竜心の街
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それでは、どうぞお楽しみください。
赤い光は、壁の奥を通っていた。1度脈打つたび、石と金属の継ぎ目が暗く染まる。遅れて、足元から低い振動が上がってきた。
間隔は57秒。数えた3回とも、同じだった。
食べる物は、もうない。水も減っている。後ろの扉は閉じ、戻る場所もない。この層で食べられるものを見つけなければ、転移設備を探す前に身体が止まる。
『竜心命令の再送周期と一致する可能性があります』
シグは棚板の上に載ったまま、接続棒を通路の奥へ向けていた。脚部2本は畳んだまま動かない。残る1本と補助輪だけでは、真っすぐ進むことも難しかった。
「つなぐな」
『同意します。振動と外部表示の変化だけを記録しています』
第12層の通路は、第11層より熱かった。青黒い煙は扉の近くに残っているが、奥へ進むほど薄くなる。毒分解Lv.4を止めても、喉の痛みが残るだけで、胸の冷たさと手の痺れは戻ってこなかった。
「食べられるものを先に探す。転移設備はその後だ」
『同意します。現在の状態では、長距離探索を継続できません』
折れた長剣を左手へ持ち替えた。切っ先はなく、斜めに尖った断面が残るだけだ。刺すには使えるが、亀裂の周りへ強い力をかければさらに割れる。小型刃も、黒い結晶を削った時に先端が大きく曲がっていた。残った武器は2本とも、壊れかけている。
俺は棚板へ布を結び、左手で引いた。シグの補助輪が床を擦り、細い音を立てる。
『左脚への牽引負荷が増加しています』
「水を見つけるまでだ」
『記録しました。判断基準は水です』
通路は60メートルほど先で開けていた。そこから先は、街だった。
天井は見えない。赤い光が届く範囲だけでも、石造りの建物が何十棟も並んでいる。道は中央から6方向へ伸び、頭上には橋と管路が幾重にも重なっていた。窓はどれも黒く、人の声はない。風もないのに、吊られた案内板だけが小さく揺れていた。
街の中央には、何本もの柱を束ねたような太い塔が立っている。表面へ黒い管が巻きつき、57秒ごとに赤く光る。その光が、塔から街全体へ広がっていた。
「竜心はあれか」
『断定できません。命令再送の振動は、中央構造物の方向から伝わっています』
最初の交差路の床には、青黒い結晶が薄く積もっていた。右の建物には『水循環』、左には『物資保全』の文字が残っている。
先に右へ曲がった。
水循環区画の中には円筒形の槽が4基並び、3基は底まで乾いている。最後の1基だけ、黒い膜の下に水が残っていた。
指先へ1滴つけると、すぐに毒分解Lv.4が反応した。皮膚へ入ろうとする毒が1つ。口へ入れなければ、処理は軽い。
『濾過装置は停止しています』
「なら、自分で濾す」
黒い膜は水面だけに広がり、下の水は透明だった。左手へ硬殻Lv.3を薄く展開する。指先から手首までを紙1枚ほどの殻で覆えば、汚れた水が触れても皮膚までは届かない。
壊れた解毒処置機から持ってきた管を、膜の下まで差し込んだ。水を布へ落とし、炭と石の粉を重ねた容器へ通す。それでも毒は残った。少量を口へ含むと、苦みはなく、喉の痛みも増えない。毒分解Lv.4の反応だけが、腹の奥へ短く熱を作った。
「使える」
『摂取量を制限してください』
2本の筒を満たし、空になりかけていた方を先に飲んだ。喉が潤った分だけ、腹の奥がさらに冷えた。
左の建物の奥には、低い棚が並んでいた。保存食の容器は残っていたが、指で触れただけで崩れる。
食べられるものはない。だが、奥の壁に別の表示があった。
『培養材供給』
『生体維持床 地下』
床の一部を外すと、湿った空気が上がってきた。階段は12段。シグを棚板ごと抱えて下ろした。
そこには白い菌床が広がっていた。
第10層の腐敗菌床とは違う。薄い板状の菌が水路に沿って並び、中央だけが黒く枯れている。端の白い部分には、新しい層が重なっていた。
生きている。
シグが壁の文字を外部から読み上げた。
『避難者用補助栄養』
『直接摂取禁止』
『加熱および中和後に使用』
「中和剤は」
『供給停止』
