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生きる場所

ご覧いただきありがとうございます!

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それでは、どうぞお楽しみください。

最初に動かしたのは、寝床ではなかった。長机の下にある保守扉へ、倒れた棚を寄せた。


床の下には何かがいる。それでも、この部屋を捨てれば、水を運び込める場所も扉を落とせる場所もなくなる。傷は歩くたびに熱を持ち、干し肉は少ししか残っていない。ここで眠れるようにしなければ、次に動く力が残らなかった。


棚で扉を完全には塞がない。継ぎ目が光った時に見えるよう、手のひら1枚分だけ隙間を残す。棚の脚と石床の間へ細い骨片を挟み、内側から押されれば折れるようにした。


「これで開いたか分かる」


『棚そのものを動かされた場合、位置の変化も記録できます』


「お前が起きていればな」


『動力低下時は記録精度が落ちます』


「だから骨も置く」


骨片の先を指で押し、石床へ噛(か)んでいるのを確かめた。軽く触れただけで、細い骨がわずかにしなった。


入口の扉には、長さの違う石を4個並べた。前に使った目印は向きを変えられた。今度は石の下へ灰を薄く敷き、裏側へ小型刃で傷をつける。見える印と、持ち上げなければ分からない印を重ねた。


扉の内側には細い布を結ぶ。結び目は2つ。開けば布が引かれ、片方がほどける長さにした。


『目印が増えています』


「1つなら真似される」


『複数でも、観察されれば再現される可能性があります』


「全部を同時に見る」


石、灰、傷、布。それにシグの記録を合わせる。どれか1つが正しくても、残りが違えば信用しない。


「ネームレスが俺の動きを真似するなら、同じ順番では触らない」


『確認順序も毎回変更しますか』


「ああ。記録しても、読み上げるな」


『了解しました』


何を記録したのかは、聞かなかった。聞けば、読み上げさせることになる。


入口と保守扉の間へ寝床を移した。どちらかが開けば見える。だが、真ん中に置けば逃げ道がない。俺は布を敷く位置を入口寄りへずらした。外へ6歩。保守扉へは11歩。扉の脇に置いた水の筒までは2歩だった。


「ここなら起きてすぐ動ける」


『休息効率は低いと推定します』


「眠れるだけでいい」


『睡眠中も警戒を継続する前提は、休息とは呼べません』


返さず、背負い枠を下ろした。


右肩の奥には、記録庫を開けようとした痛みが残っている。左腿(もも)の打撲も、歩くたびに熱を持った。頬の切り傷は乾いていたが、左肘から先の鈍さは変わらない。


シグの中枢核(ちゅうすうかく)を壁際へ置き、残っている物を床へ並べた。鎌脚(かまあし)製の小型刃と炭筆の欠片、記録帳、探索隊の記録と簡易地図。灰と薬草と布、骨筒、それに水を入れた古代製筒。


干し肉は小さな片が7つだけだった。半分に割って食べれば、2日ほどは動ける。傷を治す分まで考えれば足りない。


布は右肩を固定し直せば、左腿(もも)へ巻く分がなくなる。薬草は残っているが、匂いで傷みを確かめられない。


「水以外、足りないな」


『食料、清潔な布、固定具が不足しています』


干し肉を2つの包みに分けた。今食べる分と、逃げる時に持つ分。


水も同じだった。古代製筒へ全部を入れたままでは、筒を失った時に終わる。割れていない小さな石器を探し、底に水を少量だけ移した。飲み口へ布を被せ、黒い粉や灰が入らないよう、端を石で押さえた。


