第12層の扉
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それでは、どうぞお楽しみください。
毒性物質の濃度は、15分で2倍になった。
保守処置室の奥の通風口は、金属板で塞いだ。それでも息を吸うたびに舌の奥へ苦みが残り、左手の指先へ細かな痺れが広がる。毒分解Lv.3は、すでに動いている。
中枢防衛域から入った扉は、攻撃を受けて噛み合ったままだ。戻る道はない。毒は前から、第12層接続扉前室から来ていた。
進める先は、そこしかない。食料は干し肉1片。水は1筒と、もう1筒の半分より少し多い程度だった。
「休める時間は」
『現在の上昇率であれば、1時間12分後に私の外装部品へ腐食が始まる可能性があります。レイの処理限界は、私には測定できません』
左腿の固定帯の下で、血は止まっていた。シグが勧めた安静は2時間だが、ここにいられる時間はそれより短い。
「1時間休む。その前に部屋が使えなくなる」
『最低2時間を推奨しています』
「だから動ける分を残す」
シグは返答せず、接続棒を壁の線へ戻した。
『1時間の安静を記録します』
俺は壁へ背を預け、左脚を伸ばした。左前腕は、親指と人差し指なら動く。薬指と小指は、目で見なければ曲がったか分かりにくい。
鞘のない長剣を膝の横へ置き、切っ先近くの亀裂へ布を巻いて固定した。欠けは4か所で、強く振れば亀裂から折れる。小型刃も先端が曲がったままだ。
干し肉を半分に裂き、片方だけを噛んだ。水を2口使う。残りは布で包み、記録帳と別にした。
『食料残量、干し肉半片』
「見れば分かる」
『失われる可能性があるものほど記録します』
眠りは浅かった。14分後に喉の痛みで目が覚め、次は11分、3度目は左脚の筋が勝手に縮んだ。1時間のうち、続けて眠れたのは19分だった。
立ち上がると、痛みは少し減っていた。
『歩幅は通常時の46%。長剣の使用は左手に限定することを推奨します』
「分かってる」
奥の細い通路を塞いでいた板を外すと、青黒い空気が流れ込んだ。今度は見えた。床に近い場所へ薄い膜のように溜まり、排水溝へ沿って処置室へ伸びてくる。
臭いは分からない。毒分解を得た時に失ったものが、薬草と薬湯の匂いだけなのか。それとも、この毒そのものが無臭なのかは判断できなかった。
『外装に腐食反応があります。中枢核への影響は不明です』
俺は棚板を2枚外した。1枚にシグを仮設躯体ごと載せ、もう1枚で床の煙を前へ押す。左脇へシグを抱えると、固定した右肩の奥まで鈍い痛みが走った。
『私を分解して運ぶことを推奨します』
「組み直せる場所があるか分からない。前室までだ」
低く狭い通路で床の膜を棚板で押すと、煙は左右へ分かれ、すぐ後ろで戻る。息を浅くする。
10歩進んだところで、喉の痛みが強くなった。毒分解Lv.3が入ってきた毒を順に崩しているのが分かる。だが、処理より吸い込む量の方が多い。
『前室まで約28メートル』
振り返ると、処置室の入口は煙の向こうに薄く見えた。戻っても濃度は上がり続ける。
壁には、古い解毒処置の表示が残っていた。
『吸着布を口鼻へ固定』
『第1洗浄液で眼球を保護』
『第2中和剤を服用』
収納箱はすべて空だった。俺は布を水で湿らせ、口と鼻へ巻いた。吸う量を少しでも減らすためだ。
シグの接続棒の根元にも、煙が入らないよう濡れた布を巻く。
青黒い膜は膝の高さまで増えていた。左足には履物がない。皮膚へ煙が触れるたび、細い針を刺されるように痛む。
硬殻Lv.3を、左足と左腿の固定帯の外へ薄く展開した。毒は防げないが、煙に混じる黒い粒が傷へ直接入るのは減らせる。
殻の表面が青黒く変色するたび、1度消して張り直した。体力を使う。それでも、傷へ入るよりはいい。
通路の途中に、倒れた機械があった。円筒形の胴体から短い腕が4本伸び、外装は穴だらけで、青黒い結晶が内側まで食い込んでいる。
『解毒処置機と推定します。処置能力を超えた濃度へ曝露された可能性があります』
機械にも耐えられない。その毒が、第12層側から流れている。
左手の指先から肘、肩へ向かって、冷たさが上がってきた。視界の端が暗くなる。俺はシグを床へ置き、片膝をついた。
