↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

92/125

系譜の確認

ご覧いただきありがとうございます!

よろしければ、この話の読み終わりにでも【ブックマークへの追加】や【★★★★★評価】をポチッと押していただけると、今後の執筆の大きなモチベーションになります!


それでは、どうぞお楽しみください。

「あなたは死んでいるはずです、レイ・クロウ」


焼却炉の陰から、イレーネ・ヴァイスが言った。角灯(かくとう)の細い光が、俺の足元から膝、胸、頭巾(ずきん)の縁へとゆっくり上がってきた。光は顔の手前で止まり、それ以上は照らさなかった。


見つかった。それも、俺が探しに行く前に、向こうが先に待っていた。塀の上の暗い窓の向こうでは、ミアが眠っているはずだ。ここで騒ぎになれば、あいつは目を覚ます。


「教会の記録では、あなたは1年前の冷たい雨の夜、黒淵(こくえん)へ送られ、死亡しています」


「記録が間違ってる」


「そうかもしれません」


彼女は、焼却炉の縁から手を下ろした。


「ですから、確認に来ました」


俺は、石垣と焼却炉の間の10歩の途中に立っていた。後ろには石垣、右には養護院の裏の塀、左には洗濯場へ戻る暗い道がある。


イレーネは焼却炉の向こう側、煙突の根元の陰に立っていた。雨よけの外套(がいとう)の頭巾(ずきん)は下ろしている。灰色がかった白い髪が、雨を吸って顎(あご)の線に張りついていた。腰には白銀の細剣があり、その横に、巻かれた白い鎖があった。


「見張りは」


俺が聞くと、イレーネは塀の方をちらりと見た。


「今夜は下がらせました。代官閣下の夜回りも、この時刻は通りの向こうです。あと四半刻は戻りません」


「なぜ、ここにいると分かった」


「分かってはいませんでした。来ると判断しただけです」


数珠の玉が、黒い指の間を1つ滑った。


「あなたが誰を守ろうとするのかは、1年前に確認しました。聖都を出る前から、あなたが最初に来る場所はここだと考えていました」


「俺は8日前にも来た」


「そのようですね。見張りの報告には、ありませんでしたが」


彼女は、焼却炉の根元の泥を角灯(かくとう)で照らした。雨で半分崩れた、靴ではない足の跡が残っていた。布を巻いた足の跡だった。


「今日、司祭ローデンに会いました」


イレーネは続けた。


「あなたが七柱の間へ来たことを、話してくださいました。話すまでに、祈りを3度読まれましたが」


エイベルの丸い背中が浮かんだ。聖印の縁をなぞって、3度目で止まった指。


「司祭は、あなたが別の何かではないかと疑っています。黒淵(こくえん)から、同じ顔をした何かが上がってくることがあると」


「お前もそう思うのか」


「思うかどうかは、関係ありません。確かめます」


イレーネは、外套(がいとう)の内側から小さな包みを出した。白い布を開くと、黒い鏡が現れた。掌(てのひら)ほどの大きさで、銀の縁に細かな文字が刻まれている。1年前、準備室で俺の血を落とした鏡だった。


「系譜鏡(けいふきょう)か」


俺が言うと、黒い手袋がわずかに止まった。


「名前を覚えていたのですね」


「黒淵(こくえん)の手前の詰所で、お前が言った。保管血と、極めて強い一致。直系に近い反応」


「よく覚えています」


「忘れるわけがない。あれで、落とされることが決まった」


イレーネは、鏡を焼却炉の縁に置いた。


「あなたの血を、1滴いただきます」


「断ったら」


「確認できないまま、処分を進めます。司祭の疑いも、そのまま聖都へ届きます」


俺は少し考えてから、左手の親指を差し出した。


「刺せ。今度は、棘(とげ)を抜くふりはいらない」


数珠の玉が、1つだけ速く滑った。


「……ありがとうございます」


イレーネは細い針を取り出した。俺の親指の腹に、冷たい先が当たった。痛みはほとんどなく、感覚の鈍った指から、赤い滴(しずく)がにじんだ。黒い手袋の親指がそれを拭(ぬぐ)い、そのまま鏡の上へ押し当てた。


