしてるよ……」
ゆかりは、ぎこちない仕草で視線をすももに向ける。
「……ということは、彼女が新しい天巫女様?」
すももは、そんな彼女に満面の笑みを向ける。
緊張したファンに接するかのように。
「こんにちは。ん?こんばんは、かな?初めまして内野すももです。あたしもよく分からないんですけど、天巫女というやつ……らしいです。絆君の知り合いということは、ゆかりさんも忍者なんですか?」
「は、はい」とゆかりは呆然としたように答える。「そうです。蓮井ゆかりと言います」
「上の名前は蓮井さんっていうんですね。素敵。絆君が忍者の学校に通ってたことは聞いてるんですけど、彼、なかなか学校のこと話してくれなくて……。てっきり、友達一人もいないのかと思ってました」
そう言って、すももが爆笑するので、絆は彼女の肩を小突く。
彼女はいい娘だと思うが、時々毒を吐くので性質が悪い。
「笑いすぎだ、すもも。誰もそんなこと言ってないだろ。俺にだって友達くらい……」
「すもも……」
不思議に思い、ゆかりの方を振り返る。
彼女はさっきから固まったまま呆然としている。
「一体どうしたんだ?さっきから、ゆかりらしくない。すももがどうかしたのか?」
すると同級生の彼女は、がばっと絆に掴みかかり、ゆらゆらと揺さぶってくる。
「あ、有島君?彼女のことは知っているんですか?」
「な、何を?」と絆は戸惑った。「知ってるも何も天巫女だろ?」
「そっちじゃなくて、彼女のご職業を、です」
「職業って……そりゃあアイドルだろ?俺は今、表向きは彼女のマネージャーとして働いているんだから」
「ま、マネージャー?」
ゆかりはショックを受けたように、再び固まった。
忍者二人のやり取りを見つめながら、すももは困惑したような表情を浮かべる。
彼女に頭を撫でられている点点も、やれやれといった風に首を振っていた。