両手へ薄い殻を張ってから、白い菌を小型刃で少し削った。右手の人差し指だけ殻を解いて先へつけると、毒分解Lv.4が複数の弱い毒へ反応する。第11層で食べた保存食候補より強い。だが、さっきの煙ほどではない。
「加熱すれば減る」
『熱源がありません』
その時、赤い光が脈打った。地下の壁面管が、短く熱を持つ。手を近づけると、57秒ごとに管の表面が熱くなった。
『竜心命令の再送管路である可能性があります』
「触らない。上に板を置く」
『接触しないのであれば、反対はしません』
薄い金属板を管路から指2本分浮かせ、その上へ菌を並べた。赤い光が3回通ると、水分が浮いた。6回で表面が縮む。10回で、白い菌は薄茶色へ変わった。
少量を口へ入れる。苦い。舌の痺れが来たが、毒分解Lv.4がそれを処理していく。吐き気はなかった。
「食べられる」
『安全とは判定できません。1回の摂取量を制限します』
「分かった」
数口ずつ食べ、間を置いた。腹へ入る量は少ない。だが、何もないよりはいい。
その日は、地下の菌床から出なかった。
シグの動かない脚を外し、駆動線の固定を調べた。黒い線は消えている。内部の細い留め具だけが、硬く閉じていた。小型刃の先では入らないので、長剣の折れた断面を削って細い金属片を作った。
1本目の留め具を外すまで、赤い光が41回脈打った。2本目は、その倍かかった。
『右側脚部、駆動回復。左後脚は駆動線の摩耗が大きく、部品交換が必要です』
「物資区画にあるか探す」
『先に休息を推奨します』
「同じ意見だ」
菌床の入口と、水循環区画までの道に、石と傷で目印を残した。
記録帳へ書いた。
『落下から推定242日。第12層、竜心管理区画へ進入。中央構造物から57秒ごとに赤い脈動。水循環区画に濾過可能な汚染水。物資保全区画地下に避難者用補助栄養の菌床』
食べられる場所を見つけた。それだけで、今日より先を数えられるようになった。
◆
第12層での生活は、菌を焼く回数から始まった。
水を汲み、濾過し、菌を管路の熱で焼く。汚染水と菌床へ触れる間は両手へ硬殻Lv.3を薄く張り、毒を確かめる時以外は素手で触れない。毒分解Lv.4が毒を処理する間は動かず、身体の熱が下がってから探索へ出た。
最初の12日で、物資保全区画と水循環区画を拠点にした。入口には金属棚を2つ重ね、枯れた菌床を砕いて足跡を見る粉にした。シグの左後脚は、停止した運搬機の細い軸と交換した。3本の脚で歩けるようにはなったが、左へ曲がるたびに補助輪が滑る。
『移動速度は仮設躯体完成時の74%です』
「止まってない」
『否定はしません』
第13日から、街を区画ごとに調べた。北側の街路では、赤い光のたびに閉じた窓が開き、古代兵器の筒が外へ向く。俺たちは脈動の直後だけ進み、次の脈動の前に建物の陰へ入った。
西側の崩れた居住区には、寝台と食器、子供用らしい低い椅子が残っていた。名前はどれも削られている。低い椅子の前で少しだけ足を止めると、シグは何も言わず、補助輪を止めて待っていた。
南側には、床に6つの環と中央へ向かう溝を持つ、広い円形区画があった。シグが外部表示だけを読む。
『座標固定』
『転移先照合』
『搬送記録』
「転移設備か」
『可能性が高いと判断します。供給は停止し、中央端末は竜心命令で封鎖されています』
拠点から南西へ約1.6キロ。中央構造物からは、外周街路を2本挟んだ位置だった。
「帰る場所はあった」
『地上へ接続する記録は未確認です』
「設備があるだけでいい。封鎖を解くなら、竜心が先だな」
『その可能性があります』
第27日、中央構造物の外周まで進んだ。
太い柱だと思っていたものは、すべて管だった。赤い管、黒い管、透明な管。透明な管の中では、青黒い液体が逆向きに流れている。壁面には『竜心外郭』『封印調整』『中枢接続』の3つの区画名が残り、入口は3方向とも竜心命令で閉じていた。
正面へ近づいた瞬間、シグの接続棒が勝手に持ち上がった。俺はとっさに根元を押さえた。
『命令受信を確認』
「従うな」
『直接接続は成立していません』
「何を命令してる」
『施設へ帰還。中枢核を接続。記録を統合』
「拒否できるか」
『現在は可能です』
「現在は、か」