最初は、何も起きなかった。雨が、鏡の縁を叩いていた。角灯(かくとう)の光の中で、黒い鏡面に赤い点が1つ残っていた。


それから、亀裂が走った。1年前より、速かった。血の中心から細い線が四方へ伸び、枝分かれして縁へ届く。届いた先から、鏡面の黒がさらに深い黒へ沈んでいった。


赤い点が飲み込まれるまで、10も数えなかった。イレーネは、それを最後まで見ていた。白い布をかぶせる前に、1度だけ目を閉じた。


「対象、レイ・クロウ」


声は、1年前の詰所と同じ高さだった。


「系譜の一致を、再確認しました」


「それで」


「あなたは、あなたです。1年前に黒淵(こくえん)へ送った者と同じ血の、同じ人間です。司祭の疑いは、誤りです」


彼女は鏡を包み直し、外套(がいとう)の内側へ戻した。


「司祭には、そう伝えます」


思っていなかった言葉だった。俺が本物のレイ・クロウだと、この雨の中で最初に言い切ったのは、俺を落とした女だった。


「確認が終わったなら、帰れ」


俺は言った。


「まだです」


イレーネは、焼却炉の陰から1歩だけ出た。角灯(かくとう)を持つ手を下げると、光が俺たちの間の泥を照らした。


「あなたの処分は、完了していません」


「落としただろう」


「落とすことは、手段でした。目的は、あなたを地上から隔てることです。あなたは戻りました。ですから、完了していません」


「ヴァルターみたいな言い方だな」


「代官閣下にも、今日お会いしました」


イレーネの目が、俺の外套(がいとう)の裾(すそ)へ下り、それから足元へ下りた。


「その外套(がいとう)と靴は、城塞兵の払い下げですね」


俺は答えなかった。


「代官閣下は、何もご存じないとおっしゃいました。帰ってきた空の器の話も、宿場の噂としてしか聞いていないと」


「そうか」


「それが本当かどうかは、私の報告には関係ありません。閣下もそれを分かったうえで、そうおっしゃっています」


ヴァルターは、黙っていた。約束どおりだった。そして、この女は、黙っていることごと数えていた。


「もう1つ、報告があります」


イレーネは、数珠を持つ手を胸の前で止めた。


「北の村で、4日前の夜、魔物が3体討たれました。兵が倒したと報告されています。酒場では、頭巾(ずきん)の男が1人で倒したと言われています」


俺は何も言わなかった。


「宿場の報告では、西の山で獣が騒いでいます。狼ではない足跡が見つかっています。北の村の狩人も、同じ足跡を見ています」


「それで」


「いずれも、ここ半月ほどの間のことです。あなたが山から下りてきた時期と、重なります」


イレーネは、はっきりと言った。


「私はこれを、あなたの帰還と関連があるものとして、聖都へ報告します」


雨の音が、少しだけ大きく聞こえた。俺は、休み小屋の西の乾いた沢筋を思い出していた。食われた鹿と、西の上から下りてきた足跡、石室の壁の欠けた文字。シグが言った推定と、俺が、自分のせいかもしれないと思ったこと。


「関係あるかもしれない」


俺は言った。数珠の上で、イレーネの指が止まった。


「否定しないのですか」


「分からないことを、違うとは言えない」


「自分が災厄を連れてきたと、認めるのですか」


「認めるんじゃない。分からないと言ってる」


背中の包みの重さを感じた。中の単眼は、光を落としたまま動かなかった。


「分からないから、調べてる。出てきたのは、俺が倒す。それだけだ」


イレーネは、しばらく黙っていた。


「発言は記録しました」


1年前、告解室で聞いたのと同じ言葉だった。同じ声だった。


「お前の記録には、砕城犀(さいじょうさい)の時刻も書いてあるのか」


俺は言った。


「あれは、俺が落ちる前に死んでた。角笛を、足場の上で聞いた」


「知っています。私も、そこにいました」


「なら、俺を落とす理由はなかった」


「理由はありました。1年前にも申し上げました。あの夜に必要だったのは、災厄を鎮めることではありません。あなたを地上から隔てることでした」


「生贄(いけにえ)は嘘だったと、認めるんだな」


「儀式の意味について、私は答える立場にありません」


彼女の声は、少しも揺れなかった。


「ミアは」


俺は聞いた。


「あいつに、何をする」


「今は、何もしていません。今夜見張りを下げたのは、彼女を起こさないためでもあります」


イレーネは、塀の上の暗い窓を見上げた。


「1年前、あの娘は兵士3人がかりで山道から引き離されました。その後も、広場で司祭に問い、代官閣下に問いました。記録には、抗議した者として残っています」


「知ってる」


「今のところ、それだけです」


「今のところ」


「あなたが、今夜ここで私と来るなら、彼女は抗議した娘のままです。帰ってきた空の器に会った者には、なりません」


8日前に水門小屋で自分が言ったことを思い出した。会わなければ、抗議した娘のままだ。同じ言葉を、この女の口から聞くとは思わなかった。


「来なかったら」


「決めるのは、私ではありません。教会です」


「お前が報告するんだろう」


「報告は、事実を並べるだけです」


数珠の玉が、また1つ滑った。


「どこへ連れていく」


「聖都の指示が来るまで、この城塞の教会の地下に留まっていただきます。処分の方法は、指示に従います」


「処分」


「はい」


「俺を、人として殺すのか。それとも、また落とすのか」


「あなたを人として扱います。1年前もそうしました。刃物と大きな石は止め、水を飲ませ、歩けるかを確かめました」


「落とすために、だ」


「はい」


即答だった。


俺は、頭巾(ずきん)を後ろへ落とした。雨が、伸びた髪を伝って首筋へ入った。角灯(かくとう)の光が、今度は俺の顔まで届いた。イレーネの目が、額の古い傷と、こけた頬の上を動いた。


「行かない」


俺は言った。


「待ってろと言った相手のところへ、帰ってきた。まだ、会ってもいない。もう1度落ちる気はない」


「会わずに、ここに立っているのですね」


「そうだ」


「なぜですか」


「会えば、あいつが使われる。お前みたいな奴に」


イレーネは、少しの間、何も言わなかった。それから、角灯(かくとう)を焼却炉の縁に置いた。


黒い手袋が、腰の白い鎖へ伸びた。巻かれていた鎖が、1巻きずつほどけて、彼女の左手の中で垂れた。雨に濡れた白い輪が、角灯(かくとう)の光を細く返した。輪の1つ1つに、見たことのない細かな文字が刻まれていた。


「この鎖は、封技鎖(ふうぎさ)といいます」


イレーネは、鎖の先を指に1度巻いた。


「触れた者の技能を封じます。あなたが黒淵(こくえん)の底で何を得たにせよ、これが触れれば使えなくなります」


「なぜ教える」


「抵抗は無意味だと、先に知っていただいた方が、互いに傷が少ないからです」


右手が、細剣の柄にかかった。抜かなかった。


「最後に、もう1度だけお聞きします、レイ・クロウ」


雨の中で、彼女の声だけが平らだった。


「私と、来ていただけますか」


俺は、塀の上の暗い窓を1度だけ見た。それから、イレーネを見た。


「行かない」


白い鎖が、角灯(かくとう)の光の中で、音もなく持ち上がった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。