数えられる力
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それでは、どうぞお楽しみください。
東の通用門の小窓は、俺が2度叩く前に開いた。
番兵の顔の半分が、角灯の光の中に浮かんだ。若くはない男だった。男は俺の頭巾を見て、すぐに目を落とした。
「……話は聞いてる」
閂の外れる音がした。扉は、人1人が横になって通れる幅だけ開いた。
番兵は扉の陰に立ったまま、角灯を腕いっぱいに伸ばして足元を照らした。自分の身体は、扉の厚みの向こうに残していた。
「通れ」
俺が通り過ぎるまで、男は1度も顔を上げなかった。背中で扉が閉まり、閂が落ちた。いつもより早い落とし方だった。
夜明けまで、まだ間があった。村に残った兵たちは、朝には城塞へ戻ってくる。そのうちの1人は、俺の顔を見て、黒淵の山道で鎖を持っていたと言った。
小隊長がその場で黙らせても、兵舎に戻った兵の口までは閉じておけない。聖都の執行者は、急げば4日で着く。3体目の、あの長い足がどこから下りてきたのかも、まだ分からなかった。
城壁の内側の道には誰もいなかった。俺は職人区の裏を抜け、染物屋の裏の溝へ下りた。膝下の水は冷たく、青い筋の匂いがした。
水門小屋の扉を肩で押すと、床の隅で単眼が灯った。
『おかえりなさい。夜明けの鐘まで、推定で半刻あります』
「間に合ったな」
『喋ってもよいですか』
「いい。全部話す」
俺は外套を脱いで床に座り、靴を脱いだ。靴底に、北の村の土と麦の刈り株のくずが挟まっていた。
村に入る前の臭い。戸口のグール。柵から出てきた小さい方と、尻もちをついた若い兵。林の縁の3体目と、角灯を持った男の子。
順番どおりに話した。シグは途中で1度も口を挟まなかった。接続棒の先で、床の土に短い線を引いていくだけだった。
「3体とも、1度ずつしか打ってない」
『討伐結果は出ましたか』
「出た。グール、3体。残滓がたまっただけだ。何も変わってない」
『記録しました』
線が1本増えた。
「それから、足だ」
俺は死骸の前でしゃがんだときのことを話した。大きい方と小さい方は、休み小屋の西で見た足跡と同じ形だった。3体目だけ、どちらよりも長かった。
シグの単眼が、しばらく土の線の上で止まっていた。
『休み小屋の西の乾いた沢筋で記録した足跡は、2種類です。3体目の足は、どちらとも一致しません』
「そうだ」
『推定を述べてもよいですか』
「言え」
『施設跡の方角から下りてきたのは、2体だけではない可能性があります』
「推定のまま書いておけ」
『推定のまま記録します』
シグは、それ以上何も足さなかった。俺も足さなかった。足せば、休み小屋でシグに言わせたことを、もう1度自分で言うことになる。
『男の子は、あなたに何か言いましたか』
少しして、シグが聞いた。
「何も」
『母親は』
「子供を抱えて、2歩下がった。それから家に入って、閂を落とした」
『礼を言われませんでしたか』
「言われなかった」
『言われたかったのですか』
「違う」
俺は少し考えた。
「……ただ、閂の落ちる音だけ、よく覚えてる」
シグは返事をしなかった。代わりに、土に引いた線の横へ、小さな点を1つ打った。
「それは何だ」
『あなたが、今の返事をするまでにかかった時間です』
「記録しなくていい」
『では、点だけにしておきます』
遠くで、朝の鐘が鳴り始めた。俺は数えながら横になった。7つ目が鳴り終わる前に、眠っていた。
日没の少し前、扉が2度叩かれた。
開けると、立っていたのは年配の伝令兵ではなかった。左の頬に火傷の跡のある男。昨夜の小隊長だった。
小隊長は、中へ入らなかった。石段のいちばん上に立ったまま、布の包みを1つと、編んだ籠を1つ、床の端へ置いた。
「閣下から。黒パン4つと干し肉だ」
「その籠は」
「村からだ」
籠には、卵が6つと、小さな麦の袋が入っていた。卵の1つには、まだ藁がついていた。
「朝、北の門に村の年寄りが2人来た。頭巾の人に、と言って、これを置いていった」
「頭巾の人」
「名前は知らないからな」
小隊長は、扉の枠に肩を預けた。
「それから、門番にこう言っていったそうだ。また出たら、あの人を寄越してくれ。それから、昼には村に入らないでくれ、とな」
俺は籠を見た。卵は、6つとも割れずに並んでいた。割れないように、麦の袋を下に敷いてあった。
「分かった」
「分かったのか」
「来てほしいのは夜だけだ。昼は顔が見える。それだけの話だ」
小隊長は、何か言いかけてやめた。
「もう1つある。兵のことだ」
小隊長は、自分の靴の先を見ながら言った。
「昨夜の4人のうち、2人が、次は外してくれと言ってきた。1人は、槍の若いのだ」
「鎖を持ってた奴か」
