古代の証人
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それでは、どうぞお楽しみください。
「あそこ、今、何か光った」
若い男が、額の血を押さえたまま岩の方を指さした。
俺は答えずに引き返した。草むらの布を持ち上げると、シグは3本の脚を畳み、単眼の光を最小まで落としていた。言われたとおり、何も喋っていない。
だが、喋らなくても光は見える。剣を素手で折った男が、動く物を背負って山から下りてくる。それが誰かの口に乗って宿場へ届けば、ベルガルドへ着くより先に、俺の話の方が着く。
背負い布で包もうとしたとき、後ろで小石が鳴った。若い男が、木の棒を握ったまま5歩ほど後ろまで来ていた。
「何だ、それ」
「荷物だ」
「荷物が目を開けるかよ」
布の端から、金属の脚が1本のぞいていた。俺はそれを布の中へ押し込んだ。遅かった。若い男の目は、もう脚と、その上の丸い光を見ていた。
ラバの手綱を引いて、老人も近づいてきた。
「見せてみろ」
「見せるものじゃない」
「……古い時代の物か」
老人は布の膨らみを見下ろし、それから俺を見た。
「山の上の方に、昔の遺跡があるとは聞いたことがある。誰も近づかんがな」
「爺さん、あれ動いてたぞ。脚が動いた」
「動く遺物なんぞ、聞いたことがない」
若い男が唾を飲み込む音がした。
「宿場の古物屋に見せたら、銀貨じゃ済まないんじゃないか」
「馬鹿を言え」
老人の声が低くなった。
「山で出た古い物は、教会に届けるもんだ。黙って売り買いした者がどうなったか、お前も聞いてるだろう」
「でも」
「黙れ」
老人は俺へ向き直った。
「あんた、それをどこで拾った」
「拾ってない」
「じゃあ、盗ったのか」
「一緒に来た」
老人は眉を寄せた。意味が分からないという顔だった。俺も、それ以上説明する言葉を持っていなかった。
老人は結局、俺に同じ道を歩いてくれと頼んだ。
「あいつらが仲間を連れて戻らんとも限らん。日暮れまでに水場へ着きたい」
怖がっている相手に、守ってくれと頼む。その顔は、どちらの怖さが大きいかを量りかねていた。
「東へ行くなら、同じ道だ」
俺はそう答えた。
ラバが先を歩き、老人がその横についた。若い男は額に布を巻き、ときどき振り返って俺の背中の包みを見た。俺は5歩後ろを歩いた。それより近づくと、若い男の肩が固くなった。
日が傾く頃、道の脇に石積みの小屋が見えた。屋根は半分落ちている。すぐ横の岩の割れ目から、細い水が湧いていた。
「炭を下ろすときは、いつもここで一晩過ごす」
老人はラバの荷を下ろし、火を起こした。俺は小屋の反対側の壁際へ座り、シグの包みを横に置いた。
湯が沸くと、老人は布袋から黒いパンを出した。半分に割り、片方を俺へ差し出した。
「礼だ。これしかないが」
受け取った。固い。表面は乾いているのに、中はわずかに湿っていた。少しだけかじると、酸っぱさが舌に残り、噛むほど麦の匂いが鼻へ抜けた。
それが黒鐘養護院で食べてきたものと同じ味なのか、俺には分からなかった。固かったことは知っている。少し酸っぱかったことも、ミアとそんな話をしたことも知っている。だが、比べる舌の記憶がなかった。
「口に合わんか」
老人が言った。俺の手が止まっていたらしい。
「いや」
俺はもう一口かじった。
「うまい」
嘘ではなかった。ただ、初めて食べる味だった。
火が小さくなった頃、老人が口を開いた。
「悪く思うな」
「何をだ」
「宿場へ下りたら、司祭様に話す。山で、動く遺物を持った男に会ったと」
若い男が、火の向こうで顔を上げた。
「爺さん」
「黙っていて、あとで誰かが見たと言い出したら、罰を受けるのはわしらだ」
老人は火へ枝を足した。
「それに、あんたのことも話さにゃならん。素手で剣を折った男だ。それを黙っていられるほど、わしは肝が太くない」
「好きにしろ」
「……あんたが荷を守ってくれたことも、話す」
俺はそれ以上答えなかった。
教会という言葉で、白い法衣と黒い手袋が浮かんだ。銀の数珠を繰る指と、俺の血を落とした黒い鏡も。
宿場の司祭が、山で見た男の話をどこまで上へ伝えるのかは知らない。伝わったとしても、それが俺だと分かるとは限らない。だが、分からないまま待つのは、奈落で罠の上を歩くのと同じだった。
「その宿場から、ベルガルドまでは近いのか」
「街道を1日だ。……ベルガルドへ行くのか」
「聞くな。その方がいい」
老人は口を閉じ、火を見た。
黙らせる方法なら、いくらでもあった。昼に、その方法しか持っていないと知ったばかりだった。
夜半、包みが動く気配で目を覚ました。
