↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

94/125

開いた歪み

ご覧いただきありがとうございます!

よろしければ、この話の読み終わりにでも【ブックマークへの追加】や【★★★★★評価】をポチッと押していただけると、今後の執筆の大きなモチベーションになります!


それでは、どうぞお楽しみください。

角笛は、7度目を過ぎても止まなかった。


長く1度。間を置いて、また長く1度。雨の弱まった夜空の下で、同じ音だけが西の城壁から繰り返された。


俺は溝の縁に手をかけたまま、その音を数えていた。西から吹き下りる風は、甘い臭いを運び続けている。北の村で3体の死骸から嗅(か)いだものとは、濃さが違った。城壁の外から来ているのは、3体どころではなかった。


『この組み合わせを、あなたは知っていますか』


背中の包みの中で、シグが小さく言った。


「同じものは知らない。近いのを、1年前に1度だけ聞いた。準備室から地下牢へ戻される途中だ」


『どんな鳴り方でしたか』


「1度鳴って、間を置いて、もう1度。それで止んだ。見張り台の旗が黄色から赤に変わって、砕城犀(さいじょうさい)が監視域に入った」


『今夜は、止まりません』


「入ってくるのが、1つじゃないってことだ」


俺は溝から上がった。喉の奥に張りついた甘い臭いが、息を吸うたびに濃くなった。熟れすぎた果物と、乾いた灰。その下に、もう1つ別の甘さが薄く混じっていた。


湿った土と、傘を開いた茸(きのこ)の匂いだった。奈落(ならく)の第2大層の森で、何度も嗅(か)いだ匂いだった。


排水路の暗がりから、角灯(かくとう)の光が近づいてきた。水をかき分ける足音が1つ。光の向こうに、左の頬の火傷の跡が見えた。小隊長だった。


「探した」


小隊長は溝の底で足を止め、息を整えた。


「小屋にいなかったから、水路を上ってきた。閣下が呼んでる」


「北の村か」


「西だ。西の城壁の上へ来い、とな」


「壁の上には兵がいる」


「今夜は、壁の上の兵は外しか見ない。頭巾(ずきん)をかぶって、俺の後ろを歩け」


俺は頭巾(ずきん)を深く下ろした。背中の包みを結び直し、紐を胸の前で2度締めた。


「その荷は置いていけないのか」


「置いていけない」


小隊長は、それ以上聞かなかった。


西の城壁へ上がる石段は、塔の内側を回っていた。兵が何人も、槍と矢束を抱えて駆け上がっていった。誰も俺を見なかった。小隊長の言ったとおり、全員の目が外を向いていた。


塔の上に出ると、雨混じりの風が正面から吹きつけた。城壁の縁に、魔導灯(まどうとう)が等間隔に並んでいた。どれも外へ向けられ、白い光が城壁の下の斜面を照らしていた。刈り株の残る畑、南の採石場へ続く道、その先の暗い山の裾(すそ)。


光の届かない山の裾(すそ)で、何かが動いていた。1つではなかった。黒い点が、斜面の上から下へ、少しずつ、途切れずに増えていた。


「来たか」


塔の奥から、低い声がした。


ヴァルター・ゲルンが、城壁の縁に片手をついて立っていた。濃紺の軍服は雨で黒く濡れていた。腰の長剣は、抜きやすい位置へずらされていた。1年前、黒淵(こくえん)の鉄門の前で見たのと同じ位置だった。


「斥候(せっこう)が戻った」


ヴァルターは、振り返らずに言った。


「山道の出口から、採石場の手前まで。灰色の人の形をしたものと、四つ足のもの。少なくとも60。後ろは、まだ山から出てくる」


「着くのは」


「この速さなら、夜明けの1刻前だ」


「どう守る」


「門を閉じる。固定式弩砲(こていしきどほう)3基で、坂の途中から数を減らす。壁に取りついたものは、槍で落とす。外壁区の住民は、東へ下げる」


ヴァルターは、そこで初めて俺を見た。


「それから、お前に聞くことがある」


懐から、紐で綴(と)じた薄い帳面を出した。表紙に、見張り台の番号が書いてあった。


「見張りの日誌だ。14日前の夜明け前、西の山の中腹に白い光が見えた。見張りは流れ星と書いた」


ヴァルターは、頁(ページ)をめくった。


「10日前の夜にも、同じ場所に光。10を数えるほど続いた。見張りは雷と書いた。6日前の夜。30を数えるほど。2日前の夜。見張りが100まで数えて、数えるのをやめた」


