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消えない炎

ご覧いただきありがとうございます!

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それでは、どうぞお楽しみください。

黒い炎が、指先から肘を越えた。


熱はない。皮膚も焼けていない。それでも、腕の内側を細い刃で削られているような痛みが続いた。


手はもう床から離している。それでも、床へ落ちた黒い火は消えなかった。床下を走る赤い命令線を伝い、部屋の外へ広がろうとしている。その線の先には、ついさっき供給が戻ったばかりの転移設備があった。


『レイ、右腕の魔力経路が急速に変質しています』


「どうすれば止まる」


『不明です。竜心(りゅうしん)の残骸から離れてください』


石の表面を舐(な)めても、焦げ跡はつかない。赤い線へ触れた瞬間だけ、火が細く伸びた。壁へ。白い槍の台座へ。内郭扉へ。光る線を選ぶように広がっていく。


「物は燃えてない」


『施設命令の伝達線が消失しています』


黒く染まった場所から、赤い光が消えた。火が燃やしているのは石でも金属でもない。その中を通っている命令だった。


竜心(りゅうしん)を失った施設が、残った命令を転移設備へ送り直している。黒い炎は、その流れを追っていた。ここで全部を焼けば、帰還経路まで死ぬ。


「シグ、転移設備へ続く線は」


『南西系統です。現在、黒炎(こくえん)は北壁と東側正門へ拡大。南西系統への到達まで推定42秒』


「切る場所を探せ」


『端末接続は危険です』


「触るな。見える範囲でいい」


『了解しました』


シグが壁沿いへ動いた。俺は両腕を身体から離した。火を振り払っても消えない。床へ腕を打ちつけても、黒い火だけが遅れて揺れた。火は空気を吸っていない。煙も出さない。水があっても、意味はない気がした。


黒炎(こくえん)Lv.1を止める。そう意識しても、反応はなかった。胸の奥から、腕へ力が流れ続けている。自分で出している感覚がない。竜心(りゅうしん)を壊したときに入ってきた魔力が、出口を探して溢(あふ)れていた。


『南西系統の分岐を確認。崩れた台座の向こう、ここから9メートル先の床の溝です。幅は18センチ』


シグの光が、溝の位置を示す。


俺は走った。1歩目で、身体が前へ出すぎた。以前と同じ力で踏んだのに、床を3歩分飛び越えていた。着地で左膝が沈み、固定の金属板が軋(きし)む。


能力値が上がっても、傷は治っていない。動かせる力だけが増えた。壊れた身体では、扱いきれない。


歩幅を半分にする。それでも速い。床の亀裂を避け、溝へ滑り込んだ。背後から黒い炎が追ってくる。命令線を渡る速度は、俺より速かった。


『南西系統まで12秒』


溝の中には、赤い細管が4本並んでいた。3本は黒く焼けている。残る1本だけが南西へ続いていた。転移設備への供給線だ。その手前に、指ほどの接続片がある。


足元に落ちていた白い槍の破片を拾う。固定の外れた薬指と小指は、曲がったまま使えない。親指と人差し指と中指の3本で握る。それだけで、槍の破片に亀裂が入った。握力が増えすぎている。