俺は壁に背をつけたまま眠っていた。火はほとんど消え、小屋の中は暗い。暗視Lv.3を使うまでもなかった。月の光が、落ちた屋根から差していた。
若い男が、俺の横にしゃがんでいた。両手で、シグの包みを持ち上げている。
『私を運ぶ許可は、出ていません』
静かな声だった。
若い男の身体が固まった。包みを抱えたまま、声の出どころを探すように左右を見た。
「な、何だ。今の」
『繰り返します。私を運ぶ許可は出ていません。下ろしてください』
包みの中から、単眼の光が漏れた。若い男は悲鳴を飲み込み、それでも手を離さなかった。
俺が立ち上がると、若い男は包みを胸に抱えたまま後ずさり、小屋の出口の方へ下がろうとした。
1歩で追いついた。手を伸ばしかけて、止めた。昼に聞いた、湿った枝を折るような音が、耳の奥で鳴った。この手で掴めば、またあの音がする。包みごと引き寄せれば、肩が抜けるかもしれない。
俺は手を開いたまま、指先だけで若い男の手首に触れた。握らない。押さえもしない。触れた場所から、それ以上動かさないことだけに気を向けた。
「置け」
若い男の手首が、俺の指の下で震えていた。
「置いてくれ」
言い直した。若い男は、ゆっくりと膝をつき、包みを床へ下ろした。
指を離しても、若い男の手首は曲がっていなかった。相手が刃を持っていなかったから、これで済んだ。それだけのことだと分かっていても、俺はしばらく自分の指を見ていた。
「……悪かった」
若い男の声はかすれていた。
「でも、それ1つで、村の冬が越せるんだ。炭を全部売っても、足りない年があるんだよ」
「こいつは物じゃない」
「喋った。遺物が、喋ったんだぞ」
老人が起き上がっていた。暗がりの中で、胸の前に小さく円を描く指が見えた。
俺は包みの布を少しだけ開いた。シグの単眼が、若い男の顔を照らした。
「お前は、何なんだ」
若い男が、俺ではなくシグに向かって聞いた。
『記録中継施設の保守守護機。個体識別名、シグです』
「しゅご……」
『現在の役割は、記録です』
「記録って、何の」
『この人が見たもの、失ったもの、決めたことです』
シグの声は、奈落で話していたときと少しも変わらなかった。
『地上でも、それを続けます』
「誰に見せるんだ、そんなもの」
『この人が忘れたときに、この人へ』
若い男は口を開けたまま、何も言わなかった。
老人が、かすれた声で言った。
「……教会へ届ければ、司祭様が正しく扱ってくださる。古い物は、神の許しなく持つものじゃない」
『私が届けられる予定はありません』
「予定、だと」
「こいつが決めた」
俺が言うと、老人は俺とシグを交互に見た。
「物が、決めるのか」
「物じゃないと言った」
老人はそれ以上言わなかった。祈りの指だけが、胸の前で動き続けていた。
俺は包みを抱えて壁際へ戻り、今度は膝の上へ置いた。
「喋るなと言った」
俺は小さく言った。
『あなたの生命に関わる場合は例外とする、と合意しました』
「俺の命じゃない」
『私の記録が失われる可能性がありました。あなたの記録も含まれています』
言い返す言葉を探して、やめた。
夜が明けると、老人はラバに荷を積み直した。若い男は俺と目を合わせなかった。額の布に、乾いた血が黒く残っていた。
「気持ちは変わらん。宿場で話す」
老人が言った。
「分かってる。俺は、お前らとは別に行く」
「そうしてくれると、助かる」
老人は布袋から、黒いパンをもう1つ出して俺へ渡した。
「この道を東へ下れば、2日で街道へ出る。宿場は、街道へ出てすぐだ」
「分かった」
「どこまで行くのかは、聞かん」
「それでいい」
老人は手綱を引いた。だが、ラバは動かなかった。首を西へ向け、耳を立て、鼻を鳴らした。老人が手綱を強く引いても、蹄で石畳を掻くだけだった。
「こいつもか」
老人が舌打ちをした。
「ここ何日か、ずっとこうだ。山の獣も落ち着かん。昨日の朝は、鹿が3頭、道を横切って東へ逃げていった」
「西から、か」
「山の上からだ。狼でも下りてきたかと思ったが、遠吠えも聞かん」
老人は無理に手綱を引き、ラバはようやく東へ歩き出した。若い男が1度だけ振り返り、俺の膝の上の包みを見た。それから前を向いた。
2人と1頭の姿が、道の曲がり角に消えた。
俺は西を見た。道は緩く上り、木々の向こうへ消えている。その先には、俺たちが下りてきた山があった。低い森の斜面の中ほどに、崩れた石室がある。
『レイ。ラバが向いていた方角は、転移施設跡の方角と一致します』
「分かってる」
風が、西から吹いていた。獣たちが逃げてきた方から来る風だった。まだ、何の臭いも混じっていなかった。




