残された記録
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それでは、どうぞお楽しみください。
朝の鐘が7つ鳴り終わる前に、鉱石置き場には男たちが集まっていた。
昨日の昼にパンを食べてから、何も口に入れていない。荷の中に食べる物はなく、金は1枚もない。夜には、あの夜の順番を書いた紙を探しに行くつもりだった。その前に、今日の分を稼がなければ動けない。
明るいうちに人の中へ出れば、顔を見られる。それでも、昼までの荷担ぎなら名前は聞かれないはずだった。
鉱石置き場は、東の門の内側、城壁に沿った広い土の空き地だった。荷車が何台も並び、黒い鉱石を詰めた袋が壁のように積まれている。その前で、帳面を持った太った男が、集まった男たちを指で数えていた。
俺はその列の端に立った。顔と腕には、空き地の隅の黒い粉を塗ってきた。周りの男たちも、みんな同じ色をしている。前の日の粉を落とさずに来た者ばかりだった。
「そこの。お前も担ぐのか」
太った男が、俺を指した。
「担ぐ」
「足は」
男の目が、布を巻いた俺の足に落ちた。
「歩ける」
「荷車まで50歩だ。袋1つ落としたら、その分は払わん。昼までで銅貨6枚」
「分かった」
男は帳面に線を1本引いた。名前は聞かれなかった。
袋は、1つで子供1人分ほどの重さがあった。両腕で抱えると、重さはほとんど感じなかった。それが困った。隣の男は、同じ袋を肩に担いで、歯を食いしばって歩いている。
俺は袋を肩へ移し、背を少し丸めた。隣の男と同じ速さで歩いた。
握らないように気をつけた。麻の袋の口を、指先で引っかけるだけにする。宿場で斧の柄を割ったことを思い出した。ここで袋を裂けば、鉱石が地面に散って、全員がこちらを見る。
3往復目で、袋の口の縄が指の中で切れかけた。俺は立ち止まり、袋を下から抱え直した。縄は細い繊維を2本残して、どうにか持った。
「おい、止まるな」
後ろの男が言った。
「悪い」
俺はまた歩いた。
昼の鐘で、太った男が帳面を閉じた。銅貨を6枚、手のひらに落とされた。薄く、縁の欠けた銅貨だった。
東の門の近くの屋台で、黒パンを2つ買った。1つ3枚。屋台の女は、俺の顔を見なかった。黒い粉を塗った顔は、ここでは誰の顔でもない。
空き地の端に座って、1つをちぎって食べた。隣に座った男たちが、水筒を回しながら話していた。
「あの外殻、結局どこへ売ったんだ」
「代官様が決めるんだろう。去年から西門の倉に積んだままだ」
「教会が寄越せと言ってるって話だぜ」
「魔物の殻を、教会が何に使う」
「知るかよ。あれが倒れたのは神様のおかげだから、神様の取り分だとでも言うんじゃねえか」
男たちは笑った。1人だけ、笑わずに黒パンをかじっていた。
「去年、俺は採石場にいた」
笑っていた男たちが、少し黙った。
「弩砲の矢を運んだ。夜通しだ。……神様の取り分なら、俺の肩の分も払ってほしいね」
誰も答えなかった。男は残りのパンを口へ押し込み、立ち上がった。
水門小屋へ戻ると、シグは床の隅で単眼を上げた。
『時刻どおりです。食料を得ましたか』
「黒パンが1つ残ってる。銅貨はもうない」
俺は残りのパンを布に包み、荷の横へ置いた。
「今夜、本営へ行く」
『本営とは何ですか』
「西門の内側にある、城塞の役所だ。代官が兵を動かす場所だ。北の棟の半分が地面の下に埋まってて、そこに紙が積んである」
『なぜ知っているのですか』