「次は風の道だ」


『休息を推奨します』


「眠る前に、出口を2つにする。施設の中だけだ」


シグはすぐに答えなかった。


『施設内。30分。重量物を動かさないことを条件に同意します』


「お前が条件を決めるのか」


『記録上、あなたは条件を設定しない場合に探索を延長します』


否定できなかった。


背負い枠を右肩へ掛けず、胸と腰の帯で固定した。重みが背中へ寄り、歩くたびに左腿(もも)へ響く。


暗視(あんし)Lv.1を使い、施設の奥へ進んだ。閉じた記録庫の前は避け、黒い粉を採取した場所にも近づかない。


壁の青い線が途中で上へ曲がっていた。見上げると、天井近くに細長い格子がある。そこから冷たい風が流れ込んでいた。


「換気孔か」


『形状は一致します』


格子は床から2メートルほど上にある。今の右肩では、届いても身体を支えられない。近くに倒れていない棚を見つけたが、動かさなかった。


「棚は使わない」


『条件の遵守を確認しました』


代わりに、長い骨棒の先へ布を結び、格子へ差し出した。布が左へ流れる。風は外から入っていた。棒を格子へ当てると、1本だけ軽い音がした。固定が外れている。


「開くかもしれない」


『脱出経路として使用するには、高さと幅の確認が必要です』


「外側が塞がってないこともだ」


床を見る。格子の真下に、細かな砂が扇形に積もっていた。風だけで運ばれたなら、外とつながっている。


砂の中には白い欠片が混じっていた。骨ではない。薄い石片だった。拾い上げると、片面に青い線が残っている。壁の外装が剥(は)がれ、換気孔から落ちたらしい。


俺は欠片を格子へ投げた。狭い隙間へ入り、すぐには落ちてこない。2呼吸後、遠くで石を打つ音がした。


「向こうに空間がある」


『落下音までの時間から、短い横穴の先に縦方向の空間がある可能性があります』


「出口にはならないか」


『現時点では退避経路候補です』


「候補でいい」


記録帳へ格子の位置と高さを書いた。施設の入口を1つ目。換気孔を2つ目。換気孔はまだ通れない。それでも、行き止まりではなくなった。


30分が終わる前に寝床へ戻った。シグの指示どおり、重量物には触れていない。右肩の痛みは残ったままだが、増えてはいなかった。


「次は外をつなぐ」


『休息が先です』


「30分は終わった。新しい条件を決める」


『休息後でなければ同意しません』


「俺が決める」


『はい。最終的な決定はレイが行います。私は、反対した事実を記録します』


シグの声は変わらなかった。


俺は入口を見た。石も灰も動いていない。布の結び目も2つ残っている。


外へ出れば、巡回中の自動兵と、端末から形を得るネームレスに見つかる可能性がある。戻った時に目印が正しくても、俺の判断が鈍っていれば意味がない。


「1時間休む」


『2時間を推奨します』


「1時間半」


『受け入れます』


干し肉を1片だけ食べ、水を3口飲んだ。噛(か)むたびに顎(あご)の奥が疲れ、肉は思ったより長く口に残った。


横になる前に、記録帳へ自分の名前と目的を書く。


『レイ・クロウ。ミアのもとへ帰る。シグを地上へ連れていく。起きた時、入口の石、灰、傷、布を別の順番で確認する』


「起こせるか」


『動力を休止へ切り替えます。1時間半後、1度だけ音声出力します』


「保守扉が動いたら先に起こせ」


『了解しました』


小型刃を右手の届く位置へ置いた。目を閉じても、眠りは浅かった。石を擦(こす)る音がした気がして、2度起きた。どちらも保守扉は閉じたままで、骨片も折れていなかった。


3度目に目を開けた時、シグの声がした。


『1時間30分が経過しました』


身体を起こす。右肩は固まっていて、胸の高さまで上げるだけで痛んだ。左腿(もも)も、休む前より軽くはなっていない。眠れば治る段階は過ぎている。


俺は入口の目印を確かめた。最初に布。次に石の傷。灰。最後に石の向き。変化はない。


「外へ出る」


『歩行状態を確認します』


入口から5歩進み、戻る。左膝は抜けない。呼吸も乱れていない。


『短距離移動は可能。戦闘回避能力は低下しています』


「自動兵とは戦わない」


『遭遇を選択できるとは限りません』


「だから道を2つ作る」


水入りの筒は置いた。記録帳、小型刃、灰だけを持ち、シグを背負う。


外へ出る前に、扉の脇へ新しい印をつけた。横線を1本。帰還時には、その下へ短い線を足す。ネームレスが今の動作を見ていても、戻る時の印までは知らない。


路地へ出た。自動兵の足音は聞こえない。


西側貯水槽まで前と同じ道は使わず、施設の裏へ回った。換気孔があるはずの外壁を探す。建物の角を2つ曲がると、壁の高い位置から砂が落ちていた。


上を見る。細い亀裂の奥に、青い格子がある。内側から見た換気孔と同じ高さだった。亀裂の下には石材が積もり、1人が横向きに通れる隙間が残っている。


俺は灰をひとつまみ投げた。灰は隙間へ吸い込まれた。


「中へ風が流れてる」


『施設内で確認した方向と一致します』


背負い枠を外し、シグの中枢核(ちゅうすうかく)を胸の前へ抱えた。右肩を壁へ当てないよう、左側を下にして隙間へ入る。石材の間は肩幅より少し狭い。息を吐き、身体を横へずらした。