帳面を閉じた。


「4度とも、同じ場所だ。その下の山から、今夜、あれが下りてきている」


俺は、白い光の話を聞きながら、14日前の第12層の床を思い出していた。台座の外周へ走った光。足元から立ち上がった白。


「お前は、あの光を知っているか」


「……山の上に、古い遺跡がある。俺は、そこから出てきた」


ヴァルターの眉が、わずかに動いた。


「なら、あれはお前の出口か」


「たぶん」


「たぶんで、兵は動かせん」


「確かめる。少しだけ時間をくれ」


ヴァルターは、坂の上の黒い点を見た。


「四半刻だ」


小隊長に言って、塔の石段を半分だけ下りた。踊り場の窓には板が打ちつけられ、外の風の音だけが聞こえた。上からも下からも、兵の足音が遠かった。


「シグ」


包みの口を少しだけ開けた。単眼が、最小の光で灯った。


『全部、聞いていました』


「どう思う」


『照合します。時間をください』


単眼の光が、細く明滅した。俺は窓の板の隙間から、坂の途中の黒い点を見ていた。


『見張りの日誌の最初の光は、14日前の夜明け前です。落下から推定334日。私たちが石室へ着いたのは、同じ日の夜明け前です』


「最初の光は、俺たちか」


『その可能性が高いです。転移の光を、見張りが見たと推定します』


「残りの3つは」


『338日、342日、346日です。間隔は、いずれも4日前後です。見張りの時刻の書き方では、それ以上細かくは分かりません』


「4日ごとに、開いてる」


『そして、開いている時間が、回を追うごとに長くなっています』


シグは、そこで1度だけ光を落とした。


『休み小屋の西の足跡は、337日の朝に、1日以内のものでした。334日の光のあと、山を下りてきたものと合います。北の村の3体目の足跡は、どれとも一致しませんでした。338日の光のあとで出てきたと考えると、日数が合います』


「今夜のは」


『342日と346日の光のあとで出てきたものが、山の中で集まった可能性があります』


俺は、窓の板に額をつけた。


「なぜ、4日ごとなんだ」


『第12層の転移設備の表示は、「帰還経路 待機」でした。待機は、接続を待っている状態です。石室の壁の表示は、「経路 閉――」でした』


「両側で、言ってることが違う」


『はい。出発側は待っています。到着側は閉じようとしています。ですが、到着側の台座は割れていて、応答しません。閉じる手順を、終えることができません』


「それで」


『出発側の設備は、応答がないので、一定の間隔でもう1度つなごうとしていると推定します。つなぐたびに、経路が石室の側で少しだけ開きます。失敗するたびに、試す時間を延ばしている可能性があります』


「延ばす理由は」


『あの区画は、避難転移区画でした。人を送り届けることを、優先して作られていたと推定します。届くまで、やめません』


言葉が、出なかった。


第12層で、俺は接続片を差し込み、留め具を倒した。起動する、と言ったのは俺だった。


帰るための扉だった。俺が開けて、俺が通った。通ったあとで、その扉は閉じなかった。


「……休み小屋では、推定だと言ったな」


『はい。確度は低いと言いました』


「今は」


『確度を、高に変更します。断定はしません。ですが、ほかの説明よりも、日付と足跡と表示が合います』


俺は、窓の板から額を離した。


「俺たちの転移が、呼び込んだ」


『「俺たち」と記録しますか』


「起動したのは俺だ。お前は、乗っただけだ」


『私も、乗ることを選びました。「俺たち」と記録します』


単眼の光が、ゆっくり1度明滅した。


『次の光は、推定で350日です。開いている時間は、今夜のものより長くなる可能性があります』


「2日後か」


『はい』


「閉じる方法は」


『今は、分かりません。台座は応答しませんでした』


「分かった。今は、下りてくる方だ」


俺は包みの口を閉じた。石段を上がる足は、下りたときより重くなかった。重さの向きが、決まっただけだった。


塔の上に戻ると、ヴァルターは同じ場所に立っていた。


「確かめた」


「言え」


「あの光は、俺が出てきた扉だ。閉じ切ってない。4日ごとに開いて、そのたびに、あいつらが出てくる」


ヴァルターは、しばらく何も言わなかった。雨の中で、角笛がまた鳴った。長く1度。


「次は」


「2日後だ。たぶん、今夜より長く開く」


「閉じられるのか」


「まだ分からない。分かったら、閉じる」


「お前がか」


「開けたのは俺だ」


ヴァルターの目が、俺の頭巾(ずきん)の奥で止まった。


「巡察官は、魔物がお前の帰還と関わりがあると、聖都へ報告すると言っていた」


「知ってる。本人から聞いた」


「今の話は、その報告を正しくする話だ」


「正しいなら、そうなる」


「分かって言っているのか」


「分かってる」


俺は、坂の方を見た。黒い点は、もう点ではなかった。魔導灯(まどうとう)の光の端に、灰色の手足と、低く走る四つ足の背が見え始めていた。


「出てきた分は、俺が片づける。それとは別に、今夜の話だ」


ヴァルターは、見張りの日誌を懐へ戻した。


「私が知りたいのは、今夜あれが門を越えるかどうかだ。お前がどこから出てきたかは、そのあとで数える」


「それでいい」


「それから」


代官の指が1本、立った。


「今夜のことは、兵が倒したとは報告できん。数が多すぎる」


「分かってる」


「顔を隠す理由も、朝には薄くなる」


「それも分かってる」


ヴァルターは、それ以上言わなかった。城壁の縁から手を離し、塔の下の兵へ短く命じた。


弩砲(どほう)の綱を張れ。門の閂(かんぬき)を2本とも下ろせ。外壁区の鐘を鳴らせ。


風が、また西から吹いた。灰と果物の臭いに混じって、あの湿った甘さが、さっきより少しだけ濃くなっていた。


坂の上の暗がりの奥で、何かが鳴いた。1匹の声ではなかった。いくつもの声が、少しずつずれて重なり、1つの長い音になって、雨の中を下りてきた。


人の声に、似ていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。