「冬になると、養護院の年長の子供が、本営の厨房へ薪を運んだ。北の棟の裏を通る。地面すれすれの窓があって、中から紙の匂いがした。年寄りの書き役が、いつも何か書いてた」
『その部屋に、何が記録されていると推定しますか』
俺は、1年前の詰所を思い出した。椅子に縛られた俺の前で、兵士たちは窓へ寄っては旗の色を確かめていた。第二杭列で止まった。外殻に2本刺さったらしい。旗が替わるたび、誰かが何かを書き留めていた。
それから、ヴァルターの声だ。
「軍が外殻を破るまで、あと半刻もかからない」
あの男は、時刻で話していた。祈りの言葉ではなかった。
「兵は、戦いを全部書き残す。いつ撃ったか、いつ当たったか、いつ倒れたか」
『つまり』
「俺が落とされたのが、砕城犀が死んだ後だったかどうか。それが書いてある」
シグの単眼が、ゆっくり明滅した。
『あなたの記録帳にも、角笛の順番が書かれています』
「だから、お前を連れていく。比べるのはお前の方が早い」
本営の北の棟は、夜になると明かりが1つもなかった。表の門には兵が2人いた。裏は、厨房の勝手口と、積まれた薪の山だけだった。1年前と同じだった。
地面すれすれの窓は、4つ並んでいた。どれも木の窓板が閉まっている。俺は薪の山の陰から、窓の前まで這った。
窓板と枠の間に、指1本分の隙間があった。暗視Lv.3で中をのぞくと、内側に鉄の掛け金が1本、横に渡されているのが見えた。
荷の中から、白い固定槍の欠片を出した。奈落から持ってきた、指ほどの長さの白い破片だった。細い方の端を隙間へ差し込み、掛け金の下へ当てて、ゆっくり持ち上げる。
掛け金が、受け金から外れた。音はほとんどしなかった。
窓板を開け、先に包みを中へ下ろした。それから、肩を斜めにして身体を滑り込ませた。
中は、紙と埃と、古い蝋の匂いがした。暗視Lv.3の灰色の中に、天井まで届く棚が何列も並んでいた。棚には、革で綴じた帳面と、紐でくくった紙の束が詰まっている。
「出ていい。明かりは小さくしろ」
包みの口を開けると、シグが3本の脚で床へ下りた。単眼の光を最小まで落とし、俺が上から布をかぶせる。布越しの弱い光が、足元の床だけを丸く照らした。
『文字は読めますか』
「暗視だと、字の形が薄い。お前の光の方がいい」
棚の端には木の札が下がっていて、年と、中身の種類が書いてあった。糧食、武具、城壁修繕。その先の棚の札で、俺は手を止めた。
『守備隊 戦闘日誌』
去年の数字が書かれた棚は、ほかより帳面が少なかった。代わりに、1冊だけ、厚い帳面が木箱に入れられていた。箱の蓋には、赤い封蝋が押してある。
封蝋は、割られていなかった。箱の横に、紙が1枚差し込まれていた。
『持ち出し禁止。閲覧は代官の許可による ヴァルター・ゲルン』
「封を割れば、気づかれる」
『帳面は、箱の中だけですか』
シグの単眼が、箱の周りを照らした。箱の後ろの棚に、紐でくくった薄い紙の束が挟まっていた。束の一番上に、同じ筆跡で書いてある。
『戦闘日誌 写し 第2』
「写しがある」
俺は紐をほどかずに、束の端をめくった。
最初の数枚は、魔物が監視域へ入った日の記録だった。『斥候の報告。西門から約9キロ。進路を南へ変更。囮の鉱石を並べる』。めくるたびに、紙の端が乾いた音を立てた。
最後の方の1枚で、手が止まった。日付は、俺が落とされた日だった。
『日没。採石場南、囮へ誘導完了。固定式弩砲3基、射撃開始』
『日没後半刻。砕城犀、第二杭列にて停止。外殻へ矢2本』
『日没後1刻。金位魔術師、東側より攻撃。外殻に亀裂』
『日没後1刻半。外殻破壊。角笛、短2、長1』
