西門
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それでは、どうぞお楽しみください。
外壁区の鐘が、細かく打ち鳴らされていた。坂の上から下りてきた重なった声は、鐘の音の下でも途切れなかった。
群れは、まだ坂の上の暗がりにいる。下りきる前に、西門の内側に集まってくる人間を、東の大通りへ流し切らなければならなかった。壁を越えてくるものが1体でもいれば、それは列の真ん中へ落ちる。
西門の内側の広場に、人が流れ込んできた。寝間着に外套を引っかけた男、子供を背負った女、荷車に年寄りを乗せて押す若い男。兵が松明を振り、東へ延びる大通りの方へ列を押し出していた。
俺は塔の石段の下で、その列を見ていた。広場の北の端に、倒れたままの荷車が1台あった。その陰に、石を積んだ井戸がある。
南の端には、西門の倉の壁。列は、倉の壁と井戸の間を抜けて大通りへ入っていく。幅は、荷車2台分しかなかった。
「レイ・クロウ」
塔の上から、ヴァルターが下りてきた。
「採石場の番小屋に、夜番が7人いた。今、坂の途中をこちらへ走っている。追われている」
「門を開けるのか」
「開ける。入れたら閉じる。お前は外へ出て、門の前で追ってくるものを止めろ。そのまま外に残って、数を減らせ」
「入れるまでは出る」
俺は言った。
「そのあとは、内側に立つ」
ヴァルターの目が、細くなった。
「取引は、城壁の外だったはずだ」
「外で追いかけて殺しても、壁を越えた奴が、あの列に落ちる。外は弩砲に任せろ。俺は、越えてきた奴を列に届かせない」
代官は、広場の列を1度だけ見た。
「門が閉じたら、内側の広場だ。列が抜けるまでだ」
「それでいい」
西門の大扉の横に、人1人がくぐれる小さな扉があった。小隊長が閂を外した。俺は頭巾を押さえて外へ出た。
坂の下に、松明が1本揺れていた。その周りに、走る人影が7つ。1人は、2人に両脇を抱えられて足を引きずっていた。
その後ろ、30歩ほどのところを、灰色の影が3つ追っていた。グールだった。魔導灯の光を嫌うように、光の端を低く走っている。距離は、夜番たちとの間で縮まり続けていた。
俺は坂を駆け下りた。すれ違いざまに、先頭の男が何か叫んだ。聞かなかった。夜番の最後尾と、グールの先頭の間に、身体を入れた。
先頭のグールが跳んだ。狙いは、足を引きずっている男の背中だった。左腕に、硬殻Lv.3を張った。跳んできた爪を殻で横へ払い、そのまま腕を回して、グールの首を抱え込んだ。
右の拳を、首の後ろへ落とした。骨の折れる手応えが、殻の上から返ってきた。
2体目と3体目は、止まらなかった。左右に分かれ、俺を回り込もうとした。俺の後ろには、夜番たちの背中がある。
右のグールの方が近かった。俺は右へ1歩出て、低く来た顔へ膝を合わせた。顎が砕け、グールの身体が泥の上で跳ねた。
左のグールが、その隙に俺の横を抜けようとした。抜けさせなかった。低く抜けようとした足首を、左手でつかんだ。
握る強さは分からない。分からなくていい相手だった。地面へ叩きつけ、頭へ拳を落とした。
3体とも、動かなくなった。城壁の上で、誰かが短く息を吐くのが聞こえた。
夜番たちは、小さな扉から1人ずつ中へ転がり込んだ。俺は最後に入った。扉が閉まり、小隊長が閂を落とした。
直後、城壁の上で弩砲が鳴った。太い矢が、坂の闇へ吸い込まれていった。遅れて、何かが倒れる重い音と、いくつもの咆哮が重なった。
足を引きずっていた男が、広場の石畳に下ろされた。40を過ぎた痩せた男だった。息はしている。だが、目の焦点が合っていなかった。
「噛まれたのか」
兵の1人が槍を構えた。男の連れが、首を振った。
「噛まれてない。番小屋の裏で、白い粉をかぶったんだ。甘い臭いの霧みたいなのが、山の方から下りてきて、そいつが最初に吸った」
俺は、男の横にしゃがんだ。首筋に、細い傷があった。枝で引っかけたような浅い傷だった。
その縁から、白い線が1本、皮膚の下を耳の方へ伸びていた。見覚えがあった。奈落の第2大層で、俺の右の脛に入ったものと同じ線だった。
男の唇が動いた。
「……たすけて」
声は、1つではなかった。男の声の後ろに、もう1つ、少しずれて同じ言葉を言う声が重なっていた。坂の上から下りてきた声と、同じずれ方だった。
兵の槍の穂先が、男の胸へ下りた。
「化け物だ。外へ出せ」
「殺すな」
俺は、槍の柄を手のひらで押さえた。握らなかった。
