第二十一話 これから先が思いやられるよ
「すもも、ちと痛いが我慢してくれ。この儀式には血が必要でな」
苦無を手に取った点点に、すももは思わず腕を引っ込めた。
「えっ……ちょっと怖いんだけど……」
「大丈夫じゃ。指にわずかに切り傷を付けるだけじゃよ」
点点はぎらりと苦無を光らせる。
彼女の白い皮膚に赤い水滴が浮かんだ。
「……っ」すももは息を呑む。「あたし、注射も苦手なタイプなんだけどな……。それで、次はどうするの?」
「その血を使って、有島絆の背中に五芒星を描いてほしいのじゃ。五芒星は分かるか?」
点点の問いに、すももはそれくらい知ってるよと答える。
「お星様のマークでしょ。魔除けとかに使う。でも、何で背中……」
「別にどこに描いてもいいんだけどな……」と絆は言った。「一度描くと、契約が続いている限り洗っても消えないから。普通は目立たない場所に描くんだ。ところで点点?」
「何じゃ?」と神の使いが首を傾ける。
「式神の契約って……術者の血を使うのが普通じゃないのか?俺の時はそうした」
絆もプロの忍者の端くれなので、式神を持っている。
その時は自分の血で契約を施した。
「本来はな。じゃが、儂は見ての通りぬいぐるみの身体。儂には血の一滴も流れておらん。じゃから、天巫女の血を代わりに使わせてもらう」
「そういうことか」と絆は頷く。「それじゃあ、さっさと済ませよう。すもも、頼む」
「五芒星ってどのくらいの大きさで描けばいいの?」
すももは血が垂れないように、慎重に絆の背後に回った。
「背中一面に大きく」と点点は助言する。
「分かった」すももが絆の背後で頷く気配がする。
まさか自分が式神になるとは思ってもみなかった。
上半身裸ということもあり、妙に落ち着かない気分になる。
絆の式神の小助が、この光景を見たら、どんな反応を示すだろう。
「……っ」
思わず絆は鳥肌を立てる。
すももが血の付いた指で背中にそっと触たからだ。
生暖かい感触が伝わってきて、くすぐったい。
「動かないでね」
身体を小刻みに動かした絆を、すももが注意する。
彼女は血の付いてない方の手で絆の肩を押さえると、血の付いた指で真っすぐ五本の線を引いていく。
「よし、ご苦労じゃった」と点点は満足げに言った。
絆からは見えないが、五本の線が交差し、五芒星が完成したのだ。
「これでいいのね?」とすももは、ほっと一息を付いた。
彼女の指先は血で赤い。
「点点、傷を治してやれよ」
絆はすももを気遣って言ったのだが、神の使いはなかなか首を縦に振らなかった。
「う~む……儂の力は無制限に使える訳ではないんじゃがのう……。まあ、仕方がない。すもも、手を出すんじゃ」
そう言うと、結局、点点は彼女の手を治療した。
大した傷ではなかったので、ほんの一瞬で終わる。
すももは手を引っ込めると、点点に礼を言った。
「ありがとう。さすが点点」
力を出し渋っていた割に、点点はすももに褒められて嬉しそうだ。
「ほっほっほ……。さて、儀式の最終仕上げといこうかの。すもも、儂をおぶって有島絆の背中に近付けてくれ」
「こ、こう?」すももは小さな点点を抱えて、絆の背後に立った。
「すまぬ。それでは、ゆくぞ」
絆の背中にふさふさした毛の感触がした。
点点の手が触れたのだ。
すると、淡い光が絆の後ろから漏れ出し、部屋の中が鮮やかな色に包まれる。
「すごい。背中の星が光ってる……」
すももは驚いたように言った。
五芒星が光を放つのは儀式終了のしるしだ。
絆が以前、式神の契約を交わした時もそうだった。
だが、その光も消え、残ったのは微かな温かさだけだった。
「よし、これにて式神の契約は完了じゃ。お疲れ様」
点点はすももの手から離れて、床に軽やかに着地する。
「お疲れ様」と絆はボディーアーマーに手を伸ばす。「もう服、着ていいんだよな?しかし、何も変わった気がしないな。式神になるってこんな感じなのか……」
