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灰の下を這うもの

ご覧いただきありがとうございます!

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それでは、どうぞお楽しみください。

忘都(ぼうと)へ向かう線は、途中の1か所だけ、炭で黒く塗り潰されていた。


探索隊の簡易地図だった。石路を抜けた先の広い空間で、脇に小さく『灰』と書かれている。その上に、別の筆跡が重なっていた。


『壁沿いを進め。』


『止まるな。』


『揺らすな。』


灰の下にいる、刃の通らないもの。帳面にあった警告と同じ場所だろう。地図のどこを探しても、そこを避ける線は描かれていなかった。


壊れた水筒は、底の亀裂へ布を押し込み、上から細い布を何重にも巻いた。完全には塞がらず、湧き水を入れて野営跡まで戻る間に半分が漏れた。俺は漏れる側を上にして、水筒を腰へ結んだ。


炭筆と2冊の帳面は革袋へ入れ、白い衣の内側へ固定した。探索隊の遺体からは、石の鏃(やじり)を2つ借りた。1つは布を巻いて握れるようにし、もう1つは予備として袋へ入れる。刃物より短く、先端も欠けている。それでも、今の俺が持てる刃はそれだけだった。


石室の奥の、半分崩れた戸口から、3本線の道標が先へ続いていた。暗視(あんし)を使い、俺は通路へ入った。


石畳は緩やかに下っていた。右側は途中から壁がなくなり、底の見えない亀裂へ変わる。小石を落とすと何かへ当たる音が何度か返り、最後の音は聞こえなかった。


俺は左壁へ身体を寄せ、1人分ほどの足場を進んだ。右足はつま先から静かに置く。布で固定していても、体重が乗るたびに足首から痛みが上がってきた。左肩は幅広い布で吊(つ)っているが、胸元の革袋に触れるだけで奥まで響いた。


速くは歩けない。だから、先に見る。10歩ごとに止まり、暗視(あんし)で前と足元を確かめた。止まるといっても、身体を完全には静めなかった。『止まるな』が何を意味するのか、まだ分からなかったからだ。


途中に、折れた槍が落ちていた。柄は腐り、穂先(ほさき)だけが残っている。拾おうとしゃがみかけて、手を止めた。


穂先(ほさき)の周りだけ、石畳が割れていた。下から押し上げられたように、4枚の石が外側へ傾いている。灰はない。割れ目には、黒く乾いた血がこびりついていた。


灰のない場所でも、下から来る。俺は槍に触れず、その横を通った。


通路の終わりに、巨大な空間が開いていた。天井は暗視(あんし)でも届かず、左右の壁も灰色の闇へ溶けている。床には膝近くまで灰が積もり、崩れた石柱が何本も立っていた。左壁沿いだけに細い縁があり、灰が少し浅い。3本線もそちらへ続いていた。


入口で、水筒の水を一口だけ飲んだ。革と錆(さび)の臭いが移っていたが、それ以上の異変はない。空の腹へ水が落ち、胃が縮んだ。


灰の上へ小石を投げた。2歩先へ落ち、灰が小さく沈んだ。何も起きない。5歩先へ投げると、乾いた音を立てて表面を転がった。やはり何も起きなかった。


小石程度では、何も来ない。俺は鎖の端を持ち、左壁沿いへ足を入れた。


灰は脛(すね)の下まで沈み、底には平らな石があった。足を持ち上げるたび、灰が音もなく崩れて布へまとわりつく。右足を引き抜くたびに、足首へ抵抗がかかった。


壁から2歩以内を保ち、できるだけ硬い床を選んで進む。左は壁、右は灰の平地。後ろの石路までは15歩ほどだった。


半分まで進んだとき、足元で何かが擦(す)れた。止まらずに、右足を前へ出した。


今度は、後ろで同じ音がした。灰が沈んだ。


俺は振り返らず、近くの石柱へ鎖を投げた。輪が柱の欠けた部分へ引っかかる。鎖を頼りに身体を支え、足を速めた。


背後から、灰が押し寄せてきた。俺は鎖を引き、身体を前へ投げ出した。


さっきまで右足があった場所から、黒い塊が突き上がった。


灰が天井へ噴き上がった。硬い頭部が石床を割り、左右に大きな顎(あご)が開いている。身体の幅は俺の胴より太く、黒い外殻が節ごとに重なっていた。目は見えない。灰の中から、半身だけを出していた。