「そうだ。あいつは、お前の後ろを歩くくらいなら城壁の上で一晩立っている方がいいと言った」
「そうさせてやれ」
「そうなった。代わりに、行かせてくれと言ってきた奴が1人いる。昨夜は門にいた奴だ。兵舎で話を聞いたらしい」
「何のために」
「お前の後ろなら死なないからだ、と言ってた」
小隊長は、少しだけ口の端を動かした。笑ったのかどうかは分からなかった。
「怖いから外れたい奴と、死にたくないから行きたい奴がいる。どっちも、同じものを見て言ってる」
「お前はどっちだ」
「俺は、閣下に行けと言われたら行く」
答えになっていなかった。それでも、嘘ではないように聞こえた。
「閣下は、次からお前につける兵を3人に減らすそうだ」
「なぜだ」
「5人つけても、4人は見ているだけだからだと。報告を書くのと、道を塞ぐのと、帰りの門を開けるのに3人いれば足りる」
俺は、ヴァルターの机の上の紙を思い出した。あの男は、兵の数も、パンの数も、同じ紙に書くのだろう。
「もう1つ、閣下の言葉だ。そのまま伝えろと言われた」
小隊長は、少しだけ背を伸ばした。
「グール3体。兵の損害なし。費用は黒パン4つと干し肉1本。……安い兵だ、と」
「そうか」
「怒らないのか」
「1年前は、1人で数万を守る手段だと言われた。パン4つなら、まだ数え方が細かい」
小隊長は、今度ははっきり黙った。
「兵は、もう知ってるのか」
俺が聞くと、小隊長は石段の下の暗い水を見た。
「兵舎の中では、誰も兵が倒したとは思ってない。昨夜の4人は黙ってる。黙ってるのが、かえって話になる」
「外は」
「兵にも家族がいる。女房に話した奴が、1人か2人はいるだろう。酒場でも、北の村に頭巾の男が出たという話は出てる。顔の話まではまだだ」
「まだ、か」
「まだだ」
小隊長は、扉の枠から肩を離した。
「俺は、倒したのが誰でも構わん。あの村の子供は生きてる。それで足りる」
「それなら、なぜ中に入らない」
小隊長は、答えずに石段を1段下りた。それから、振り返らずに言った。
「足りることと、同じ部屋に座れることは、別だ」
足音が、水路の暗がりへ遠ざかっていった。
扉を閉めると、包みの口からシグが単眼を出した。
『今の人物は、昨夜の小隊長ですか』
「そうだ。聞いてたか」
『全部聞いていました。記録してよいですか』
「全部か」
『あなたが「分かった」と言うまでの時間も含めて、全部です』
「好きにしろ」
俺は籠の卵を1つ取り、手のひらに載せた。握らないように、指を開いたままにした。殻の冷たさだけが、手のひらの真ん中に残った。
1つを、石の床の上で割った。殻が思ったより簡単に砕け、中身が指の間から落ちかけた。慌てて手を傾け、どうにか口へ流し込んだ。
『毒分解は、反応しましたか』
「しない。ただの卵だ」
『味は』
「分からない。卵の味を、比べるほど食ったことがない」
それは、なくしたせいではなかった。養護院で、卵は病気の子供のものだった。
胸元から記録帳を出した。床の隅の、平らな石の上に広げる。シグが単眼の光を紙の上へ落とした。炭筆を当てる。
『落下から推定345日。北の村でグールを3体倒した。1体の足跡は、休み小屋の西のものと違う』
『村の者は、卵と麦を置いていった。また出たら寄越せと言った。昼には村に入るなと言った』
『兵は俺から4歩離れて歩く。次は外してくれと言った兵がいる。死なないから行きたいと言った兵もいる』
『ヴァルターは、俺をパン4つでグール3体を倒す兵として数えている』
そこで、炭筆が止まった。シグは何も言わなかった。光だけが、紙の上で待っていた。
俺は、1年前のことを思い出していた。広場の石。行列の泥。額に当たって、白く弾けた視界。
今日は、誰も石を投げなかった。
『1年前、俺は石を投げられた』
『今は、誰も石を投げない。近づかないで、置いていく』
『怖がられて、数えられて、使われている。それが、今の地上での俺の場所だ』
書き終えて、炭筆を置いた。字は傾いていなかった。
『記録しました』
シグが言った。
『1つ、質問してもよいですか』
「何だ」
『あなたの場所を、私の記録ではどう分類しますか。兵ですか。住民ですか。それとも、それ以外ですか』
俺は、籠の中の残りの卵を数えた。5つ。
「分類しなくていい」
『では、何を記録しますか』
「起きたことだけでいい。誰が何を置いていって、誰が何歩離れたか。それだけ書いておけば、俺がどこにいたかは、後で読めば分かる」
『後で読むのは、誰ですか』
すぐには答えられなかった。
「俺か。……俺じゃなければ、ミアだ」
シグの単眼が、ゆっくり1度だけ明滅した。
『記録しました』
床板の下で、水が途切れずに流れていた。籠の麦の袋の上で、卵が5つ、割れずに並んでいた。
聖都の執行者は、急げば、あと3日で着く。




