治るために食べる
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それでは、どうぞお楽しみください。
落下から推定241日。目を覚ますと、喉が渇いていた。技能はまだ使っていない。それでも昨日の戦闘と発熱前の疲労で、口の中が乾いていた。
取った力が何を食うのか、まだ分からない。分からないまま使えば、残り少ない水と食料がどこまで減るかも分からない。今日はそれを確かめる。
俺は水筒へ手を伸ばした。シグの接続棒が先に水筒を押さえた。
『使用前後の消費量を比較します。残量は昨日の帰還時から約7分の1減少。睡眠時間は6時間18分。外部への出血増加はありません。食料は保存食候補が約2日分。干し肉は1食分未満です』
俺は水を飲んだ。昨日より喉の痛みは弱い。首の指跡は残っているが、呼吸に異常はなかった。
保存食をいつもの1食分だけ食べた。味は薄く、乾いている。異常な苦みや舌の痺れはなかった。
右肩と左脚の固定を外した。右肩の腫れは昨日とほとんど変わらない。腕を前へ動かすと、肩の奥で痛みが動きを止めた。
左脚は、布へ新しい血がついていなかった。傷の端は開いたままだが、赤黒く乾いている。
『使用部位を1か所へ限定します。左脚を優先すべきです。歩行能力に直結します』
「肩の方が状態を比べやすい。動かせる角度が分かってる。使った後に変化を測れる」
シグの青い光が、肩から腕へ動いた。
『合理性を確認しました。ただし、最初は30秒です』
「1分」
『45秒』
「分かった」
俺は背を壁へつけ、右腕を胸元へ固定したまま横になった。水と残りの保存食は、手が届く位置へ置く。シグは俺の右側で、呼吸と皮膚の変化を記録する。
『開始前の体温は、私の接触測定で通常よりわずかに高い状態です。発熱が増加した場合、停止してください』
「始める」
身体の奥にある細い流れへ、意識を向けた。右肩だけを思い浮かべる。腫れた場所。動かすと引っかかる筋。石壁へ打ちつけられた時に、内部でずれた感覚。
自己治癒Lv.1を発動した。
最初は何も起きなかった。次に、肩の奥が熱くなった。皮膚の表面ではない。骨と筋の間へ細い火が入り、傷んだ場所を探っているようだった。
『10秒。外見上の変化はありません』
痛みが増した。傷を塞ぐ力なら、痛みは減ると思っていた。だが、身体の内側で肉を引かれ、正しい位置へ寄せられるような痛みだった。
『20秒。呼吸数が増加しています』
右肩が脈打つたび、腹の奥が空いた。朝食を食べたばかりなのに、胃が縮んだ。
「空腹が来た」
『停止してください』
「まだ30秒だ」
『初回条件を変更します。停止してください』
俺は力を切ろうとした。肩の熱が残った。身体の奥の流れは弱くなったが、完全には止まらない。傷んだ場所へ入った力が、途中の修復を続けていた。
『技能反応が継続しています。45秒。設定時間へ到達。皮膚温が上昇しています』
喉が急に乾いた。水筒を取って飲んだ。1口では足りない。2口、3口と飲んでも、舌の乾きが戻った。
『摂取速度を落としてください。一度に飲むと嘔吐の可能性があります』
俺は水筒を離した。腹の空き方も強くなっている。胃の中に何もないようだった。
「保存食を全部よこせ」
『急激な摂取を避けます。命令としても拒否します』
俺は手を伸ばしたが、身体が起きなかった。右肩ではない。全身から力が抜けている。
『起き上がらないでください。私が渡します』
シグの接続棒が、保存食を小さく割った。俺は受け取り、ほとんど噛まずに飲み込んだ。喉が痛んだ。それでも次へ手を伸ばした。
『30秒待ちます。嘔吐すれば摂取分を失います』
言い返す前に、腹が痙攣した。俺は身体を横へ向けた。吐かなかった。冷たい汗が額へ浮いた。
肩の熱は、全身へ広がっていた。
『発熱が上昇しています。技能反応は減少中ですが、停止していません。意識を負傷部位から外してください。左手。床。呼吸。現在時刻』
左手を床へ置いた。石は冷たかった。今触れている冷たさは分かる。
俺は指の下の凹凸を数えた。1つ、2つ、3つ。息を吸い、吐く。肩の脈動が少し遠のいた。
『技能反応が低下しました。微弱です』
「記録しろ。切ってもすぐには止まらない」
次の保存食が渡された。今度は噛んだ。舌へ酸味が残った。昨日まで試食した部分より、少し傷んでいる。
普段なら吐き出していた。だが、腹はそれを許さなかった。
『異常な酸味があります。摂取を中止してください。干し肉が残っています』
「後で使う」
保存食を飲み込んだ。腹の中で、別の熱が動いた。腐敗しかけた食料へ、身体が反応している。毒分解Lv.2が、酸味の奥にある複数の毒を処理し始めた。
吐き気が増した。自己治癒の発熱と、毒を分ける熱が重なる。
シグの接続棒が、残りを遠ざけた。俺は奪い返そうとした。左腕に力が入らない。
「返せ。食わないと治らない」
『毒性のある食料を追加すれば、別の処理へ体力を消費します。処理できることと、消耗しないことは同じではありません』
言葉を返せなかった。腹は空いている。身体は熱い。水を飲んでも、喉の渇きが戻る。
白い人影が食料庫へ戻り続けた理由が、少しだけ分かった。傷を閉じる命令が止まらなければ、空腹は判断を削る。
俺は目を閉じた。