「この男は、まだ人間だ。縛って、ほかの者から離しておけ。傷には誰も素手で触るな。酒か灰汁があるなら、傷にかけろ。白い糸の動きが鈍る」
「化け物の言うことを――」
「言われたとおりにしろ」
小隊長の声だった。兵は、槍を引いた。
男は縛られ、倉の壁際へ運ばれていった。重なった声が、まだ何かを繰り返していた。何と言っているのかは、もう聞き取れなかった。
角笛の間隔が、短くなった。城壁の上で、兵の叫びが上がった。
「取りついた! 塔と塔の間だ!」
魔導灯の光の中で、灰色の手が城壁の縁にかかるのが見えた。1つ、2つ。長い指の爪を石の継ぎ目に差し込み、グールが壁を登ってきていた。
兵の槍が、縁から顔を出したグールを突き落とした。だが、全部には届かなかった。3つ目の影が、縁を越えた。兵の頭の上を跳び越え、そのまま内側へ落ちてきた。
落ちた先は、広場の北の端の、倒れた荷車の上だった。列まで、10歩もなかった。
俺は走った。荷車の上のグールが、首を回して列を見た。子供を背負った女が、悲鳴を上げて立ち止まった。
グールが荷車を蹴った。その前に、俺が着いた。女とグールの間に左腕を出し、硬殻Lv.3の殻で爪を受けた。
衝撃が肘から肩へ抜け、左肩の古い傷が鈍く鳴った。右の拳で、喉を打った。グールは荷車の車輪にぶつかって、動かなくなった。
「行け。止まるな」
女は、俺の顔を見なかった。子供を背負い直し、列へ走った。
城壁の上から、もう1体落ちてきた。今度は、塔の石段の途中だった。石段の上には、槍を持った兵が1人いた。若い兵だった。
落ちてきたグールと、段の上で鉢合わせになった。若い兵は槍を突き出したが、狭い石段では穂先が壁に当たった。グールの爪が、兵の肩をつかんだ。
俺は石段を5段飛ばしで上がった。グールの背中へ、下から拳を入れた。背骨の砕ける音がした。グールは若い兵の肩から爪を外し、石段を転がり落ちていった。
若い兵は、壁に背中をつけたまま座り込んでいた。肩の服が裂けていたが、血は多くなかった。
北の村で、尻もちをついた兵だった。1年前、黒淵の山道で、俺の鎖を持っていた兵だった。
「……なんで」
若い兵の声は、かすれていた。
「立て。立てるなら、上へ戻れ」
俺は、それだけ言って石段を下りた。後ろで、若い兵が立ち上がる音がした。
広場の列は、半分ほど大通りへ抜けていた。その先、大通りの角に、馬に乗った男が1人いた。白い外套を着ていた。胸に聖印が揺れていた。
男は馬の上から、列を教会の方へ導いていた。イレーネと一緒に来た男だった。
男の目が、一瞬だけ俺の方を向いた。すぐに、列へ戻った。俺の頭巾は、さっき走ったときにずれていた。直し終えたときには、男はもう角の向こうへ馬を回していた。
冷たい文字が、視界に浮かんだ。
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《討伐結果》
討伐対象:グール 5体
討伐吸収が完了しました。
格下・同種のため、力の残滓を蓄積しました。
能力値の変化はありません。
獲得可能な技能はありません。
忘却値に変化はありません。
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文字が消えた。身体の奥に、また何かが薄く沈んだ。北の村のときより、沈むものが重かった。
「閣下!」
西の端の方から、兵が1人走ってきた。松明を持っていなかった。途中で落としてきたらしい。
「鉄門が! 黒淵の道の鉄門が破られました!」
ヴァルターが、塔の下へ下りてきた。
「数は」
「分かりません! 岩壁沿いに下りてきた群れが、道を塞いでいて……門番2人は、中へ逃げました。灰色のと、背中に茸の生えた犬みたいなのが、もう通りに――」
俺は、西の端の方角を見た。城塞の西の端。外壁のさらに内側の、黒い鉄門。
1年前、俺はあの門を自分の足でくぐった。あの門は、人1人を送り出すための門だった。群れを止めるための門ではなかった。
鉄門から、通りを3本東へ入ったところに、養護院がある。ミアの部屋の窓は、西を向いていた。毎晩、あの窓から黒淵の方を見ていた。
「外壁区の西の端の住民は」
俺が聞くと、ヴァルターは短く答えた。
「鐘は鳴らした。どこまで下がったかは、分からん」
俺は、もう走り出していた。
「レイ・クロウ」
ヴァルターの声が、背中に当たった。
「列はまだ抜け切っていない」
振り返らずに答えた。
「残りは、兵で足りる。あっちには、兵がいない」
代官は、止めなかった。