「お主の式神に訊いてみればよかろう?」と点点は意地悪く言う。
「もう遅いし止めておくよ」
時計を見ると、十一時半を過ぎていた。
式神の小助はとっくに眠っているだろう。
「絆君の式神?」とすももは興味津々で訊ねる。
「小助っていうんだ。狸の妖怪。今度、時間のある時に紹介するよ」
「有島絆が儂の式神になったということは、あやつは式神の式神じゃから、実質、儂の式神ということじゃな」
実は小助と点点はあまり仲がよくない。狸と狐だからだろうか。
「小助に言ったら、怒られるぞ」と絆はため息をついた。
ワイシャツのボタンを全て閉め、ネクタイを締める。
身体が火照っているので、ジャケットは着ないで手に持った。
「それじゃあ、契約も済ましたし、俺はもう帰るぞ」
「ちょっと不安だなー」とすももは恨めしげに絆を見つめる。
「大丈夫だよ。点点がそばにいるし、いざとなったら式神として飛んでくるから」
「ところで、絆君はどこに住んでるの?」すももが疑問を口にする。「歩いて行ける距離みたいだけど?」
「どこって?すももの部屋の隣だよ」
絆が何気なく答えると、すももは素っとん狂な声を上げる。
「はあ!?何それ?ストーカー?そういえば最近、誰かが引っ越してきたみたいだけど……絆君だったの?」
「人聞きの悪いことを言うなよ。護衛の都合上、仕方ないんだからさ」
実を言うと、絆は秋場プロの採用試験に合格してすぐ、内野すももの隣室に引越しを済ませていた。
十三中隊の江隅が手配してくれたのだ。
「もう!それならそうと早く言ってよ」とすももは噛みつく。「秋場社長は知ってるの?」
「知らないだろ。事務所に提出した住所は別の場所になってる。くれぐれも内密に頼む。妙な誤解を生まないためにも」
「分かった。それじゃあね」とすももは絆の背中を押す。「おやすみ」
早く帰れということらしい。
さっきまで帰るなと言っていたというのに。彼女の気の変わりようにため息を漏らす。
「ああ、明日も仕事よろしくな」
絆はそそくさと玄関で靴を履くと、逃げるように外に出て扉を閉めた。
女の子の部屋に不慣れなせいか、緊張の糸が解けて脱力する。
外は空気がひんやりとしていて、火照った身体にはちょうどよかった。
絆の部屋は三歩も歩けば着く。
扉の前で、ジャケットの腰ポケットに手を伸ばして、キーケースを探る。
だが、そこに入れたはずのケースがない。
(あれ?どこかに落としたかな?)
その時、急に視界が暗転し、どこかに吸い込まれるような不思議な感覚に陥った。
一瞬、何が起こったか分からず、なすすべもなく絆は地面に倒れる。
目を開けて、まず視界に入ったのは見覚えのあるフローリングの床。
絆は思わず顔を上げた。
そこには狐のぬいぐるみと靴下を履いた女の子の足元が見えた。
「召喚成功」
「絆君、大丈夫?忘れ物だよ」
聞いたことのある声だと思ったら、点点とすももだった。
彼女の手には絆のものと思われるキーケースが……。
絆は床から身体を起こし、二人に抗議する。
「痛てて……。忘れ物なら直接届けてくれないか?どうせ隣なんだから。わざわざ俺を召喚しなくても……」
式神になった妖怪の気持ちが、ちょっとだけ分かった気がした。
「いや」と点点は少し気まずそうに言う。「せっかくじゃから、無事に契約ができたか確認をしようと思ってな」
「ほい忘れ物」
すももは絆にケースを手渡す。
「ありがとう」と受け取ったところで絆は気付いた。「あっ……悪い。俺……靴、履いたままだ……」
絆は外に出たタイミングで召喚されたので、その時のまま室内にいた。
慌てた様子で絆は靴を脱ぐが、点点は素知らぬ顔をしている。
「なるほど。召喚する際は気を付けねばな」
「なるほどじゃないよ」と絆は神の使いに抗議する。「これから先が思いやられるよ」
二人と一匹は互いに顔を見合わすと、揃って破顔した。