『距離が縮まれば、命令強度が上昇する可能性があります』
正面からは入れない。外周を回ると、北側の管路下に細い点検路があった。西側は防衛設備の射線が重なり、南側は転移設備へ続く供給路で閉鎖されている。
東側だけ、赤い光が届かない短い時間があった。脈動から23秒後、全ての外郭表示が1.6秒だけ消える。
『命令切り替えの可能性があります。何と切り替わるかは、現在の記録だけでは不明です』
空白の時間を地図へ書き込んだ。まだ短すぎる。だが、何も止まらない場所ではなかった。
第35日、左腿の固定帯を外した。傷は閉じ、深く曲げると痛みが残るが、血は出ない。右肩も、腕を胸の高さまで上げられるようになった。
自己治癒Lv.1は、菌と水を十分に摂った日だけ使う。左腿に8秒、右肩に10秒。12秒より長くは使わず、反応が止まるまで休んで、その日の探索は半分にした。傷を消すためではない。次の日も歩ける状態を残すためだった。
第43日、北側の点検路から中央構造物の内部表示を確認した。
『竜心区画 深度3』
『封印核 稼働』
『都市防衛命令 競合』
『転移供給 遮断』
竜心が、転移設備の供給を止めている。それだけではなかった。別の命令と競合しながら、街全体へ封鎖を送り続けている。
「片方を止めれば開くか」
『保証できません。競合するもう一方が優先される可能性があります』
「2つあるんだな」
『少なくとも、竜心命令と都市防衛命令を確認しています』
その夜、シグは眠らなかった。接続棒を自分の中枢核へ向け、57秒ごとにわずかに動かしている。
「命令が来てるのか」
『はい。第12層進入時より12%上昇しています。現在は拒否可能です』
俺は記録帳へ書いた。
『シグへの帰還命令、継続。命令強度は距離で上昇する可能性。中央構造物へ直接接続させない』
書いても、命令は消えない。だが、変化は残せる。
第51日、南西の転移設備で新しい表示を見つけた。
『転移座標 地表側3件』
行き先の名称は消えている。3件のうち2件は接続不能。残る1件だけが、弱い反応を返していた。
『帰還経路 待機』
地上という文字はない。それでも、帰還という表示は残っていた。
「これを使う」
『座標の安全性は確認できません。奈落内の別階層である可能性があります』
「ここより上ならいい。動かしてから確かめる」
第62日、中央構造物の外周を1周した。竜心区画へ入る経路は、北の点検路、東の命令空白が生じる正門、南の転移供給路の3つ。転移設備へ供給を戻すには竜心区画の封鎖を解く必要があり、竜心へ行くには防衛命令の競合を使うしかない。順番が、つながった。
第78日、記録帳の新しい頁を開いた。
落下から推定320日。奈落へ落とされてから、10か月を越えていた。
食料は菌床だけでつなぎ、水循環区画の槽はまだ残っている。シグは3本の脚で歩けるが、長距離では補助輪の熱が上がる。俺の左腿は閉じ、右肩は長剣を胸の高さまで構えられる。左前腕の薬指と小指の感覚は、戻っていない。折れた長剣は断面を削って短い切っ先を作り、小型刃は研ぎ直して元より短くなった。
俺は地図を床へ広げた。中央に竜心区画。南西に転移設備。その間を、都市防衛命令と竜心命令が塞いでいる。
「帰る場所と、壊す場所は分かった」
『転移設備の行き先は未確定です。竜心区画への進入方法も未確定です』
「空白はある」
東側正門。脈動から23秒後、1.6秒だけ命令が消える。人が通るには足りない。だが、別の命令切り替えと重ねれば、長くできるかもしれない。
「次は、2つの命令が何を奪い合ってるか調べる」
『竜心へ近づけば、私への命令強度も上昇します』
「お前は外に残るか」
シグはすぐに答えなかった。接続棒の青い光が、地図の中央から俺へ向く。
『私は記録を継続します』
「命令じゃなく、お前の判断か」
『はい』
赤い光が脈打った。57秒後も、その次も、シグは中央構造物へ向かなかった。
俺は記録帳を閉じた。
地上への道を塞いでいるのは、街を縛る2つの命令だ。
次に東側正門の前に立つ時は、1.6秒の空白を、ただ見送りはしない。
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