『呼吸数が増加しています。処置室へ戻ることを推奨します』
「ここまで何メートルだ」
『17メートル。前室まで残り11メートルです』
戻る方が遠い。俺は残った干し肉を噛み、水で流し込んだ。
胃へ落ちた直後、吐き気が上がる。口を押さえて飲み込んだ。これで、食べる物はなくなった。
毒分解Lv.3へ意識を向けた。
1つの毒ではなかった。喉を焼くもの、手足の感覚を鈍らせるもの、血の流れを遅くするもの、青黒い粒に触れた皮膚を腐食させるもの。4つが同時に入っている。
これまでは、身体へ入った順に崩していた。それでは間に合わない。喉の毒を処理している間に痺れが肘を越え、痺れへ移れば胸の冷たさが深くなる。
「シグ。一番危ないのは」
『判定できません』
「呼吸が止まれば全部終わる」
喉と胸へ入る毒を先に崩す。皮膚の痛みと手の痺れは後へ回す。全部を同じ速さで処理せず、呼吸を保つ毒だけを短く切り分けた。
胸の冷たさが少し戻った。次に、血の流れを遅くする毒を崩す。足の腐食は、殻で直接触れないようにするだけにした。
「死ぬものから先に消す」
息を吸う。また毒が入る。喉、血、痺れ、腐食の順に分け、必要な毒だけを短く崩して次へ移る。
処理が追いつき始めた。
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《技能成長》
毒分解:Lv.3 → Lv.4
強毒の分解速度が上昇しました。
毒性物質へ曝露された状態での活動継続が可能になりました。
忘却値に変化はありません。
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胸の冷たさが薄れ、視界の端も戻った。
毒が消えたわけではない。吸うたびに処理が続き、身体の奥へ熱が溜まる。
喉の痛みも、皮膚の針も残っている。だが、立てる。
残り11メートルを進んだ。前室の扉は、内側に積もった青黒い結晶に押し広げられ、半分開いていた。隙間へ棚板を差し込んでシグを先に通し、俺も横向きに入った。
前室は円形だった。直径は約20メートル。中央に大きな扉があり、その左右へ古代文字の柱が立っている。
扉は厚く、黒い金属板が6枚重なり、中央に竜の爪のような溝が3本走っている。上部には表示が残っていた。
『第12層接続扉』
青黒い煙は、その扉の隙間から流れ出している。開ければ、もっと増える。
左の柱は扉の開閉記録。右は防衛命令の端末だった。シグが右の柱へ接続棒を入れた直後、仮設躯体が大きく震えた。
『接続を――』
声が途切れた。接続棒を掴んでも抜けない。棒の根元から黒い線が伸び、シグの中枢核を覆う外装へ入っていく。
『命令照合――施設守護――記録保全――』
いつもの声ではなかった。小型刃を黒い線へ当てても、刃は表面を滑る。シグの3本の脚が床へ固定され、補助輪も動かない。
右の柱に文字が浮かんだ。
『都市防衛命令 下位』
『避難搬送命令 下位』
『施設守護命令 下位』
その上に、黒い文字が重なる。
『竜心命令 最優先』
『第12層中枢への進入を拒否』
竜心。第11層で、防衛機構を奪っていた命令の発信元が初めて表示された。
「シグ。俺を見ろ」
接続棒の先端が、わずかに動いた。
『……レイ。私の内部命令と、端末の命令形式が一致しています』
「同じ命令か」
『完全一致ではありません。ですが、命令の基礎形式と発令符号が一致します。私への直接の命令更新は、現在は成立していません』
「今は、か」
『私の中枢核に、同系統の古代命令が残存しています。誰が入れたかは、記録領域が封鎖されています』
シグはこれまで、古代設備へ接続するたびに命令を照合していた。壊れた命令だと思っていたが、形式は同じだった。
右の柱に、新しい表示が出た。
『未登録守護機を回収』
『中枢核を第12層へ接続』
シグの仮設躯体が柱へ引かれた。
俺は接続棒の根元へ長剣を差し込んだ。亀裂のある切っ先ではなく、刃の中央を柱の縁へ当てて梃子にする。右肩を動かさず、左腕と腰で押すと、接続棒が少し抜けた。
『強制離脱は記録損傷の可能性があります』
「お前と記録なら、お前を残す」
黒い線が長剣へ移った。刃の亀裂が広がり、金属が裂ける音がする。俺は力を止めない。シグの脚が1本、床から外れた。