『日没後2刻。砕城犀、討伐確認。角笛、長1、短7』
その下に、1行空けて、別の筆跡で書かれていた。
『日没後2刻過ぎ。西端、空器投下完了。司祭ローデン、巡察官立会い』
さらにその下に、ヴァルターの字があった。
『空器投下は教会の求めによる。守備隊の作戦に含まず』
俺は、しばらく紙から目を離せなかった。
『レイ。記録帳を開いてください』
シグの声で、手が動いた。胸元から記録帳を出し、奈落で書いた頁を探す。落ちる前の夜のことを、覚えているうちにと思って書いた頁だった。
『角笛。短く2度、長く1度。外殻が破れた。そのあと、足場の上で、長く1度、短く7度。ヴァルターが、砕城犀、討伐と言った。そのあとで、落とされた』
シグは、2つの紙を交互に照らした。
『角笛の組み合わせが、2つとも一致します。順番も一致します』
「時刻は」
『外殻破壊が日没後1刻半。討伐確認が日没後2刻。空器投下は日没後2刻過ぎ。あなたが落とされたのは、討伐確認の後です』
「半刻」
『はい。あなたが詰所で聞いた「あと半刻もかからない」は、日誌の外殻破壊の時刻と合います』
俺は息を吐いた。
知っていたことだった。それでも、自分の耳で聞いたことと、他人の字で書かれたことは、重さが違った。
束の一番下に、もう1枚、紙が挟まっていた。ヴァルターの字で、短く書いてある。
『教会より、日誌の写しの請求あり。討伐時刻を投下後と改めた写しを求める。送付せず』
日付は、落とされた日から10日ほど後だった。
「書き直せと言われて、断ってる」
『この記録を管理しているのは、ヴァルター・ゲルンですか』
「封も、札も、あいつの名前だ」
『あなたを落とした人物が、あなたの落下に意味がなかったという記録を、消さずに持っています』
「なぜだと思う」
『推定する材料が足りません』
俺も同じだった。ただ、あの男が善意で紙を残したとは思えなかった。
「持っていくか」
『持ち出せば、気づかれます』
「分かってる。聞いただけだ」
『私が全文を記録します。筆跡も含めて』
「頼む」
シグの単眼が、紙の上を1行ずつ移動した。光が止まるたびに、小さな音がした。
写しの束を元どおりに挟み、紐の結び目の向きまで戻した。シグを包みへ入れ、先に窓から外へ出す。俺も這い出て、窓板を閉めた。
隙間から欠片を差し込み、掛け金を受け金へ戻そうとした。外からだと角度が悪い。掛け金は受け金の縁に半分だけかかり、それ以上は動かなかった。何度か試して、やめた。これ以上やれば、窓板に傷が残る。朝になれば、誰かがこの窓を見る。
薪の山の陰へ戻り、北の棟を振り返った。2階の端の窓に、明かりが1つ入っていた。来たときにはなかった明かりだった。
誰かが、まだ起きている。
俺は、その窓を見上げたまま少しだけ待った。明かりは動かなかった。
水門小屋へ戻り、記録帳を開いた。
『落下から推定341日。鉱石置き場で荷を担いで、銅貨6枚。黒パン2つ』
『本営の北の棟で、戦闘日誌の写しを見た。砕城犀の討伐確認は、日没後2刻。俺が落とされたのは、その後』
『俺が落ちたから止まったのではない。止まった後で、落とされた』
炭筆が、最後の行で紙を少し破った。
『教会は、書き直した写しを求めた。ヴァルターは送らなかった』
『記録しました』
「お前の方には、全文があるな」
『あります。いつでも読み上げられます』
俺は記録帳を閉じた。
生贄が効かなかったと知っている者は、この城塞に少なくとも2人いる。紙を残した男と、祈りを読めなかった男だ。




