↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

75/106

生贄帰り

ご覧いただきありがとうございます!

よろしければ、この話の読み終わりにでも【ブックマークへの追加】や【★★★★★評価】をポチッと押していただけると、今後の執筆の大きなモチベーションになります!


それでは、どうぞお楽しみください。

『命令が消失しました。次の命令を入力してください』


俺は床に横たわったまま、シグを見た。胸部外装の奥では、白い駆動環と青い記録環が回っている。赤黒い帰還命令だけが消えていた。


地上へ出る道は、まだ開いていない。転移設備へ続く供給線は、黒炎(こくえん)Lv.1の侵食を止めるために俺が外したまま、接続片ごと布袋の中にある。つなぎ直して設備が応えなければ、残った菌床(きんしょう)が尽きた先に次の手はない。そのうえ、胸の奥にはまだ黒い火がいる。抱えたまま設備へ触れれば、また命令ごと食わせるかもしれなかった。


その前に、決めなければならないことが1つあった。


「命令じゃない。お前が決めろ」


シグの単眼が明滅した。返事まで、7秒かかった。


『……では、私はあなたと地上へ行きます』


「そうか」


『はい』


施設へ戻れという声も、俺についてこいという命令も、もうない。それでも、シグは行くと決めた。


俺は目を閉じた。


「なら、少し待て」


『休息を推奨します』


「今度は従う」


『命令ではありません』


「分かってる」


俺たちは、菌床(きんしょう)拠点で1日休んだ。


落下から推定334日。熱は残っていた。右腕の感覚も鈍い。だが、自分の足で歩ける。朝というものがない暗闇の中で、俺は帰還の準備を始めた。


残った菌床(きんしょう)は、普通に食べれば2日分。濾過(ろか)水は1筒と半分。あとは布と固定具、シグの交換軸、死んだ命令導体が2本。武器はない。長剣も、小型刃も、奈落(ならく)で失った。


使える物と捨てる物を分けた。菌床(きんしょう)と水、布と固定具は持つ。命令導体は1本だけ残した。白い固定槍の欠片は、布で包んだ。


『その欠片は必要ですか』


「竜心(りゅうしん)を壊した証拠になるかもしれない」


『地上で証拠として扱われるかは不明です』


「ならなくてもいい。俺が何をしたかは、これで思い出せる」


最後に、記録帳を開いた。最初の頁(ページ)は何度も濡れては乾き、端が崩れていた。ミアが渡した帳面だった。


俺は、彼女の指先の温かさを思い出せない。声も思い出せない。だが、字は残っている。俺が書いた字も、シグに確かめて書き直した字も残っている。黒鐘養護院(こくしょうようごいん)。ミア。帰る。何度忘れても、同じ言葉が並んでいた。


俺は最後の空きへ書いた。


『落下から推定334日。第12層忘都(ぼうと)。竜心(りゅうしん)中枢(ちゅうすう)を破壊。転移設備へ向かう。シグは自分で地上へ行くと決めた』


記録帳を閉じると、シグが言った。


『記録を複製しました』


「全部か」


『現在保存可能な範囲はすべて』


「俺が忘れたら」


『事実を読み上げます』


「気持ちは」


『復元できません』


「それでいい」


事実まで消えるよりはいい。だが、記録を残したから忘れてもいいわけではない。失ったものは戻らない。これ以上失わないために、帰る。


俺は荷を背負った。シグは3本の脚を順に動かし、拠点の出口へ向いた。


『出発可能です』


「行くぞ」


『はい』


物資保全区画を出た。約3か月、生きるために使った場所だった。濾過(ろか)槽も、菌床(きんしょう)も、傷を洗った石の窪(くぼ)みも、日数を刻んだ壁も、持っていけないものばかりだった。