顎(あご)が閉じ、石を噛(か)み砕く音がした。


俺は鎖を離して壁際へ転がった。左肩を床へ打たないよう右腕で受けたが、右足首がひねられ、視界が一瞬白くなった。


黒いものは、すぐ灰へ潜った。穴は残らない。落ちてきた灰が、割れた石を覆っていく。


目がない。それでも、俺の足があった場所へ正確に来た。『止まるな』『揺らすな』。灰や床の震えで、獲物を探しているのかもしれない。


俺は片膝をついたまま、鎖をゆっくり手元へ戻した。動けば伝わる。止まっても、さっきの位置は知られている。


灰の下で、硬いものが擦(す)れる音がした。正面ではない。左の壁際だ。俺と壁の間へ回り込もうとしている。


確かめるなら、今しかない。俺は立ち上がり、灰の広い右側へ1歩出た。灰の盛り上がりが、左から近づいてくる。3歩。2歩。


俺は鎖を、後方の石柱へ力いっぱい打ちつけた。


金属音が広い空間に響いた。灰の筋が急に向きを変え、石柱へ走った。次の瞬間、柱の根元から黒い頭が飛び出し、顎(あご)が石へ食い込んだ。


音のした方へ行った。やはり、震えだ。


俺は出口へ向かって走った。


右足に力が入らない。1歩目で身体が傾き、2歩目で灰へ膝をつきかけた。鎖を前の柱へ投げ、腕で身体を引き寄せる。


背後で石柱が倒れた。重い音が床を揺らし、灰の下の筋が、倒れた柱から俺へ向きを変えた。速い。出口までは、まだ20歩以上ある。


俺は近くの石片を拾い、右へ投げた。灰へ落ちる音は小さい。筋は一瞬揺れただけで、こちらへ進み続けた。


小さな音では騙せない。あれは、身体の重さが灰を押す揺れを追っている。


騙すなら、もっと大きく揺らすしかない。


前方に、腰ほどの高さで折れた柱があった。上には長い石材が斜めに乗り、壁へ寄りかかっている。


俺は柱の脇まで進み、鎖を斜めの石材へ回して、鉄輪を欠けた角へ引っかけた。灰の筋は8歩後ろまで来ていた。


右手で引いた。石材は動かない。


足を柱の根元へかけ、背中を壁へ押しつけた。左肩は使えない。右腕と左脚だけで引くと、鎖が張って手首へ食い込んだ。灰の筋が5歩まで近づき、石材の下から砂が落ちた。


もう一度引いた。右足首が床へ触れ、力が抜けかける。歯を食いしばり、左脚を伸ばした。


石材が壁から離れた。俺は鎖を放した。


長い石が灰の上へ倒れ、床が大きく揺れた。灰が波のように広がる。


黒いものは、俺の手前で向きを変えた。倒れた石材の中央へ潜り込み、下から突き上げる。石材は1度浮き、真ん中から折れた。


外殻には、傷一つついていなかった。俺の胴より太い石が折れても、殻には何も残らない。鎖で叩いても、石を落としても、あれは割れない。


今のうちに離れる。俺は鎖を拾い、出口へ向かった。残り10歩。石路の入口が見えた。


その手前で、灰が盛り上がった。黒い頭が正面に現れた。回り込まれた。


黒いものは顎(あご)を開き、灰を左右へ押しのけていた。頭部の外殻は丸く、鎖を当てても滑る形をしている。後ろへ下がれば、灰の広い場所へ戻される。


俺は石の鏃(やじり)を右手に持ち、左壁へ寄った。鎖の端を床へ置き、残りを壁際へ長く伸ばす。倒すためではない。抜けるための隙を作るためだ。


黒いものが頭を低くし、外殻の前端を灰へ沈めた。今度は下からではなく、真っ直ぐ来る。灰を押す音が大きくなる。6歩。顎(あご)の先が石を弾いた。


俺は動かなかった。4歩。2歩。


顎(あご)が開く直前、頭部がわずかに上がった。その下に、外殻の重ならない薄い部分が見えた。