『眠らないでください。返答が遅れています。現在、私の接触測定で明確な発熱を確認しています』
「肩はどうなった」
シグが布の上から右肩へ触れた。
『腫れの外周がわずかに縮小しています。可動確認は発熱が下がってからです』
俺は左手で右手首を持ち、腕を数センチ動かした。昨日はすぐに腕を止めていた鋭い痛みが、少し遅れて来た。
治ってはいない。だが、引っかかる位置が変わっていた。
「効果はある」
『行動違反を記録します』
腹の痙攣がまた来た。今度は両脚まで震えた。左脚の固定帯が床へ当たり、金属音が響いた。
『レイ。呼吸を続けてください。返答できる状態を維持してください』
シグは水を少量ずつ渡した。飲む間隔まで数えた。保存食は酸味の少ない部分を選び、細かく割った。俺がもっと寄越せと言っても、一定量より早くは渡さなかった。
何度目かの水を飲んだ時、視界が暗くなった。照明が消えたわけではない。目が霞んでいた。
俺は無意識に暗視Lv.1を使った。灰色の輪郭が戻る。シグの仮設躯体、水筒、床へ置かれた保存食。遠い壁は揺れていた。
『停止してください。休息が必要です』
「目を閉じると、お前の位置が分からない」
『私はここにいます。移動しません』
俺は灰色の像を保った。霞みの中で、近いものだけを選ぶ。シグの青い光。水筒の口。差し出される保存食。必要な輪郭だけへ、意識を絞った。
遠い壁の揺れが消えた。床の高低差が、前よりはっきりした。像の霞みが薄くなる。
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《技能成長》
暗視:Lv.1 → Lv.2
像の揺れと霞みが軽減されました。
遠近感が安定し、長時間使用時の負担が軽減されました。
忘却値に変化はありません。
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『記録しました。使用を停止してください』
俺は技能を切った。暗闇へ落ちると思ったが、薄い青い光は肉眼でも見えた。シグは言った通り、同じ位置にいた。
保存食の毒を処理する熱は、続いていた。最初は腹の1か所へ集まっていたものが、次第に分かれていく。傷んだ脂。変色した穀物。水分の抜けた薬用成分。
違う反応を、同時に選別しているのが分かった。処理の流れが、以前より止まらない。
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《技能成長》
毒分解:Lv.2 → Lv.3
複数毒の同時処理が安定しました。
腐敗毒および汚染水による中毒を大幅に軽減できるようになりました。
忘却値に変化はありません。
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『確認しました。食料の安全性が上昇したことを意味しません。追加摂取は行いません』
今度は反論しなかった。熱で身体が重い。起き上がる力も残っていない。
シグが右肩と左脚の固定を確認し、緩んだ部分を締め直した。
『自己治癒Lv.1の反応が停止しました。発動開始から完全停止まで8分12秒です。意識的な停止後も約7分間、反応が継続しました。初回使用時の制御不足と考えられます』
「肩は」
『腫れが減少。外見上の変化は軽微です。完治していません』
「次は脚に使う」
『本日は使用しません』
俺は起き上がろうとした。肘に力が入らず、背中が寝床へ戻った。
『移動不能を確認します。水は使用前より1筒の約3分の1を消費しました。食料は通常の1食分を含め、約2食分を摂取しました。残量は1日分を下回ります』
技能を45秒使っただけだった。それでも、身体は8分以上修復を続けた。水を減らし、食料を減らし、俺を立てなくした。
肩の腫れは少し引いた。それだけだった。
「不死身にはならないな」
『最初から、その可能性は提示していません。技能は傷を消していません。あなたの身体が傷を修復する過程を速め、必要な材料を消費しています』
「使い方を間違えれば、あれと同じになる」
『神化失敗体と同一になる根拠はありません。ただし、空腹と渇きによって判断力を失う危険は確認されました』
俺は天井を見た。傷を治す力を手に入れた。だが、食料がなければ使えない。水がなければ使えない。固定を外せば、治りかけた場所をまた壊す。
力だけでは足りなかった。
「記録帳に書け。自己治癒Lv.1。45秒の使用で、反応は8分12秒。水は1筒の約3分の1。食料は通常より1食分多く食べた。発熱、空腹、渇き、痙攣。肩は少しだけ改善。完治しない」
『記録します』
「もう1つ。治るために食べる。食べられない時は使わない」
シグの接続棒が、記録帳の上で止まった。
『記録しました』
「お前が止めなかったら、全部食ってた」
『推定ではなく、確認済みの事実として記録しています』
「そこは記録しなくていい」
『削除しません。次に起きるまで、水と食料を渡す間隔は私が管理します』
熱の中で、眠りへ落ちた。
右肩の痛みは消えていない。左脚も治っていない。それでも、昨日まで止まっていた傷が、わずかに前へ進んだ。
その代わり、残った食料は1日分を下回った。
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