力を抜き、接続片の隙間へ先端を入れた。黒い炎が溝へ流れ込む。


『6秒』


金属片を起こす。動かない。力を足すと、溝の縁が砕けた。


違う。接続片を壊せば、転移供給も戻せない。外すのは留め具だけだ。


左手で槍を支え、右手の3本で角度を変える。黒い火が接続片へ届いた。


『接続片へ侵食』


留め具が浮いた。俺は赤い細管を持ち上げた。接続が外れ、細管の赤い光が消える。黒い炎は、切れた端で止まった。向こう側へは渡らない。


『南西系統への侵食停止。転移設備への供給も停止しました』


「あとで戻せるか」


『接続片は残っています。可能です』


帰る道は守った。その代わり、線をつなぎ直すまでは帰れない。そして、俺の腕の火は消えていない。


胸から両腕へ、黒い力が流れ続ける。炎が床へ落ち、新しい命令線を探す。切った1本だけでは足りない。


『北壁の防衛命令が消失。東側正門の封印命令へ侵食が到達しました』


背後で重い音がした。降りきっていた内郭扉が、軋(きし)みながら持ち上がっていく。


竜心(りゅうしん)が止まり、扉を閉じていた命令まで焼かれた。外郭通路に倒れていた守り手が、動くかもしれない。


「ここから出る」


『推奨します。ただし、私へ接触しないでください』


シグは俺から6歩離れていた。


床の命令線と、シグの中枢核(ちゅうすうかく)は、同じ形の古代命令を持つ。黒い炎が触れれば、施設へ戻れという命令だけでなく、シグそのものを支える接続まで焼くかもしれない。


「前を行け」


『あなたの移動速度が上回ります』


「合わせる」


『了解しました。距離を維持します』


シグの補助輪が回り始めた。俺はその後ろ姿と、足元の赤い線を交互に見ながら、火の広がりを避けて内郭扉へ向かった。


黒い炎は明るくない。むしろ周囲の赤い光を食い、部屋を暗くしていく。


暗視(あんし)Lv.2を使った。灰色の輪郭が浮かぶ。その輪郭が、以前より遠くまで伸びた。崩れた台座の亀裂。20歩先を走る黒い火の細い枝。持ち上がった扉の下で、守り手が前脚を動かす瞬間。全てが、同じ近さで見えた。


急増した知覚に、目が追いつこうとしている。暗闇の濃淡が細かく割れ、守り手の外殻の継ぎ目まで見えた。


━━━━━━━━━━━━━━━━━━

《技能成長》

暗視(あんし):Lv.2 → Lv.3

完全な暗闇でも、地形と対象の細かな動きを明瞭に捉えられるようになりました。

忘却値に変化はありません。

━━━━━━━━━━━━━━━━━━


表示を閉じ、前を見る。


扉の向こうで、守り手が頭を上げた。赤い左目が俺を捉える。外殻の半分は黒く焼けたままだ。背の杭(くい)は3本しか動いていない。立ち上がる力も残っていない。それでも、前脚の爪が床を削った。


『攻撃動作を確認』


「右を通る」


シグが先に進む。守り手の口が開いた。黒い光は集まらない。封印装置から離れ、供給管も失っている。首だけがこちらを追ってきた。


俺は右壁沿いを歩いた。走らない。新しい敏捷(びんしょう)に、身体がまだ慣れていない。


伏せた守り手が前脚を伸ばしてくる。外殻の動き、筋肉の沈み、前脚が伸びる前の重心を見る。以前より、遅く見えた。半歩だけ下がると、爪先が胸の前を通った。


反撃はしない。討伐する理由はない。


『追撃はありません』


「分かってる。行け」


背中で守り手の息遣いを聞きながら、外郭通路を抜けた。


東側正門では、赤い攻撃筒の半分が止まっていた。黒い柱も光を失っている。黒炎(こくえん)Lv.1が命令を焼いた結果だった。便利な力ではない。触れたくないものまで焼く。