鏃(やじり)を突き出した。先端は柔らかいものへ沈んだ。だが、浅い。黒いものが頭を振り、鏃(やじり)は指から飛んでいった。


俺も壁へ叩きつけられた。右肩と背中が石に当たり、息が抜けた。


顎(あご)が戻ってくる。俺は床の鎖を引いた。鉄輪が黒い頭の横を滑り、その後ろの細い脚へ絡んだ。灰の中で、節のある脚が何本も動くのが見えた。


鎖を壁側へ強く引いた。倒せはしない。だが、黒い身体がわずかに傾き、顎(あご)の向きが壁の方へずれた。


俺はその横を抜けた。外殻が脇腹を擦(こす)り、白い衣が裂けて、皮膚に熱い線が走った。腕を吊(つ)っていた布が殻の縁に引っかかり、身体が止まりかける。俺は布を右手で引きちぎった。


石路へ転がり込んだ。背後で黒い頭が壁へ衝突し、石が砕けて、細い通路全体が揺れた。


立とうとした。右足が動かない。膝から下へ力を入れると、足首の奥に鋭い痛みが走った。捻挫(ねんざ)が悪化している。


右足を引きずり、壁へ手をついて進んだ。地図では、この先に分かれ道がある。10歩ほど先で、石路は左右へ分かれていた。3本線は左へ続いている。右には道標がなく、入口も半分崩れて、人が立って歩ける高さはない。


後ろで石が割れた。振り返ると、黒い頭が石路へ押し入ってきていた。左右の壁が外殻を削っているが、殻は割れない。顎(あご)が床を噛(か)み、身体を前へ引いている。


左は地図の道だ。だが幅は同じまま続き、足を引きずる俺より、壁を砕いて進むあれの方が速い。


俺は右を選んだ。


腰を落として、崩れた入口へ潜った。最初は四つん這(ば)いで進めたが、すぐに天井が低くなった。左腕を胸へ固定し、右肘で身体を引きずる。革袋が岩へ擦(す)れ、俺は胸と床の間へ手を入れて帳面を守った。


後ろで大きな音がした。石を噛(か)む音が続いたが、穴へ頭は入ってこなかった。


それでも、止まらずに這(は)った。灰の下を進めるなら、別の場所から回り込める。


這(は)いながら、さっき見たものを順に並べた。あれは目ではなく、灰と床の震えで獲物を追う。小石の音では騙せないが、石材が倒れる揺れには向きを変えた。殻は、石材が折れても傷一つつかない。


だが、頭を上げた一瞬だけ、殻の重ならない場所があった。鏃(やじり)の先は、確かにそこへ沈んだ。


浅かっただけだ。刃が通る場所は、ある。


残った鏃(やじり)は、袋の中の1つだけだった。


穴は下へ傾き、途中で急に床がなくなった。右手をつく場所を失い、身体が前へ滑った。


短い斜面を落ちた。背中が床に当たり、革袋を抱えたまま1回転する。最後に右足が岩へぶつかり、声を抑えられなかった。


「っ……」


しばらく息ができなかった。


暗い。暗視(あんし)は使ったままのはずだった。だが周囲はさっきまでより黒く、灰色の輪郭がほとんど見えない。目を閉じたのかと思い、瞼(まぶた)に触れた。開いている。


ゆっくり身体を起こした。天井も壁も見えない。床だけが平らで、灰ではなく黒い石に覆われている。背後の斜面は高く、今の足では登れそうになかった。


外殻の擦(す)れる音は聞こえない。代わりに、低い振動が床から伝わってきた。長く続き、止まり、また始まる。呼吸に似ていた。灰の下のあれよりも、ずっと大きい。


俺は鎖を手首へ巻き、震えの来る方を見た。


何もない闇の中に、細い赤い線が浮かんだ。最初は、壁の亀裂だと思った。


線が上下へ開いた。黒い瞳が現れた。


俺の身体より大きな眼が、闇の奥でゆっくりと開いた。

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