『残り3センチ。左側脚部のみ駆動可能』
「合わせろ」
俺が押し、シグが残った脚で後ろへ掻く。接続棒が柱から抜け、黒い線が切れた。シグの仮設躯体が後ろへ倒れる。
長剣は折れていない。だが、切っ先近くの亀裂は刃の半分まで達していた。
『私は稼働しています。端末から取得した最後の11秒分が欠損しました。新規命令の追加は確認されません』
3本の脚のうち2本は動かず、補助輪の回転も不安定だった。駆動線の固定は時間で解ける可能性がある、とシグは言った。可能性だけだ。
左の柱へは接続させない。俺が表示を読んだ。
『竜心命令による封鎖』
『開放条件――竜心からの許可』
『緊急開放――第11層搬送責任者権限』
最後の行だけが、弱く青く光っていた。
『アルド・クロウの権限記録と一致する可能性があります。ですが、第11層で取得したのは証言であり、権限そのものではありません』
竜心の許可はない。アルドの権限もない。扉の隙間から流れる毒は増えている。
それでも、左の柱の下部に手動機構があった。太い環が3つ。1つは都市防衛、1つは避難搬送、最後の1つは表示が削れている。
「お前はもうつなぐな」
『私の解析がなければ危険です』
「つないだ方が危険だった」
小型刃を環の隙間へ入れた。最初の環も2つ目も動かない。削れた3つ目だけが、わずかに沈んだ。
扉の中央で、6枚の金属板のうち1枚が横へずれた。青黒い煙が噴き出す。
俺は口元の布を押さえ、毒分解Lv.4で危険なものから順に崩した。
環をさらに押す。2枚目がずれた。
扉の向こうから、低い音が響いた。機械ではない。大きな心臓が、遠くで1度だけ脈打ったような音だった。
右の柱の黒い表示が明滅する。
『竜心命令 再送』
『封鎖維持』
ずれた2枚が戻り始めた。左手だけでは足りない。
長剣の柄を3つ目の環へ差し込み、床との間へ噛ませた。亀裂の入った刃が軋み、環と扉の2枚が止まった。
『左柱の裏側、床から0.8メートル。細いレバーを確認』
柱の裏へ回ると、煙は腰の高さまで増えていた。硬殻Lv.3を左足と固定帯の外へ張り直し、黒い結晶に埋まったレバーの周りを小型刃で削る。
先端がさらに曲がった。それでも、指が入る隙間ができた。
レバーを引くと、3枚目と4枚目の金属板がずれた。扉の向こうに暗い通路が見え、青黒い煙の奥で赤い光が脈打っていた。
『開放率、67%。私は脚部を畳む必要があります』
動かない2本の脚を手で畳み、仮設躯体を棚板へ載せた。
長剣は環へ噛ませたままだ。抜けば扉が閉じ始め、置いていけば残る武器は曲がった小型刃だけになる。シグを抱えたままでは、剣を抜いて通れない。
俺は棚板ごとシグを扉の隙間へ滑らせた。
「向こうで待て」
『長剣回収後の通過時間は2秒未満です。現在の左脚では推奨できません』
「置いていくよりいい」
シグが扉の向こうへ抜けた。
俺は長剣の柄を掴んだ。環から引き抜いた瞬間、金属板が戻り始める。
左脚を踏み出すと、傷が引かれた。身体を横にして、隙間へ入る。
長剣の切っ先が扉へ当たった。亀裂から刃が折れ、先端が第11層側へ落ちる。
俺は残った剣を引き寄せ、肩をすぼめた。金属板が背中の布を挟む。布を捨て、前へ転がった。
扉が閉じた。
俺は床へ左手をついた。長剣は、切っ先から約18センチを失っていた。
『レイ。出血増加は確認できません。左脚固定も維持されています』
「お前は」
『脚部2本の駆動固定が継続。補助輪は低速で使用可能です』
閉じた扉のこちら側にも、表示が生きていた。
『第12層』
その下へ、古い区画名が浮かぶ。
『竜心管理区画』
赤い光が、通路の奥でまた脈打った。
シグの接続棒が、俺ではなく自分の中枢核へ向いた。
『私に残る古代命令は、竜心命令と同系統です。再送されれば、外部接続ではなく中枢核へ直接作用する可能性があります』
「その時はまた外す」
俺は折れた長剣を持ち直した。
「それでも置いていかない」
第12層の空気は熱かった。食べる物はもうない。その奥で、扉を閉ざし、防衛機構を書き換え、シグと同じ形の命令を持つものが脈打っていた。
俺たちは赤い光の方へ進んだ。
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