『壁の刻みは、記録に移してあります』


「知ってる」


俺は振り返らなかった。振り返れば、何かを置いていく気がした。もう十分に置いてきた。


転移設備は南西へ約1.6キロ。竜心(りゅうしん)が止まった街は静かだった。赤い脈動はない。命令管路の熱も、歩くほど弱くなった。停止した自動兵が道の端に立っているが、こちらを追うものはいなかった。


暗視(あんし)Lv.3の視界に、崩れた街並みが灰色に浮かぶ。家だった場所、広場だった場所、名前を削られた壁。ここにも、生きていた者がいた。


歩行可能者43名。要補助者18名。緊急搬送対象9名。最後の4名が転移できたかは分からない。俺たちが使おうとしている道を、誰かが先に通ったかもしれない。地上へ着いた者がいたかもしれないし、何も残らなかったかもしれない。


『右脚駆動、8%低下』


シグの声で足を止めた。


「持つか」


『現在速度なら転移設備まで持続可能です』


「帰った後は」


『不明です』


「なら背負う」


『あなたの右肩と肋骨(ろっこつ)は回復途中です』


「置いていくよりましだ」


『置いていくという選択肢を提示していません』


「俺も選んでない」


シグは3秒黙った。


『では、速度を落とします』


「そうしろ」


急ぐ理由はあった。だが、倒れて届かなければ同じだ。歩いて、止まって水を飲み、シグの軸を締めて、また歩く。シグの足が石畳の継ぎ目で小さく跳ねるたび、俺は歩幅を合わせた。


転移設備へ着いたのは、出発から4時間後だった。半円形の石造施設が、崩れた広場の下に埋まっていた。入口の表示は半分消えている。


『第12層避難転移区画』


奥には、直径6メートルほどの円形台座が3基並んでいた。2基は割れている。残る1基だけが、淡い白光を返した。


『帰還経路 待機』


表示は残っている。切れているのは供給だけだ。


布袋から接続片を出し、切断面を確かめた。命令線は焼けていない。金属留め具も歪(ゆが)んでいない。


『再接続後、設備側から逆流が発生する可能性があります』


「時間は」


『起動確認まで推定48秒。異常時は接続片を外します』


「お前がやるな」


『理由を要求します』


「俺の方が速い」


『妥当です』


シグは端末の横へ移動した。俺は接続片を差し込み、留め具を倒した。


白い光が管路を走った。胸の奥で、黒炎(こくえん)Lv.1がわずかに動く。俺は左手を握った。出すな。設備を食わせるな。火は体内に留まった。


『10秒。供給安定』


円形台座の外周へ光が入る。


『20秒。座標照合』


端末に3件の経路が浮かんだ。2件は消えている。残る1件だけが白い。


『31秒。帰還経路に応答あり』


「場所は」


『座標名、欠損。地上高度を示す値あり。到着設備の状態は不明』


「生きて出られる確率は」


『算出不能です』


「ここに残るよりは高い」


『同意します』


少し間を置いて、シグが続けた。


『48秒。起動可能』


台座中央に古代文字が浮かんだ。


『転移対象を登録してください』


俺が乗ると、1人分の輪郭が白く光った。シグが続く。光はシグの躯体(くたい)をなぞったが、人数は増えなかった。


『私は記録媒体として認識されています』


「転移できるか」


『対象者の携行物として接続すれば可能性があります』


俺は荷を下ろし、背負い布を広げた。シグの3脚を畳み、中枢核(ちゅうすうかく)が俺の背中へ当たる位置で固定する。右肩が痛んだ。だが、支えられる。


『レイ。負傷が悪化します』


「地上までだ」


『到着距離は不明です』


「なら、着いてから考える」


記録帳を胸元へ入れ、水筒を腰へ結び、白い槍の欠片を荷の奥へ押し込んだ。もう1度、台座へ立つ。


『転移対象 1』


『携行記録媒体 1』


『帰還経路を起動しますか』


俺は端末へ手を置いた。


「起動する」


光が足元から立ち上がった。


『起動まで30秒』


低い振動が施設全体へ広がる。天井から砂が落ち、割れた2基の台座が軋(きし)んだ。生きている設備も、長くは持たない。


『起動まで20秒』


白光の外で、暗い街が揺れた。約1年過ごした奈落(ならく)が、薄い壁の向こうへ遠ざかっていく。俺は胸元の記録帳を押さえた。帰る。声を思い出せなくても。手の温度を思い出せなくても。約束した事実は残っている。