2歩進むと、右足が薄い石板へ触れた。押すと、石板が内側へ倒れた。


見覚えのある床へ出た。施設内で換気孔を見上げた場所だった。砂の下に隠れていた壁際の穴が、外の亀裂へつながっている。


「通れる」


『背負い枠を装着した状態では困難です。緊急時は中枢核(ちゅうすうかく)を分離して運ぶ必要があります』


「それでも出口だ」


『はい。退避経路として記録します』


俺は同じ隙間を戻り、背負い枠へシグを固定した。亀裂の左右へ傷をつける。片方は縦に2本。反対側は斜めに1本。その上から灰を擦(す)り込み、遠目には古い汚れに見えるよう薄く広げた。


「これが2つ目の退路だ」


『通過を確認しました。崩落の危険は残ります』


換気孔の外側から西へ進むと、地面がわずかに下がっていた。耳を澄ますと、石の下から水音がする。貯水槽から伸びる水路だ。前に見た崩落穴まで行かなくても、水路の位置を追える。外壁沿いに進めば、広い通りを1つ避けて貯水槽の裏へ出られるはずだった。


その時、右前方から金属音がした。


俺は亀裂の陰へ身体を寄せた。自動兵の足音が、建物の向こうを通る。前に記録した間隔より早い。


シグが声を落とした。


『前回の通過記録から7分12秒。旧巡回記録より2分48秒短縮』


「また変わった」


『接続後の固定周期とは判断できません』


足音は近づかず、右から左へ抜けた。俺は動かなかった。


さらに20秒後、別の金属音が続いた。2体目だった。同じ道を、1体目より速く進んでいる。


『複数個体の連続巡回を初確認』


「1体目だけ見て出たら、見つかる」


『以後、通過後30秒は待機してください』


「1分待つ」


足音が完全に消えるまで待った。背中のシグも、何も言わなかった。


巡回時刻を信じるのは止める。足音を聞き、1体目の後ろを疑う。それでも、見えない場所は残る。


俺は外壁沿いの低い位置へ、3つずつ傷をつけた。施設から換気孔まで1組。換気孔から水路の分岐まで2組。貯水槽方向には3組。


傷の数だけでは足りない。石の下へ灰を入れ、戻る側だけに小さな骨片を隠す。目で見る印、持ち上げる印、シグの距離記録を重ねた。ネームレスに書き換えられても、全部が同じにはならない。


施設へ戻るまで、自動兵とは遭遇しなかった。


入口の横線の下へ、短い線を足す。布、灰、石の傷、石の向きを確かめる。変化はない。中へ入り、扉を閉じた。


「つながった」


記録帳を床へ広げる。記録施設、外壁の換気孔、水路、西側貯水槽。4つを線で結んだ。


正面入口から外壁沿いに貯水槽へ向かう道が1つ。換気孔下の亀裂から施設裏へ抜ける道がもう1つ。保守扉は閉鎖区画へ続くが、退路には数えない。


『水源までの経路を確保。使用可能な退路2。自動兵は2体連続で通過。旧巡回記録との不一致を確認』


「拠点にできるか」


『水、換気、遮蔽(しゃへい)物があります。入口の監視も可能です』


「なら決まりだ」


『ただし、食料は現在量で約2日。清潔な布と固定具は不足。右肩と左腿(もも)の回復は停滞しています』


記録帳の地図へ、水と退路を示す印をつけた。その横に、足りないものを書く。食料。布。固定具。


「生きる場所はできた」


『生き続けるための物資は不足しています』


「次に探す」


寝床の横へ水を置く。干し肉は逃走用の包みと、今日食べる包みに分けたまま残した。


入口と保守扉の間で、風がわずかに動いている。ここは安全ではない。


それでも、戻る場所にはなった。

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