第十三話 汗が止まらない
「ほら、そこ!もたもたしない!ワンテンポ遅れてるわよ!もっと笑顔で!そんな顔でステージに立つつもり?」
ダンス講師Kibunの怒号がスタジオに響き渡る。
すももと佳叶は全身汗でびっしょりになりながら、彼の鬼のような指導についていく。
デビューしたばかりの頃は、ここに来るのも嫌なほど大変だったが、さすがに一年も経てば慣れてくる。
Kibunはカリスマ振付師とも言われ、ヘルシングの曲の多くの振付を担当し、ダンスの指導もこなしている。
筋肉質で男らしい彼の見た目からは想像もできないが……。
「向坂さん、今のステップ、よかったわよ」
Kibunは先頭で踊る彼女を褒めた。
「はい、ありがとうございます」
リーダーの来美は、Kibunからも認められるダンスの実力者だった。
軽やかなステップを踏む後ろ姿は、メンバー達の憧れの的だ。
すももと佳叶は、そんな来美の後ろで、彼女に付いて行こうと必死だ。
Kibunはレッスン場を歩き回りながら、アイドル達の振り付けを一人一人確認する。
場内は、ヘルシングの未発表曲のメロディが大音量で流れている。
タイトルすら決まっていない曲で、メンバーもほとんど何も聞かされていない。
「石川さん、もっと腕を伸ばす!」
Kibunの声は大音量の中でもよく響いた。
「はい!」
すももの隣で踊る佳叶は、長い髪を振り乱し、いつになく真剣だった。
「うん。よくなったわ」
ダンス講師に褒められ、佳叶は嬉しそうだった。
男嫌いの彼女だが、Kibunに対しては不思議と心を許している。
「内野さん、よそ見しない!」
「は、はい!」
ダンス講師の声に、我に返る。
怒られちゃったと、内心へこんだ。
数時間後、くたくたになりながら、すももは今日のレッスンを終えた。
スタジオの壁に寄りかかりながら、のどが渇いたのでスポーツドリンクを飲もうと思ったが、佳叶からもらったペットボトルは、ほとんど中身がなかった。
「お疲れ様です」
ぬっと伸びてきた手が、すももに新たなペットボトルを差し出した。
顔を上げると、有島がミネラルウォーターを持って、前屈みになっている。
彼は運動をしていないので、汗一つかいていなかった。
「あ、ありがとうございます」
礼を言いながら、素直に彼からの差し入れを受け取った。
だが、汗まみれの自分に気が付き、すももは恥ずかしくなった。
はにかんだ笑みを浮かべていると、その様子を見ていた佳叶が、嫌そうな顔をして言った。
「ちょっと、すもも!」
「な、何?」
ハッとして、すももは友人の方を振り返る。
「もう着替えて帰ろ。マネージャーさんを待たせるのも悪いでしょう?」
佳叶は意外にも有島への気遣いを見せた。
いや、単にすももが男の人と仲良くしているのが、気に入らないだけだろうか。
「急いでないんで大丈夫ですよ」と有島は慌てて言った。
「有島さん、すぐに着替えて来ますから。少し待っててください。佳叶、行こ」
「うん」と友人は頷いた。
スタジオの窓から外を見ると、すでに日が沈み、暗くなり始めていた。
帰宅途中と思われる人々が夜の街を行き交っている。
スタジオ内に残っているメンバーはまばらだ。
だが、来美は多忙にもかかわらず残り、Kibunに振付などを確認していた。
すももと佳叶は、お疲れ様でしたと声を掛けてから更衣室に向かう。
すももが服を脱いで、汗を拭いていると、隣で着替えていた佳叶が言った。
「今度出るニューシングルの選抜メンバー……来美先輩はほぼ内定かな?」
「そうなの?」
すももはまだ何も知らされていなかった。
そもそも曲名さえ、決まっていないはず。
「そうだよ」と佳叶は断定する。「だって、貴文とずっと話してたしさ……」
「貴文じゃなくてKibunさんね」とすももは一応突っ込んでおいた。
ダンス講師の本名は貴文という。芸名のKibunは貴文を音読みしたものだそうだ。
「はいはい」と佳叶は軽い調子であしらった。「そのKibunさんに、来美先輩は残って振付を見てもらってたしね」
「そっか。来美先輩は人気メンバーだし、ダンスもうまいからなー。あたしは逆に怒られちゃったけど……」
「何へこんでんの?すももらしくない」
「佳叶のことは褒めてたよね?次は選抜入りもあるんじゃないの?」
すももは同期の友人に笑いかけた。
下着姿の佳叶は、照れた様子でそんなことないよと謙遜した。
背の低いすももは、彼女の長い手足が羨ましく思えた。
着替えを済ませて、二人がスタジオを出ると、すももは有島に声を掛けた。
彼は二人に気付くと、手に持っていたスマホをスーツの胸ポケットにしまい、こちらに近付いてくる。
「それじゃあ帰りましょう。途中まで送って行きますよ」
外はすっかり暗くなっている。
確かに、そうしてもらった方が安全かもしれない。
佳叶とはスタジオから駅までは一緒に帰れる。
だが、スマホに着信があったらしく、佳叶は断ってから、その場を離れた。
しばらくして戻って来ると、用事ができたと彼女は言った。
「すもも達は先に帰ってて。私は事務所に寄ってくから。タクシー呼んじゃおっと……」
「そっか。分かった。またね佳叶」
「うん。じゃあね。それに……マネージャーさんも」
佳叶はすももに頷くと、有島に片手を振った。
男嫌いな佳叶だが、さすがに有島を無視することはなかった。
有島の方も手を上げて応える。
すももは有島と並んで駅の方に歩きながら、ふいにアッと声を出した。
すももは今、有島と二人っきりなのだ。しかも、こんな遅い時間に。
「あの……内野さん」
「な、何ですか?」
唐突に声を掛けられ、すももは飛び上がる。
「いや、ちょっと……話しておきたいことが……。ちょっと来てください」
有島はそう言うと、すももの腕を取って、駅ではなく繁華街の方へと歩いて行く。
この辺りは商業施設も多いが、ホテルなどの宿泊施設も多い。
いかがわしい照明で照らされた建物が視界に入る。
これは、もしかすると、あまりよくない展開なのでは……。