『起動まで10秒』


「シグ」


『はい』


「今なら、まだ降りられる」


『降りません』


「命令はないぞ」


『私が決めました』


背中の重さが、わずかに動いた。振動が強くなる。


『5秒』


俺は目を閉じなかった。


『4』


白い光の中で、忘都(ぼうと)の輪郭が崩れる。


『3』


竜心(りゅうしん)区画の方角で、黒いものが一瞬だけ揺れた。ヴォルグラムの声は聞こえない。


『2』


足元が消えた。


『1』


世界が白くなった。


落ちる感覚はなかった。上がる感覚もない。身体の輪郭だけが、細く引き伸ばされた。右腕の魔力経路が焼け、胸の奥で黒い火が瞬く。俺は供給を切るように息を止めた。火は広がらなかった。


次の瞬間、硬い床へ膝をついた。


空気が違った。乾いていない。腐敗した菌床(きんしょう)の甘さも、血流河(けつりゅうがわ)の鉄臭さもない。冷たい風が、頬を撫(な)でた。


『転移完了を推定。レイ、呼吸してください』


息を吸った。土。草。遠い水。失った薬草の匂いは思い出せない。だが、今ここにある匂いは分かる。


「……シグ。無事か」


『駆動系、記録領域、自己識別を維持しています』


顔を上げると、崩れた石室だった。背後の転移台座は、中央から割れている。白い光は消えた。戻る道も消えた。


石室の天井には、大きな穴が開いていた。その向こうに、色があった。黒でも、灰色でもない。夜明け前の青だった。


俺は暗視(あんし)Lv.3を止めた。視界が暗く沈む。それでも、空は見えた。


シグを背負ったまま、崩れた階段を上がる。1段、また1段。右肩が痛み、膝も震える。足元には、石の隙間から伸びた細い草が生えていた。地上の風が、髪を動かした。


階段の最後を越えると、低い森と遠い山の輪郭が見えた。奈落(ならく)の天井はない。頭上を塞ぐ岩もない。空が、どこまでも続いていた。


目の奥が痛んだ。暗闇に慣れた目には、夜明け前の薄い光でさえ強すぎた。それでも、目を逸らさなかった。


『外気温、低。空気中の毒性反応なし。現在地は地上である可能性が高いと判断します』


「可能性じゃない」


俺は土へ手をついた。冷たかった。


「地上だ」


約束した場所がどちらかは分からない。黒鐘養護院(こくしょうようごいん)まで何日かかるかも分からない。俺を落とした者たちが、今も生きているかも分からない。ミアが待っているかも、分からない。それでも、帰る道はもう奈落(ならく)の中にはなかった。


俺は立ち上がった。記録帳が胸にある。シグが背中にいる。失ったものも、傷も、黒い火も残っている。全部抱えたまま、歩ける。


『次の目的地を確認します』


「黒鐘養護院(こくしょうようごいん)」


『経路は不明です』


「探す」


『了解しました』


俺は青くなり始めた空へ背を向け、森の切れ目へ歩き出した。


死ぬために落とされた場所から、約1年。


生贄(いけにえ)は、帰ってきた。

お読みいただきありがとうございました!

「面白かった」「続きが気になる」と思っていただけましたら、画面の下(または目次ページなど)にある**【ブックマーク登録】と、【★★★★★評価】**で応援していただけると本当に嬉しいです!


感想や「ここが良かった」といったご意見もお待ちしております。

それでは、次回の更新でお会いしましょう!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。