シグが正門を通過したあと、俺は床の命令線を踏まないように進んだ。だが、腕から落ちた火は石の上を這(は)い、線を探して曲がる。意思があるように見えた。


「止まれ」


命じても、止まらない。


「消えろ」


火が腕へ戻る。一瞬だけ、従ったように見えた。次の瞬間、肩まで燃え上がった。


胸の奥が焼ける。今度は熱があった。皮膚ではない。身体の中を通る道が熱い。息が詰まり、膝をついた。


『魔力経路の温度上昇。呼吸数増加。黒炎(こくえん)Lv.1の出力を停止してください』


「止めてる」


『停止していません』


「分かってる」


両手を床から離す。何にも触れない。それでも火は出る。供給源は施設ではない。俺だ。


魔力150。竜心(りゅうしん)を壊す前の6倍以上。その全てが、覚えたばかりの出口へ流れ込んでいる。


胸と腕の間の流れを切れば、火は止まる。だが、それは自分の魔力経路を壊すことだ。なら、流れを別の場所へ逃がす。


「シグ。命令が死んだ端末はあるか」


『正面左、停止攻撃筒の基部。命令接続は消失しています』


3歩先だった。攻撃筒の折れた基部へ近づく。接続は死んでいる。物だけが残っている。


右手を向けた。


「ここへ出す」


『出力増加は危険です』


「今も増えてる」


シグは次の言葉を返さなかった。


胸から腕へ流れるものを意識する。止めようとはしない。右手だけへ集める。左腕の火が薄くなり、右腕はさらに黒くなった。


指先から炎が伸びた。3メートル。黒い塊が攻撃筒へ当たる。金属は燃えない。命令接続がないため、火は広がらない。表面で揺れたあと、行き先を失って小さくなった。


『右腕の流量低下』


もう一度、胸から押し出す。炎が飛び、同じ場所へ当たる。今度は1秒で消えた。


外へ出せる。何もつながっていない場所なら、炎は残らない。


3度目を出そうとしたとき、右腕が痙攣(けいれん)した。指が閉じ、喉が狭くなる。吐いた息が熱い。


『中止してください』


止める。今度は、止まった。両腕の炎が肘まで下がる。まだ消えない。だが、増えてはいない。


「流れをまとめて、死んだ場所へ捨てる。一度に出すと腕がもたない。少しずつだ」


『記録します。接続のない対象では、炎は1秒前後で消えています』


「胸から腕へ送らなければ」


『新たな炎は発生しない可能性があります』


可能性。それでいい。


俺は座り、背を壁につけた。右手を停止攻撃筒へ向けたまま、少しずつ炎を出す。大きくしない。3メートルを越えない。1回ごとに呼吸を整える。


シグが時間を数えた。


『2秒。停止』


止める。


『呼吸を4回』


吸って、吐く。胸が痛む。折れた骨と、新しい熱の両方だった。


『次』


黒い炎を出す。攻撃筒で消える。


『呼吸が乱れています。もう1度整えてください』


言われたとおりに息を整え、また出した。右腕の内側で、熱い糸が1本ずつ抜けていくような感覚があった。


7回目で左腕の火が消えた。11回目で、右肘から先だけになった。14回目、指先の炎が細く揺れた。


最後の塊を、死んだ攻撃筒へ送る。黒い火は金属の表面へ張りつき、1秒で消えた。俺の腕からも消える。暗闇が戻った。暗視(あんし)Lv.3の灰色の視界だけが残る。


『黒炎(こくえん)Lv.1の外部反応、停止』


「身体の中は」


『魔力経路の高温が継続。右腕の感覚低下。心拍と呼吸は安定していません』


手を開く。親指と人差し指は動いた。中指は遅い。折れていた薬指と小指は、固定が外れたまま腫(は)れている。黒い火は消えた。痛みは残った。


自己治癒(じこちゆ)Lv.1を使う気はなかった。今の傷に加え、魔力経路まで熱を持っている。治す順番を誤れば、また動けなくなる。


「菌床(きんしょう)拠点へ戻る」


『転移供給線は切断したままです』


「先に身体を冷ます。次に線を戻す」


『同意します』


立ち上がる。力を入れすぎない。歩幅を半分にする。


シグから6歩離れたまま進む。触れない。この火が、シグの中の施設へ戻れという命令だけを焼けるなら、シグを縛るものは1つ減る。だが今の俺では、触れれば全部を焼く。


まだ、俺の中に黒い火が残っている。外へ出さなければ見えないだけだ。


ミアの声を思い出そうとした。何も聞こえない。


その空白の奥で、黒いものが脈打(みゃくう)った。


消えたのではない。止めただけだった。

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